白皙の美貌
「白皙の美貌を朱に染め」というフレーズを、なにかの小説でよんだことがある。
が、それはあくまでも文語的フレーズであって、口語ではない。
すくなくとも、日常生活において、そんな文言を思い浮かべ、口の端に上らせたことはない。
それがなぜか、脳裏に浮かんでしまう。
月明かりの下の伊東は、その表現がぴったりすぎる。
いや、もしかすると、死病かなにかで熱っぽいだけなのか・・・。
わかっている。そう希望的観測をしていることくらい。
自己紹介に応じ、伊東が笑みを浮かべる。それが、「白皙の~」、につづくわけである。
「話は、坂井君からきいているよ」
伊東は坂井からはなれると、こちらへ脚を運ぶ。
それは、まさしく脚を運ぶ、である。
心中で、唸ってしまう。伊東は、まぎれもなく剣士である。北辰一刀流の皆伝である。動きにむだがなく、その脚運びは、まさしく猫である。
もしかすると、こうして男を夜這ったり、逢引したりするのか・・・。
気がつくと、近間どころか懐にまで入り込まれているではないか。あとずさろうとするのをよんだのか、左掌を掴まれてしまった。
(くそっ!)
心中で毒づく。
ペースを握られたくない。あらゆる意味で。
「わたしが伊東甲子太郎です、相馬君」
おれと、背丈はおなじくらいか。相貌に、必要以上に相貌をちかづけてくる。
それから、自己紹介してくる。
「斎藤君、坂井君に高台寺を案内してあげなさい」
なんと、二人きりになろうというのか?
背筋を、汗がつたう。もちろん、暑いからではない。
「いいえ先生、二人きりにするわけにはゆきませぬ」
斎藤が、きっぱりいう。
(いいぞ斎藤、その調子だ)
心のエールがきこえたかのように、斎藤はつづける。
「新選組の、罠やもしれませぬ」
「馬鹿なことを・・・」
坂井が、間髪入れずにいう。それから、ふんっと鼻で笑う。
「たとえそうであったとしても、かれは、わたしを斬ることなどできやしないよ、斎藤君」
絶句してしまう。きっと、斎藤もであろう。
この自信はなんだ?おれを、籠絡できると?それとも、剣の腕のことか?わかっていると?罠のことをわかっていて、その上での確信なのか?
「ねっそうでしょう、相馬君?」
伊東は妖艶なまでの笑みを浮かべ、あいている右の掌を伸ばしてくる。
頬を撫でられる。それから、人差し指で、唇をなぞってくる。
背筋がぞくぞくする。もちろん、不快感で。
「わかりました。が、お気をつけ下さい。いこう、坂井君。二人きりにしてさしあげるのだ」
(いや、まってくれ。置いていかないでー。いや、二人きりにしないでくれ)
心の叫びは届かない。それどころか、救いの瞳を向けたとき、斎藤は微笑んだ。
(まずは、第一関門通過だな?)
月明かりの下、安堵の色がはっきりみてとれる。
斎藤と坂井は、おれをみ捨ててこの場を去ってしまった。
もう、ひきつった笑みすら浮かべる余裕もない・・・。