昔、あつかいはよかったはずなんだけど
相棒は、俊春がむかった方向を熱心にみつめている。鼻をあげ、高っ鼻になっている。ひくひくと鼻孔が動いている。
警戒しているのである。
その注意は、俊春へ向いているというわけではない。そう直感した。
ということは、相棒がかいだことのあるにおいをはっする者がいる、ということになる。
「どうした?」
「副長、相棒がなんらかのにおいに反応しています」
「ぽちに、ではないのか?」
「いいえ、島田先生。ぽちは、戻ってくることがわかっています。この様子だと、かいだことはあるが、そんなに接したことはないって感じでしょうか。一度か二度、あるいはもうすこし、そのくらいは会っているっていう程度ですね」
「なんだ、主計?ちゃんと散歩係をやっているではないか」
永倉の心底驚いたような評に、思わずずっこけてしまいそうになった。
「永倉先生。いまのは一応、元ハンドラー、つまり、訓練士の推理ですよ。散歩係の方ではありません」
「そういやぁ、そんなんやっていたっていってたよな」
「ってか、ひどくないですか、副長?いつの間にか、散歩係に降格されていたんじゃないですか」
そもそも、おれって降格されたんだっけ?
ってか、いつからだろう?おれがこんなあつかいをうけるようになったのは?
幕末にきたころ、あつかいはよかったし、おれはもっとイケいてたはずである。いまみたいなキャラではなく、相棒と二人で武田観柳斎を追ったり、護衛任務で襲撃者と遣りあったりした。
そもそも、幕末にきた瞬間、あの「幕末四大人斬り」の筆頭中村半次郎をはじめとした複数の刺客に襲われている副長を助ける、なんていう超絶ドラマチックなシーンをかましたはずなのである。
いったい、どこをどうやったら、こんな転落人生を送ることになるのだろうか?
これはもしかして、陰謀なのか?
「主計。おまえみたいなのが、ザッツ・ライフっていうんだよな?」
現代っ子バイリンガルの野村がいう。
かれの視線は、とおりをゆくお嬢さんの集団を追っている。しかも、にやにや笑いまで浮かべている。
「いまのは、どういう意味なのだ?」
「島田先生、そこはいいんですよ」
「気になるではないか」
「『人生、そんなもんだよ』っていう意味です。ってか、利三郎、キモイぞ。若い女性を、そんないやらしい表情をしてみるんじゃない」
「おいっ主計、やめておけ。利三郎の親玉をみてみろ。また嫌味をいわれるか、叱られるぞ」
「はい?」
永倉がおれにアテンションするとともに、副長を顎でさした。
なんてこと・・・・・・。
副長はイケメンを戦闘モードに整え、野村同様とおりすぎてゆく女性たちを熱心にみつめている。
土方歳三……。
野村は、あなたの背をみているのですね。
って、こんなノリも、あいかわらずである。
しれず、ホッとしてしまう。
そして、なんやかんやで俊春が戻ってきた。
しかも、フツーにあるいてもどってきた。
かれはおれたちに気がつき、路地にやってきた。相棒は尻尾を激しく振り振り、一番にでむかえる。
ふーん・・・・・・。
相棒、やっぱりそうなんだ・・・・・・。
「副長。薩摩軍でございました」
かれは、副長が「どうであった?」と尋ねるよりもはやく、報告した。
薩摩軍・・・・・・?
なにゆえ、薩摩軍が板橋に?ここらで戦闘でもあるのか?あるいは、あったのか?
「東征大総督府下参謀が、お忍びでまいっておりました。とはいえ、護衛に半小隊を連れておいででしたが」
かれは、つづける。
東征大総督府下参謀?ごたいそうな肩書である。そのおかげで、だれがお忍びでやってきているのかすぐにわかった。
「西郷隆盛が?なにゆえ、板橋に?」
「さすがだな、主計」
俊春がほめてくれた。
幕末好きも、ここまでくればオタクである。
「西郷?なにゆえ、お忍びでいるのだ?」
副長も、おなじく不可思議なようだ。
薩摩の実質上の責任者である西郷の名をきき、感動するよりもさきに板橋にきている理由をしりたいのである。
「局長の・・・・・・」
さすがの副長も、俊春のそのたった一言、しかも『あとは想像してください』的な中途半端な言葉に、興味をそそられたらしい。
「なにゆえ、西郷がかっちゃんのことでわざわざ脚を運ぶ?」
「先日、流山でお会いした有馬殿もいらっしゃいました。そのときの話をおききになられたようです」
「そんなことで?」
副長と俊春がやり取りしている間に、永倉に流山でのことをかいつまんで説明した。
「有馬殿はお元気でしたか?」
西郷のことも気になるが、有馬のことも心配である。じつは、かれも副長同様、戦闘中に被弾するはずだったのである。
史実では、かれは局長の処分を不服とし、反対しつづけた。その戦闘中の負傷の治療中に、局長は斬首されたのだ。
「ぴんぴんしておいでだ」
俊春の答えに、ほっとした。敵ではあるが、かれは立派な武人である。史実でのその負傷は、生命に別状はない。とはいえ、負傷しないにこしたことはない。
「副長。西郷先生がお会いしたい、と。直接、弔意を述べたいとのおおせです」
そのあとにつづけられた俊春の言葉は、理解するまでに時間を要してしまった。
それは、この場にいる全員が同様である。
それぞれが脳内で理解するまでに、しばし時間を費やした。




