美しき男、それは伊東甲子太郎
男のおれからみても、伊東甲子太郎は美しい、と思う。
いや、待ち合わせをしている相手がシークレットだったのなら、女性だと思うはず。
背は、さほど高くはない。線は細いがひ弱、というわけではない。たとえていうなら、アスリートっぽい。相貌は色白で、切れ長の瞳に、鼻筋はすっきりと通っている。その下の唇は、ぽってりとしていて官能的である。
これが剣士かと見紛うたが、そこはさすがである。長い指の白い掌は分厚い。そこだけが唯一、美しさとはかけ離れている。
訂正しよう。伊東は、おねぇではない。おねぇだが、おねえではない。みた瞳は、女性そのものだ。美魔女、といっても過言でない。
もう一人は護衛だろうか。み知った男である。
斎藤・・・。
ほんのわずかの間、視線をあわせる。そのとき、斎藤の瞳に浮かんだのは、敵地に単身のりこんできたおれにたいする、注意や危険を促すものではない。
あきらかに、哀れみ。すくなくとも、そのように感じられる。
斎藤は、三メートルほどはなれた暗がりにひっそりとたたずんでいる。
今回のことは、斎藤もしっている。だからこそ、違う意味で心配してくれている。
同時に、伊東の心情をはかりかねている。
斎藤は、表向きは伊東に傾倒している。そして、坂井は、違う意味で伊東に溺れている。そして、おれはその双方において、いまから傾倒し、溺れる予定になっている。
そもそも、そのすべてが策であることを、伊東はまったく疑わないのであろうか?微塵も疑っていないのだったら、かれはよほどお人よしか、お馬鹿である。あるいは、副長のいうとおり、よほどの自信家に違いない。
厄介なのは、その伊東こそが相当な女狐で、すべてを承知していて、逆におれたちをはめようとしている、ということである。
「またせてしまいましたか?」
なんと、坂井はそういいながら伊東に駆け寄り、そのまま身を預けた。つまり、両掌をひろげ、まっている伊東に抱きついたのである。
眩暈がする。この最初の一撃は、示現流の初太刀よりもよほど効果的だ。
いや、これは使えるかも?
相手に抱きつく・・・。ほぼ90%の確率で、相手は驚愕するだろう。もちろん、相手がノーマルな場合にのみ通用する策だが。
「まっていたとも・・・。あのまん丸のお月様をみながら、ね」
甘い囁きというものを、言葉できいたりみたりしたことはあっても実際、きいたことはなかった。
きっとこれがそうなのだ。そうに違いない。その証拠に、囁かれた坂井は、伊東の胸に抱かれたままうっとりしている。
長身の坂井が伊東の背丈に合わせ、わずかに膝を折るという配慮に怠りはない。
再度、斎藤をみる。すると、斎藤もこちらをみる。
「ご愁傷様、骨は拾ってやるぞ」
斎藤の深くて濃い瞳は、そう表現しているように思える。
「でも、想い人を月の下でまつのも、おつなものだよ。つぎつぎに美しい情景、そして言の葉が浮かんでくる」
甘い囁きが、つづいている。
(二人で勝手にBLワールドを愉しんでくれ)
そのまままわれ右し、去りたい。
きっと斎藤も、共感してくれるだろう。
そう呆れ返りながら、伊東が句にも造詣が深いことを思いだす。
切腹した山南の死を悼み、いくつか句をつくっている。
伊東との不和が、まさか句作も起因している、ということはないですよね?
心中で、副長に問う。どう贔屓目にみても、腕は伊東の方が上のはずだから。
「わたしたちの間でのお愉しみはとっておこう。今宵は、せっかくだ。はやく紹介しておくれ」
気がつくと、ついに矛先が向けられる。
いや、いっそ、文字通り矛か剣の先を突きつけてくれた方がよほどいい。
「伊東先生、はじめまして。相馬主計と申します」
やけくそだ。不快感を封印し、媚びた笑みを浮かべながら自己紹介する。
すくなくとも、そういうつもりの笑みにしたつもりでいる。
視界の隅に、斎藤の苦笑がみえたような気がする。