表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

697/1255

卵焼き

 古典落語の「王子の狐」の舞台になった王子にある玉子焼きの老舗は、たしか1600年代中頃の創業であったと記憶している。局長の大好物「ふわふわ卵」も江戸の人たちには人気だが、その老舗の玉子焼きもかなり人気だとか。


 あいにく、その老舗の玉子焼きを喰うチャンスはなかったが、この卵焼きはそこにひけはとらぬはず。


 医学所の人たちも、うまいうまいと喰っていた。


「こりゃぁ「扇〇」のよりうめぇな」


 松本である。蘭方医なのに、卵焼きを人の二倍も三倍もおおく喰い、コレステロールを摂取しまくっている。


「あそこのはうめぇが、買うのにときがかかっちまう」


 口コミがすごいし、食べログの評価も上々。関東の番付は大関。ミシュラン級ともなれば、人々はこぞって買い求めようとするだろう。


 日本人が並ぶのは、なにも現代だけではない。


「二人は、ときどきつくってくれてな。みな、よろこんでる。いまにもくたばりそうなじいさんまで、あいつらの料理喰いたさに、新撰組に入隊したいっていって笑ってた」


 喰いながら、松本が笑う。


「しかも、病人にはその病にあった調理法でつくってた。どこで覚えたんだろうな」


 そして、声をひそめていう。


「局長のストレス性胃炎、もとい、胃の腑の痛みも、かれらの料理やリハビリ、もとい按摩や鍼などでよくなったんですよ」


 おれがいうと、松本は苦笑する。


「近藤さんの胃の腑を屯所で診たとき、かなりひどいんでしばらく湯治場で休息するよういったほどだ。肩の怪我のとき、ずいぶんとよくなってたんで、てっきりしばらくゆっくりしてたんだと思ってたが……」


 松本は卵焼きを頬張りつつ、ぶっとい頸をひねる。


「法眼。あいつらは、新撰組おれたちのものです。いかに法眼の頼みでも、あいつらを譲ることはできませんよ」

「なんだって、土方?けちくせぇこと、いってんじゃねぇよ」


 松本は、口のなかの卵焼きをごっくんし、つぎは飯を頬張りつつ、副長にクレームをつける。


 いまのは、副長が話の視点を意図的にずらしたのであろか…・・・。


 そのことを、松本も気がついたはず。が、そうと気がつかぬふりをし、そう返したにちがいない。


 副長は、双子のことでなにか隠しているのだろうか。どうもなにかがひっかかる・・・。


「法眼。お世話になりました。つぎは会津で、ですな」


 腹もいっぱいになり、あたりが暗くなったので、今戸に出発することになった。


 松本は、医学所の門っぽいところまでみ送りにきてくれた。


 島田たちの分の食料は、竹の皮やいただいた鍋にいれて風呂敷で包み、俊冬とおれとで掌にさげたり、背に負ったりしてもっている。


「正直、近藤さんのことがあるんでな。処分がきまるまで、江戸からでたくないんだけどよ」


 松本は、心底局長のことを心配してくれている。ありがたい話である。しかし、そのために会津ゆきが遅れてしまえば、かれを必要としている怪我人や病人に影響をおよぼすかもしれない。


 それに、これだけ親身になってくれている松本に、真実を隠しておくのも、正直、気がひけるのも事実。

 まぁ、おれのことをしらないのである。隠しとおすことはまったく問題はない。おれ自身の心のもち方である。


 真実をしれば、松本はどうするだろう。かれなら、いますぐにでも板橋に駆けつけ、直談判しそうである。

 かれは、それだけの行動力があり、義侠心の厚い人だから。


 心中の葛藤は、当然のことながら表情かおにでている。副長も俊冬も相棒も、おれをみている。


 その二人と一頭のは、「告げるか告げぬかは、おまえしだいだ」といっている。


 その六つのの力に背をたたかれ、おれは決意した。


「松本先生・・・」


 ついに、口をひらく。



「なにがおかしいんですか?」


 副長の背に、尋ねる。両肩がふるえている。笑っているのだ。その隣をあるく俊冬が、頸だけかたむけ、傷のあるほうの横顔をこちらへ向ける。


 そこには、やさしい笑みが浮かんでいる。


「てっきり、いっちまうかと思った。ゆえに、内心、焦っちまった」


 副長は、まえを向いたままいう。


 おれたちは、人どおりのない往来をあるいている。今戸へ向かっているのである。


 左脚をみおろすと、相棒がみあげている。相棒も副長と同様、焦っていたのだろうか?


「おれの選択は、間違っていたのでしょうか?」

「どっちが正解で、どっちが間違ってるって問題じゃないがな・・・。おれは、さっきのでよかったと思ってる。おれがおまえでも、そうしただろう。ゆえに、おかしいんだ。おれの期待にこたえてくれたことが、うれしくてな。つい、わらっちまったってわけだ。たま、おまえはどう思う?」

「わたしも、同感でございます。松本法眼は、誠にまっすぐなお方です。それに、武士さむらい以上に士道を重んじてらっしゃる。医師であるからという以上に、他人ひとを尊重するという気持ちも強くていらっしゃる。誠のことをしれば、いまごろ、板橋に駆けていらっしゃるはず。ゆえに、主計、おぬしの判断はよかったのだ」


 そうなのだ。おれは、松本に告げなかった。いや、告げることができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ