口のつかい方
「穢れた血だ。なめぬ方がいい」
そして、俊春はそうつぶやきつつ、掌を握りしめて避けた。
狂犬病は、昔からある。たしか、1730年ころに長崎で発生したものが、日本全国に伝播した記録に残る最初だったかと記憶している。そのあともあったのであろうが、記録に残る確認をされるのは、明治六年になってからである。
とはいえ、ワクチンを接種していないいま、確実に狂犬病になっていないとはいいきれない。
狂犬病の名や実態はともかく、俊春にそういう流行病が、あるという知識は当然ながらあるはずだ。
なにせ、かれ自身「狂い犬」の二つ名があるのだ。それは、狂った犬のごとく暴れ、死をもたらすという、創作的にはカッコいい意味を含んでいる。
自分の血を穢れていると、相棒のことを逆に心配してなめるなといっている。
「いまの、どういう意味なんですか?」
自分でも驚くほど可愛げのない声になってしまった。
副長にしろ俊春にしろ、言動が謎すぎる。しかも、みんなはその謎に気がついている節がある。野村もふくめて。
おれだけわかってない?いい方がぶっきらぼうに、ってか、すねてるようになるのも仕方がない。
「言の葉のままだ」
そして、俊春からかえってきたそっけない答え。
「永倉先生を誘導したのだ。わたしをフルボッコにするようにな」
原田のおかげで、かれの相貌の血糊が、じょじょにうすらいでゆく。桶をさりげなくみてみると、真っ赤になっている。
「フルボッコ。超ウケる」
おれの背に、野村のくすくす笑いがぶつかる。
「なにゆえです?まったく意味がわかりませんよ」
最近、いじられ方がみょうにハイグレード化してやしないか?
ミステリーチックすぎて、おれにはついていけない。
「永倉先生、兄はわたし以上に拳を喰らいましたか?」
「あ?いや、おまえとおなじくらいだ。おそらく、だが。俊冬のときも、さっきと同様気がつけば左之と島田にとめられていたのでな」
「よし。血糊はあらかた拭えた。だが、あっちこっち切っているぞ。おまえは、誠に生傷が絶えぬな、俊春」
永倉にかぶせ、原田が嫌味ったらしくおわりを告げる。
もちろん、その嫌味は永倉にたいしてである。
「ありがとうございます」
俊春はちいさく礼をいうと、正座になって副長に詫びる。
「取り乱して申し訳ございません」
一礼し、姿勢を正す。
「俊春。自身を追い詰める必要はねぇ。そんなことばっかやってたら、いつか壊れちまう。それでなくっても、怖いんだろう?無理する必要なんざねぇんだ」
さきほどとはちがい、副長の声はいままできいたことがないほどやさしい。表情も、めっちゃやわらかい。
俊春は、しばし間をおいてから一つうなずく。
「兄は?納得いたしましたか?」
「無理矢理だがな。ゆえに、京へゆき、かっちゃんの頸を奪うよう、あらためて命じた」
副長の答えに、俊春がほっと吐息をついたのが感じられる。
「日野まで運ぶのは、難しいだろうからな。弔ってくれそうな寺に頼むよういってある。その脚で、合流するだろう」
「じゃあ、俊冬殿はもどってくるんですね?どっかにいってしまうってこと、ないんですね?」
思わず、うれしくなってしまった。餓鬼みたいに、表情を輝かせてるだろう。ついでに、はしゃいでしまう。
輝かせ、というのは、脂ギッシュというわけではない。当然だが。
「調子のいいやろうだな、主計。さっきまでおれを味噌糞にののしってやがったのに、もうこれか?」
「すみません。でも、そこまでいってませんよ」
「まぁいい。おまえには、あとでじっくり上役への口のつかいかたを教えてやるからよ」
「ワオ!ユー・アー・イン・ラック」
「ちょっ・・・・・・、副長。ですから、すみませんってば。ってか、利三郎っ!なんでおれが、運がいいんだよ」
「だって、副長が口のつかいかたを教えてやるって」
現代っ子バイリンガル野村よ。たのむから、マジなモードを五十年ほど持続してくれ。
「いやらしい」
永倉と原田と島田と俊春の、いわれのない非難がかぶる。
「いちいちあげあしとってんじゃねぇ、利三郎。それから、よろこんでんじゃねぇ、主計」
「ソーリー」
「そ、そんなことないですよ。気がついていませんでした。言葉のつかいかたとばかり思いこんでいました」
モンスター隊士野村の、ちっともごめんって思っていないソーリーにかぶせる。
「そのわりには、真っ赤になっているぞ」
「またまた、島田先生。蝋燭の炎があたって、そうみえるんですよ」
島田が、ビミョーにツッコんできた。
ってか、マジで真っ赤になってる?そういえば、相貌がちょっと火照ってるか?
副長が笑いだした。すると、すぐにみんなも笑いだす。もちろん、おれと相棒も。
こういうノリは、あいかわらずだ。ちっともかわってはいない。




