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狼たちの怒り

 俊冬がなにかしらの合図を送ったのだろう。俊春は縄抜けし、おれの横からいっきに飛んだか駆けたかし、10mほどさきにいる土佐藩の立会人をひっつかみ、そこからまた12、3mほど離れた中央に掘られた穴のすぐ側まで運んだのだ。


 土佐藩の立会人は掘られた穴のきわでうつ伏せにされ、頭部は穴にさらされている。つまり、局長の状態とほぼおなじというわけだ。


 その背を右膝でおさえ、右掌で赤熊のモフモフの房飾りをつかんでおさえつけているのは、俊春である。


「二王清綱」の剣先は、土佐藩の立会人のあらわになっているうなじにいまだ吸いついたままである。


「愚かなる人間ひとよ。どうだ、いまより頸を刎ねられる気分は?」


「二王清綱」を握る俊冬の声音は、冷ややかでかたい。


 そのときまた、ファンタジックな光景が眼前にあらわれた。


 二頭の狼・・・・・・。


 一頭は獣の王のごとく堂々と佇立し、牙をむいている。もう一頭は、この世界を荒らしたおろかな人間ひとを、立派な前脚でおさえつけている。


「狼だ・・・・・・」


 左隣で、野村がたしかにそうつぶやいた。

 

 そっと周囲をうかがうと、あらゆる人の表情かおに、畏怖と敬虔さがいりまじっている。


 さらに、副長たちへと視線を向ける。


 編み笠をとり、矢来にとりすがっている副長の表情それは、こちらがどきっとするほど悲哀に満ちている。

 その左右にいる永倉、原田、島田もまた、俊冬と俊春の決死の行動を涙を流しつつみ護っている。


「みよ、人間ひとよ。だれか一人でも、貴様を助けようと動こうとしておるか?われらを討とうとする者がおるか?」


 俊冬は、悪意ある笑声をあげる。途端にファンタジックな光景が消え去り、リアルな光景それがとってかわる。


「た、助けてくれ・・・・・・」


 まさか自分の頸が転がることになるなんて、土佐藩の立会人は夢にも思わなかっただろう。

 かれは、自分の頭が転がり落ちることになるかもしれない穴をみおろしつつ懇願する。

 

 かれの側の人間ひとたちは、いずれも微動だにせず、ただじっと静観している。


 双子にかなうわけもないという気持ちもあるだろうが、自業自得だという気持ちもあるにちがいない。


「命乞いとはな。貴様はそれでも武士さむらいか?百姓でも、毅然としているぞ」


 せせら笑う。かれのことをすこしでもしっているおれには、いまのかれはわざと悪役ぶっているようにしか思えない。


「ことわる、人間ひとよ。貴様は、わたしを起こしてしまった。すべては遅いのだ。あの世へゆき、坂本や中岡に詫びる機会を与えてやる」

「ひいいい・・・・・・。な、なんでもする。なんでもするから、許してくれ」


 が、その懇願がききいれられるわけもない。

 俊冬は、「二王清綱」を両掌で握りなおすと、体ごと土佐藩の立会人に向き直った。

 冷ややかな笑みを浮かべたまま、「二王清綱それ」をゆっくりと振りかぶる。


 刀の剣先は、ふたたび天をさす。


 マジでだれもとめないのか。土佐藩の者でさえ。

 

 いや・・・・・・。とめようにも、勇気がないとか、ビビッて体が動かないとかなのか。それとも、はったりだとたかをくくっているのか。あるいは、「これは悪夢。覚めたら布団のなかなんだ」と、寝落ちと思い込んでいるのか。


「案ずるな。あっと思う間もなくおわる。本物の横倉喜三次より、はるかにうまくやってみせる。刃を中途でとめ、ひいたりおしたりせぬ。文字どおり、死ぬほど痛い目にあわせるようなことはせぬ」


 俊冬は、故意に恐怖心をあおりまくっている。


「ほ、本物の横倉喜三次よりもうまくやる?断言するということは、よほど腕が立つのだな」


 公卿が緊張でかすれた声で問う。


 ってか、そこかいっ!


 土佐藩の立会人の生死より、そっちのほうが関心度が高いんだ。


「横倉喜三次の腕前はしらぬ。なれど、わたしは人間ひとの頸を斬りなれておる」


 律儀に答える俊冬が、ちょっとかわいいかも。


「謝罪する。謝罪でも土下座でもなんでもする。ゆ、ゆえに、生命いのちだけは助けてくれ。殺さないでくれ」


 そして、いまにも頸を落とされそうな土佐藩の立会人は、横倉喜三次との比較より、自分の生命いのちのほうが関心度が高いってわけだ。


 まぁ、当然といえば当然だろうが。


「「狂い犬」よ、しっかりおさえておれ。幾度もその猪首を切り刻むことになれば、やいばのほうがもたぬやもしれぬ」


 俊冬は、土佐藩の立会人の哀れすぎる懇願をスルーし、さらに恐怖心をあおる。


「やめよっ!」


 そのとき、ふたたび局長の静止が轟いた。


「二王清綱」の剣先が、ぴくりと震える。


武士もののふの矜持を、いたずらに傷つけるものではない。おまえたちのやっていることは、まさしくおまえ自身が指摘していることではないかっ!」


 局長は、双子をようしゃなく責める。


「すまぬ。わたしが、おまえたちにそうさせてしまっているのだな」


 そこで急に、声がやさしいものへと変化する。


「わたしが、おまえたちに意に添わぬことをさせてしまっているのだ。だが、もうよい。ときを稼ぐ必要はない。いくらときを稼ごうと、わたしの覚悟はかわらぬのだから。俊春、その方を解放して差し上げてくれ」


 局長・・・・・・。


 こんなシチュエーションだというのに、あまりにも人がよすぎるじゃないか。

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