刑場へ・・・・・・
「無念でならない・・・・・・。わたしは、局長を斬首にする敵を赦さない。ぜったいに赦すことはできない」
大粒の涙がうつむく野村の頬をつたい、畳に黒いシミをつくる。
そうだ。みな、おなじ気持ちだ。おなじ気持ちなんだ。
かれの背をなでながら、おれも泣いた。
しばらくすると、どこかの藩の半小隊だろう。十五、六名でむかえにきた。
みな、ミニエー銃を装備している。
隊長らしき男が牢役人に牢の鍵をあけさせ、おれたちに縄をかけるように命じた。
が、牢役人も臨時に任命されたただの兵士。おれのときのムッツリ君同様、縄の掛け方などわかるわけもない。
「わたしが二人に掛けましょう。よくみておいてください。わたしのは、あなたがたに掛けてもらわねばなりませぬゆえ」
なんと、セルフサービスってやつだ。
俊春が申しでると、牢役人も隊長もホッとしたようである。
「切縄という、死罪以上の罪人にかける方法です」
滑稽すぎて苦笑してしまう。
俊春の実地研修を、牢役人だけでなくむかえにきた兵士たちものめずらしそうにみている。
これでプールに放り込まれ、見事脱出してみせる。なーんてマジシャンっぽいことをやるのも一興か。
腕と脚を、別々の縄で頑丈にかけてくれた。腕の方は、頸にまわした縄をたらし、後ろ手に縛り上げられた。脚は、脚首にがっつり掛けられている。
が、手首までがっつり縄を掛けられている途中、俊春は垂れ下がった縄の一本を、右の親指と人差し指におしつけてきた。
すぐに、それを二本の指ではさむ。
おそらく、これをひっぱれば解ける仕組みになっているにちがいない。
さすがは、リアルに同心をやっていただけのことはある。
いまさらながら、俊春は同心として京で活動していたんだったと思いだした。
最初に出会ったとき、かれは同心だったのである。
牢役人は、おれと野村の二回分をみただけでは覚えきれなかったらしい。
俊春からああでもないこうでもないと指示されつつ、かれの腕と脚に縄をかけることができた。
俊春がいなかったら、テキトーにかけていたにちがいない。
もっとも、それは敵の都合であって、おれたちにはどうだっていことだが。
刑場は、馬の死体や行き倒れた人間を葬る馬捨場だけあり、歩をすすめるごとにゾクッとする感が半端なく襲ってくる。
おれ自身霊感はないが、そのことをしっているからであろう。たしかに、なにかを感じる気がする。
正直、ここで自撮りをする気にはならない。もちろん、集合写真とかも。一人二人人数が増えていたり、腕やら脚やらが人数分以上にょきにょきはえていそうだ。
急ごしらえの刑場は、時代劇によくでてくる磔などとほぼおなじである。
まさしく、時代劇にでてくるセットのまんまだ。
おれたちは半小隊に護られ、ってか、警備され、矢来の内にはいった。
矢来の外には、おおくの人々がおしかけている。
死刑には種類がある。
主殺しなどの重罪に適用される極刑で、鋸挽というものがある。市中引き回しの上、頸だけ箱の上にだして埋められ、二日間生きたまま晒される。そののち、刑場で磔にされるのだ。
磔は、刑木に磔にされ、突き手が槍や鉾で二十、三十回突き刺し、そのまま三日間晒される。
獄門は、牢内で処刑され、刑場にて罪名を記載した木札とともに頸をさらされる。三日間の後、頸は処分されても木札は三十日間さらされる。
火罪は、その名のごとく放火犯におこなわれる死刑である。市中引き回しの後、刑場で磔にされ火あぶりされるのだ。死体は、三日間さらされる。
死罪は、牢内で処刑される。刀の試し斬りにされるのだ。それを、様者という。山田浅右衛門が、試し斬り役をやっていたのは有名な話である。
代々山田家の当主がその名を名乗り、罪人の頸もきっていたことから、「首切り浅右衛門」と呼ばれていた。
それは兎も角、死罪の場合は財産も没収されるという、闕所が付加刑としてつく。
おなじ死刑でも、下手人は、もっとも軽い。牢内で処刑され、様者にされることなく遺体は家族に下げ渡される。
切腹も、場合によっては死刑になる。もちろん、武士にのみ許されるものである。責任をとって切腹なんてことはあるあるだが、そういったことは死刑の意味合いにちかいという。
そして、これもまた武士にのみに適用されるのが、斬首である。様者にされることはないとはいえ、武士にとっては無念きわまりない刑である。
局長とおれたちは、この斬首を執行されようとしているのだ。
おまけのおれたちは、時代劇みたいに見物人の間を通るわけでもなく、脇からこっそり矢来の内に導かれたのだ。




