局長は馬鹿だ
俊冬がワルを演じる真意はわからない。
それは別にしても、せめて理不尽でいわれのない誹謗中傷を投げつけた謝罪はさせるべきであろう。
それなのに、局長はそれさえも許すと?
俊冬は、「二王清綱」をふりかぶったままである。そして、俊春もまた土佐藩の立会人をおさえつづけている。
二人とも、局長の命をスルーしようというのか。
「命に従うのだ。約定を忘れたか?」
局長のするどい声に、双子ははっとした表情になる。
「なにをしておる。これ以上の無礼はならぬ」
その一喝は、いままでにみたこともきいたこともない、局長の怒りのあらわれである。
俊春は土佐藩の立会人の背から離れ、俊冬は「二王清綱」をおろし、同時に片膝ついて頭をたれた。
もちろん、局長にたいしてである。
土佐藩の立会人は、九死に一生を得た。じたばたともがきながら、どうにかこうにか四つん這いになり、穴から後ずさりして離れ、そこに尻餅つく。
相貌は真っ赤である。
興奮によるものだろう。そして、過呼吸状態のようだ。何度も口をぱくぱくさせ、空気を求めている。
解放されたにもかかわらず、いまだにかれに駆けよる者はいない。
局長は声量を落とし、双子になにやら語りかけている。
土佐藩の立会人は、それをぼーっとした表情でみつめている。
かれはいま、いったいなにを思っているだろう。
局長が一方的に双子を叱っているようにうかがえる。双子は片膝つき、面を伏せたまま神妙にきいている。
残念ながら、横に俊春がいないいま、局長がなにをいっているのかはわからない。だが、さきほどの局長の剣幕から、おれの願いどおりの展開にはなりそうにはない、という予想はできる。
「局長は馬鹿だ」
野村が左隣でつぶやいた。
おれも同感だ。
これだけ頑なに拒否り、死のうという意味がわからない。
仲間や親族をふくめた、かかわりのある人たちに詮議や迷惑をかけぬためなのか。武士の矜持を護るためなのか。幕府や将軍という象徴を失い、仕え護る対象がなくなったためなのか。
局長の真意は、わかるはずもない。いや、もうこうなったら真意などどうでもいい。
生き残れるチャンスは、いままでに何度もあった。局長は、それをみずから放棄したのである。そして、この土壇場で得たチャンスですら、一蹴した。
生き残ろうという気力がないのかもしれない。周囲に怯えつつ、あるいは気を遣いつつ、みじめな思いをしながら逃げつづける勇気がないのかもしれない。
だが、副長はどうなる?親友どころか、兄弟といってもいい副長のことはかんがえないのか?すべての責任とおおくの生命をおしつけるばかりか、局長を喪った哀しみを一生涯背負わせるつもりなのか?
副長は、自分のためではなく局長のためにがんばってきた。いや、生きてきたといっても過言ではない。そのことは、局長もわかっている。わかっているのに、なにゆえ副長のために生きようとしないのか。
副長だけではない。兄弟というよりかは、親子みたいな関係の沖田もいる。かれは、病死という運命に逆らうべく丹波で療養している。本来なら、この曇天の下、千駄ヶ谷の植木屋で労咳のために臥せっているはずだった。しかし、現実には丹波にいる。そこで、元気を取り戻すべく、それどころか病をも克服する勢いでがんばっているはずである。
それもひとえに、父親ともいうべき局長を護るためである。いっこくもはやく復帰し、局長の親衛隊長としてその生命と矜持を護り抜くつもりなのである。
沖田のその想い、いや、意地はすさまじい。だからこそ、それが原動力になり、かれにがんばる力を与えているのかもしれない。
それが、喪われようとしている。
局長は、それも重々わかっている。副長の想いと同様に。それなのに、その想いや努力をもスルーし、依怙地に我をとおそうというのだ。
現代とは生死そのものや、生き様死に様の解釈はちがう。「そういうものじゃない。そういう問題じゃない」といわれれば、そうなんだろう。
親友や仲間や身内のために、生き恥をさらしてでも生き残ろうとしない局長は、弱虫で頑固で馬鹿だ。
なにゆえ、なにゆえ残される者のことを、副長や沖田やおれたちのことをかんがえてくれないのだろう・・・・・・。
無力感と口惜しさがどっとおしよせてくる。
「局長は馬鹿だ」
野村は、おなじフレーズを飽かずに繰り返している。
ときにすれば数分。だれもが、局長と双子をただみ護っている。
矢来の内側も矢来の向こうも、人間はただ、息をひそめているだけである。
視線を中央へと戻す。
土佐藩の立会人は、殺されそうになったショックからようやくさめたようである。だが、これ以上地雷を踏みまくれば、つぎこそは頸を刎ねられる。それを悟ったのかもしれない。尻餅ついた姿勢のまま、局長が双子になにかをいっているのを、ただじっときいている。
双子は、瞳にみえてシュンとしている。尊敬している父親から叱られているような、そんなシュン太郎ぶりである。
そして、ついに動きがあった。
双子が同時に深く頭をたれ、立ち上がったのである。
双子が向き合い、俊春がなにかいいかけた。が、俊冬ははげしく頭をふった。それから、俊冬は弟の肩を「二王清綱」を握らぬ方の掌であらっぽくおした。
俊春は拳を握り、いい返そうとしてあきらめたようだ。華奢な両肩を落としつつ、水をたたえた桶の側に片膝ついて控えた。
かれは、介添え人の役目をするのか。
つぎこそは・・・・・・。
またしても心臓が、バクバクと声にもならぬ叫びをあげはじめた。




