深更の深川飯
副長はときさんについてゆき、おれは相棒を連れて建物の外をまわって庭にいってみた。
庭は、よくあるパターンで居間に面している。おおきな桜の木が一本植わっていて、かかり稽古をするには狭いが、素振りや居合の型をするにはじゅうぶんなおおきさである。
縁側にあがるのに、そこに腰をかけて軍靴をぬいだ。沓脱石の上にきっちり並べておいてみたが、ふと片方を掌にとり、相貌から50センチくらいのところでかざしてみた。
うわっ・・・。
ムレムレだ。しばらくの間草履でいたから、脚もこの突然のムレムレ感の再来に、とまどっているにちがいない。
ふと、相棒をみてみると、おれから5mほどはなれたところで、立ったままじっとみている。
めっちゃ眉間に皺がよってる。しかも、白目で舌をだしてる。ってか、それって、猫のフレーメン反応じゃないか?まぁたしかに、ほかの動物、たとえば牛や馬なんかでもあるはずだが、犬もそんな反応を示すんだっけか?
おれの靴臭は、相棒に猫の真似までさせてしまうほどひどいのか?おれは、ぶっちゃけスメハラ野郎ってことなのか?
まぁ犬の嗅覚は、人間の100万倍から1億倍といわれている。訓練を受けた警察犬や麻薬探知犬といった使役犬なら、後半の値にちかい。
「相棒、わるいな。軍靴はこっちに置いておくから、ここでお座りしててくれ」
べつに機嫌をとるつもりもないが、鼻のいい相棒に軍靴のちかくでお座りしろというのは、ある意味虐待である。
軍靴を縁側の端までもっていき、地面に置いた。それから、居間で座っている副長の隣、すこし下がった位置に正座した。
床の間のちいさな花瓶に、花しょうぶがいけてある。
ほどなくして、廊下をどたどたと駆ける音が・・・。
「無事だったか、ええっ?」
松本が、すごい勢いで居間に駆け込んできた。
「あらあら、ご主人様。ご無事です、とお伝えいたしました。おどきになってくださいな。土方様たちは、お腹がすいていらっしゃるはずでございます。人心地ついていただくのが、さきでございましょう」
奥の襖が音もなくひらき、そこにときさんが三つ指ついている。めっちゃ冷静に夫をたしなめてる。
「あ、ああ。そうだったな」
後年、日本の陸軍の初代軍医総監にまでなるかれも、奥方のまえではただの旦那のようである。
松本は、不貞腐れて居間のすみのほうに胡坐をかく。
その間に、ときさんは膳を胸元に抱えてはいってき、副長とおれのまえにおいてくれた。
「たいしたおもてなしができず、申し訳ございません」
膳の上には、なんと深川めしがのっている。それと、沢庵とすまし汁も。すまし汁には、溶き卵が彩を添えている。
「兼定にももってまいります」
「す、すみません」
恐縮してしまう。
ときさんは、相棒にはすまし汁のぶっかけ飯に、沢庵を添えてくれた。
「いただきます」
掌をあわせ、感謝の言葉を唱えるのももどかしく、膳の上の箸をひっつかむ。
一心不乱に深川めしをかっこむ。とはいえ、しっかりと味わうことも忘れない。
ぷりっぷりのあさりに、飯はあさりのもつだしがきいてる。ときさんの味付けもいい具合である。生姜が、ほのかにきいてる。こまかく刻んだ葱も、いい仕事をしている。
あさりがこれだけはいっていたら、フツー、噛んだ瞬間に「じゃりっ」って一つくらいは大当たりするもんだが、一度もそんなふうにならない。
ってまてよ・・・。
これって、炊くのに時間がかかるのではなかろうか?いや、それ以前に、あさりは砂抜きとか必要なんじゃ・・・。
「じつは、ここ数日のうちに会津にゆく予定でな。それまでの間に、医学所で用事をすませにゃならん。暗いうちからゆくんで、今朝は、ときがこいつをもたせてくれるつもりだったんだろうよ」
尋ねてみると、松本がそう教えてくれた。
昨日、あさりが手に入ったとか。それでさっそく、というわけである。
なんでも、松本の分だけではなく、医学所で働く先生や看護人や小者や入院患者の分まで、夜中までかかって大量につくり、もたせてくれるらしい。それが、今夜は深川めしで、いままさに炊き上がったタイミングで、おれたちが訪れた、というわけである。
なんてグッドタイミング。
神様、感謝します。
でっ結局、副長もおれも、丼三杯分を喰ってしまった。
あつかましいにもほどがある。




