副長の嘆き
「それと、暇乞いについては、もともと許すも許さねぇもねぇ。おまえらを縛りつけてるつもりはねぇからな。自由にやってくれ。だが・・・」
副長は、中腰の姿勢で俊冬の懐を脅かす位置へと移動する。
「いまやおまえらは、おれたちのかけがえのない仲間なんだ。先日の忠助と久吉とおなじだ。かえるべきところは一つしかない。なにがあろうと、戻る場所は一つだ。なにがあろうと、な」
副長は、片方の掌でかれの肩をつかみ、もう片方の掌で相貌をあげさせる。
俊冬の体が一瞬硬直したのは、驚いただけだろうか。
「わたしは・・・」
俊冬の口が、ひらきかけたがとじてしまった。
かれらしくなく、かなり葛藤しているのがうかがえる。
「わたしは・・・。申し訳ございません。副長の信を得るだけの男ではございません。なれど、なれど弟は、ちがいます。弟は・・・」
「おい、なにをいってる?しばしの間であろう。おおげさなことを・・・」
「いまは、詫びるほかございませぬ。どこにおりましょうとも・・・」
かれは、泣き笑いの表情を浮かべた。それがあまりにもはかなく、かれ自身の肉体も精神もどこか遠くにいってしまうような、そんな錯覚を抱かせる。
副長も同様だったらしい。動揺のあまり、かれの肩に置かれる掌の力がゆるんだ。
そのすきに、かれは神速で体をひき、はっとしたときには庭に立っていた。
「案ずるな」
かれは、脚許にちかづいてきた相棒の頭をやさしくなでる。
なにかいわねば、ひきとめなければ、と頭のなかではわかっている。もちろん、心のなかでも。だが、口や腕や脚に、その指令が届かぬようだ。
まるで金縛りにでもあったかのように、動けないのである。それこそ、指一本すら。口の端を動かすことすらできない。瞳だけは、かろうじて動かせるようだ。
副長と島田を、なんとか確認する。
二人も、おれ同様に動きを封じられているのか、その場で硬直している。
「弟を、お願い申し上げます」
かれはそれだけいうと深々と頭をさげ、燭台の灯の届かぬ暗がりのなかへと消えた。
「副長、よかったのですか?」
「そうですよ、副長。あまりにも様子がおかしすぎます。それこそ、まるで死ににゆくかの・・・」
副長は、俊冬が去った庭をじっとみつめている。島田とともに、その背に訴えかける。
自分でいいかけておきながら、背筋をはしる悪寒と、胸中をじわじわとおかす不安とで、思わず言葉をとめてしまった。
「なにがあったのか。否、なにがあるのかは想像もつかねぇ」
おれたちに背を向けたまま、副長はつぶやく。畳についている膝を曲げ、いったん腰を浮かせてから胡坐をかきなおす。
「そんな悠長な・・・。なにかあってからでは・・・」
「主計っ!」
声はさほどおおきくないが、島田にするどく呼ばれ、びくりとしてしまった。
島田は副長の心のなかを推し量り、おれをとめたのであろう。
「島田、らしくない。落ち着け」
その冷静なまでの一言に、島田ははっとしたのであろう。素直に座りなおす。ゆえに、おれもそれにならった。
「いまのあいつは、奈落の底にいるみてぇに独りで苦しんでる。俊春も同様だろうよ。その苦しみに、不覚にも触れるのが怖かったんだ。くそっ!おれに勇気さえありゃぁ・・・」
おれたちにというよりかは、自分自身にいいきかせているにちがいない。
副長は太腿に肘をおき、そのまま両掌に相貌をうずめた。
副長だけではない。島田やおれも、俊冬が苦しんでいることはわかっている。そして、それに寄り添うことなど、到底できぬということも。
「かなり思いつめた様子でした。まさか、一人で局長を助けだすつもりでは?」
「いえ、島田先生。そんなことを局長が許すわけはないですし、そのときになって局長が逃げるとは思えません。そのことは、おれたち同様、俊冬殿も承知しています」
「では、香川など、敵の主要人物を暗殺するとか?いや、拐かすとか?」
「それらも、局長の意にそいません。それに、かれにすれば、暗殺したり拉致するのは、ある意味難しくないでしょう。それこそ、一時(約二時間)もあればすむ話です。弟のことを託すなんて、よほどのことですよ」
島田にいいつつ、自分のなかで推察してみる。
「かっちゃんにかかわりのあることってのは間違いねぇ」
副長が、両掌に相貌を埋めたままささやく。
現代でみた、漫画や小説やドラマや映画のなかで、こういうストーリーはなかったろうか。




