近藤勇 刑場入り
真ん中に、2m×1m程度の長方形の穴が掘られている。ここからではみえないので、深さはわからない。
その穴の手前に筵が敷かれ、手桶が置いてある。
通常なら、同心やら与力やらが控えているのだろうが、いまそこには敵軍の兵士や士官が控えている。
ご丁寧に、筵で天幕を張った臨時の立会人席がつくられている。そこには、ずいぶんと立派な軍服に身をつつんでいる男と、赤熊の房飾りをつけた上級士官、それから白熊の房飾りをつけた上級士官が床几でふんぞりかえっている。そして、その周囲にはとりまきらしき士官がいる。いずれも、赤色か白色の腕章をつけている。
赤色は土佐藩、白色は長州藩の標である。立派な軍服のほうは、どこか洗練されていて気品があるところから、公卿なのかもしれない。
斬首に反対した薩摩は、一兵卒たりともいないのかもしれない。
つまはじきにされたのか、あるいは薩摩藩のほうが参加を拒否したのかも。
そこからすこしはなれたところで、赤色や白色の腕章をつけた兵卒の姿もみえる。いずれも、居心地が悪そうだ。
おれたちは、隅っこの方に敷かれた筵の上に並んで正座させられた。
ちゃんと整備されていない土の上である。筵を通し、いくつもの小石が脛にあたる。
背後をうかがうと、おれたち三人それぞれに一人ずつ兵士が立っている。見張りであろう。が、ガチに双眸を向け見張っているわけではなさそうだ。どの表情も、うんざり感が半端ない。
斬首などというものにひっぱりだされ、心底『勘弁してくれ』と思っているのかもしれない。
蒸し暑い。額や背中に気持ちの悪い汗が浮かび、ゆっくりと流れてゆく。背中は兎も角、瞳に汗がはいると痛い。
それを回避するため、相貌を曇天に向けてみた。二羽のツバメが、低空飛行している。
戦闘機みたいなその滑空は、梅雨空を思いださせてくれる。
「大丈夫か?」
俊春が、おれの右横でかぎりなくちいさな声できいてきた。
おれがぼーっと空を見上げているので、どうしたのかと心配になったんだろう。
「ええ、いまのところは。意外と落ちついています。利三郎、おまえは?」
左横の野村に尋ねた。
「わたしもだ」
前方、矢来の向こうをひたとみつめたまま、かれはマジな表情でささやいた。
いったい、どれだけの人がみにきているんだろう。
正座しているので、矢来の向こうにどれだけの人々が集まっているのか想像もできない。
町人っぽい人々がほとんどだが、帯刀している浪人風情もちらほらまじっている。
正直、そんなことを冷静に観察できる自分に驚いてしまった。
向こうのほうでざわめきがおこり、それが波になってちかくに波及してきた。
おれたちの周囲にいる兵士や士官もざわめいている。
馬にのせられ連行される局長の姿がみえたのは、それからすぐのことである。
黒羽二重に黒の紋付羽織で、月代も髭も剃っているだろう。
じつに立派な武士だ。
時代劇では、市中引き回しされていると見物人から罵倒や呪詛や、挙句の果てには石礫なんかが飛ぶものだ。が、どこからどうみても立派な武士の局長の場合はちがうみたいだ。
「きたぞ」
「あれが新撰組の……」
「気の毒なこった」
「南無阿弥陀仏」
どちらかといえば、好意的ともよべるざわめきである。
見物人たちのおおくが、幕府の庇護下で暮らしてきた人々である。それがなくなって時代はあたらしくなりつつあるとはいえ、そうころっときりかえられるものではない。かれらが親しんできた江城、つまり江戸城は、おれが嘆願書を持参し、とっ捕まった六日後に敵に引き渡されている。
江戸の町が焼かれずにすんだとはいえ、彰義隊などがゲリラ活動し、敵は当然のことながら各地で小規模に戦闘をつづけている。
おそらく、戦勝者の例にもれず、町中でやりたい放題やっている敵の兵士もすくなくないだろう。
つまり、大局をみれば江戸の町の人々は敵をよく思っていないということだ。
それが、いまの馬上の局長にたいする言葉にあらわれているにちがいない。
矢来の一部が開けられ、一行がなかに入った。がっつり切縄で縛られている局長が、馬上から引きずりおろされるのをみて、はじめて心臓がズキンと痛んだ。その痛みはどんどん増し、ひろがってゆく。呼吸が苦しくなってきた。鼓動がどんどんはやくなり、いつ止まってもおかしくないかのような錯覚を抱かせる。
過呼吸にちがいない。こんなこと、現代でどれだけストレスがたまったときでもおこしたことはない。
まずい。
「主計、わたしの呼吸を感じろ」
そのとき、右耳にささやかれたことで、俊春がおれにぴったり寄り添っていることに気がついた。
うしろに立つ見張り番たちは、局長に注目していている。
俊春がよりかかってくれたおかげで、かれの呼吸を感じることができる。
深く吸って、ゆっくりと吐いて……。それを数度繰り返すと、鼓動も気分も鎮まってきた。
「大丈夫か、主計?」
左耳に、野村の心配げな声が入ってきた。
そちらに相貌を向けてかすかにうなずくと、かれは泣き笑いの表情になった。




