二つの謝罪
俊冬は、こちらに背をむけた。矢来の向こうにいる大勢の見物人へ、具体的には副長たちのいる方へ体ごと向け、深々と頭をさげる。
当然のことながら、かれも副長たちの存在を察知しているわけである。
副長たちの表情は、野村やおれとたいしてかわらない。心のなかも、たいしてかわらないだろう。
つづいて、かれは野村とおれの方に向き直り、深々と頭をさげる。その頭があがったとき、おれの瞳とかれの瞳とがあった。
『すまぬ』
その瞳は、たしかにそういっている。
謝らないでほしい。なにゆえ謝るのか?謝るのは、むしろおれのほうだ。かれと俊春は、全力で局長を助けようとしてくれた。全力で説得してくれた。全力で護ろうとしてくれた。
そして、これから局長の最期の望みをかなえようとしてくれる。
だれにもできぬことを、かれは自分の精神を削り、おこなうのである。
それは、かれにとって万の敵を倒すことより困難なことであろう。
おれの想いは伝わっただろうか。
かれの瞳が、おれのそれからはなれてしまう。
「二王清綱」の刀身が、介添え人である俊春の眼前に差しだされる。俊春は、刀身を桶の水を柄杓で清める。
双子ともに涙こそみせてはいないものの、どちらも泣いているのをひしひしと感じる。
俊春は俊冬が懐からだした懐紙を受け取ると、それではさむようにして刀身の水滴を拭う。
しばし、みつめあう双子。
さきほど、俊春は自分がおこなおうと兄に申しでたのだろう。それを、俊冬は拒否したのだ。
ある意味、これほどハードな務めはない。条件がおなじなら、兄はそのハードな務めを弟にさせるわけはない。
「ま、まってくれ」
そのとき、土佐藩の立会人が震える声で静止した。それは、さほどおおきな声ではなかった。が、水をうったような静けさであるため、見物人にもきこえたにちがいない。
土佐藩の立会人は、太った体をもたもたと起こすと地面に胡坐をかいた。それから、拳を両膝頭まえについて軽く頭を下げる。
「すまなかった。近藤殿は、誠の武士だ。無礼を赦してほしい」
声が震えているのは、恐怖心からではないのかもしれない。局長を認め、死なせることへの同情心からであろうか。
「しかとこの双眸で見届け、伝え申す。貴殿が誠の武士であり、われわれは死なせてはならぬ漢を死なせてしまった、と」
そういっきに伝えると、声を殺して泣きだした。
かれのなかのなにかに、局長の信念がふれたらしい。もしかすると、さきほど局長が双子にいっていたことが、かれのなにかをかえたのかもしれない。
兎に角、かれは謝罪し、局長を認めた。
しかし、それで大どんでん返しがあるわけではない。
結局、結果はおなじである。
局長は、土佐藩の立会人としっかり視線をあわせてからおおきくうなずいた。
謝罪を受け入れる、という意味だろう。
局長はあらためて上半身を折り、頭を穴にさらす。
いよいよだ。心臓はバクバクをマックスに迎えてから、逆に静かになっている。「とくんとくん」と、いつもよりかはじゃっかんはやく脈を刻んでいるのが感じられる。
アドレナリンがこれでもかというほど放出され、もうなにも残っていないのかもしれない。
そのとき、片膝ついたままの姿勢で控えている俊春と視線があった。
かれは、表立っては涙を流しも浮かべてもおらず、凛とした表情を保っている。
いさぎよく散ろうという局長に、涙をみせたくないのかもしれない。
おれも、そのかんがえには同感である。
「ぐっ」
野村が耐えきれず、うめき声をもらした。面を伏せ、瞼をぎゅっととじている。
「利三郎、きいてくれ。瞼をひらけ、しっかりとみるんだ。おれたちは、そうしなければならない。そうだろう?おれたちは、近藤勇の生きざまと死にざまの両方をしっかり脳裏に刻み、仲間や後世に伝えなければならない。それが、おれたちがいまここにいる意味なんだ」
かっこいいことをいっているが、昔読んだ複数の小説のフレーズを寄せ集めたものだ。
なにゆえ、創作上の登場人物は、こういう似たようなシチュエーションで、かっこいいことをのたまえるのであろう。とてもじゃないが、気の利いたことなどなに一つ思い浮かばない。
それでも、そういう似たようなシーンがでてきて、台詞もでてくるだけの余裕があることに、自分でも驚きである。
野村は、瞼をかっとみひらけた。それから、おれに相貌をちかづけると、おれの軍服の肩のあたりに相貌をこすりつけた。
肩のあたりに黒いシミができてしまった。
どうやら、涙を拭ったらしい。掌が縛られているので、そうするしかなかったわけである。
「わかっている」
かれは、ぶっきらぼうにつぶやいた。それから、相貌をまえへ向けた。
眼前では、俊冬が「二王清綱」を構えている。
おれが板橋に嘆願書を届ける前日、俊冬は副長に『局長の斬首をみる勇気はないだろう』、というようなことを尋ねた。それにたいして、副長は『いまはない』、と答えた。
そのやりとりが、やけにリアルに思いだされる。




