鉄拳制裁
おれでも感じたのである。俊春も感じたのはいうまでもない。
泣きじゃくりながらでも、かれの体は反応している。つまり、上半身をわずかに起こし、相貌をあげたのである。
『ガッ!』
なんてこった。静かなお堂に音が響くほど、俊春の相貌に、永倉のパンチが入ったのである。
それだけではない。永倉は、かれのシャツの胸元をつかむと、そのまま背中から床に叩きつけた。相棒が、あわててうしろへ飛び退っている。おれも、思わず腰を浮かせてしまった。
「なめんなよ。おれたちを、馬鹿にするな」
永倉は俊春の華奢な胸の上に馬乗りになり、泣き叫びながら拳を相貌に見舞いつづけている。
なんだこれは?なんのための鉄拳制裁なんだ?これはもはや、パワハラなどささやかで可愛らしいっていいきれるくらい、ショッキングな行為だ。
虐待っていうのか、これは?
いや、虐待っていうのもちがうか?
いくらなんでも、理不尽すぎる。無差別テロとか、通り魔とか、そんなレベルの凶行っていえる。
俊冬のときもそうだが、俊春もどうにでもできるはずのものを甘んじて受けている。つまり、永倉のパンチなど、ヨユーで防御するなり弾き飛ばすなりできるのだ。
が、まったくそれをやろうとしない。
俊春は、この鉄拳制裁の意図を察しているのだろうか。この凶行がただの暴力でないことを、理解しているのだろうか。
残念ながら、おれにはまったくわからない。理解に苦しんでしまう。
「永倉先生っ!」
それでもやはり、とめずにはおられない。これまで、幸いにも永倉のパンチを喰らったことはない。だが、寛永寺事件の際の俊冬の顔面血まみれの状態を思いだせば、永倉のパンチが重くて強烈すぎるってことくらいはわかる。
意図していること以前に、俊春の相貌が、とんでもないことになってしまうだろう。
それこそ、『じゃむ〇じさん』に相貌を焼いてもらわねばならないくらいに。
おれが永倉をとりおさえようとした瞬間、永倉の動きがぴたりととまった。振り上げた拳は、いまにも瓦解しそうなお堂の天井を指している。そして、その拳も俊春のシャツを握る掌も、かすかに震えを帯びている。
悪夢から目覚めたような永倉の双眸。そのさきを追うと、俊春の双眸にゆきあたった。血まみれの相貌のなかに、やけにリアルにみひらかれた双眸。
そこにあるのは、過剰なまでに怯えた子どもの瞳であった。
「す、すまぬ」
永倉も、血まみれの相貌のなかに、それを認めたのである。その怯えの対象が、いまここで殴られていることではない。かれは、そのことに気がついたのだ。ゆえに、怒りか口惜しさかはわからぬが、かれの沸点が凍り付くまでいっきに下降したのである。
「やりすぎだ、新八。どけっ」
原田が、いまだ馬乗りになっている永倉を自分のほうへ、ひきずりおろす。
「俊春殿、大丈夫ですか・・・・・・」
おれがかれの体に触れようとすると、かれは右掌をあげ、それを拒んだ。左掌で自分の双眸を覆う。息をゆっくり吸い込み、さらにゆっくり吐くことを、幾度も繰り返している。
泣きたいのを我慢しているのか。幼少の時分のトラウマと、必死に戦っているのか。
おれたちは、しばしそれをみつめていた。いいや。なにもできないから、ただみつめるしかないのだ。
「どういうことなんです、副長?なにゆえ、俊春殿に制裁をくわえるのです」
永倉は、みずからの意思で殴ったのではない。たしかに、殴りはじめてから、感情に流されるままになったかもしれない。しかし、もともとそうさせたのは副長である。
責めるつもりはないが、いわれのない暴力には納得がいかない。
「むかつくからにきまってるだろうが」
そして、副長からかえってきたとんでもない言葉・・・・・・。
むかつくから?
その副長のらしくない返答は、違和感しかない。
まさか、局長を斬首したことをいっているのか?
いやいや、それはないだろう?
副長はおれと同様、おこなった俊冬、それに加担した俊春の精神を心配しているとばかり思いこんでいた。
副長の性格なら、きっとそうなるだろうと信じていたのに・・・・・・。
それに制裁をくわえるだなんて・・・・・・。
しかも、俊春のトラウマのことは、副長もしっているのだ。
たしかに、かれのトラウマについて、みんなで議論したり詮索したりはしなかった。いっさい触れぬほうがいい、という空気になったからだ。
だが、あそこにいた全員が、トラウマを抱えることになった原因には気がついているはず。
それをまた、味あわせたのである。
俊春のトラウマは根深い。性的虐待だけではない。暴力だってともなっている。
副長はそれをわかっていて、あえて殴らせたと?
「むかつくって、どういう意味なんです?なにゆえ、むかつかなきゃいけないんですか?かれが、いえ、かれらが局長を・・・・・・」
言葉にだしずらく、濁してしまった。仰向けのまま必死で恐怖に耐えている俊春の横で膝立ちになり、副長に声を荒げる。




