おまささんの実家にて
屯所でぶらぶらしていた永倉も、ついてきてくれるという。
連れ立って、原田の奥方おまささんの実家へ向かう。
おれや子どもらの着物を見繕うという話だったので、原田の奥方の実家は、呉服問屋とばかり思い込んでいた。
いや、たしかに着物も取り扱っている。ただ、それだけではなく、日用品や刀を取り扱っていたり、さらには貸し金まで・・・。
いわゆる、万屋である。
おそらく、原田が奥方に頼んでくれていたのであろう。原田だけでなく、奥方も、息子を連れて実家でまっていてくれた。
亡き将軍徳川家茂の一字を名にしている原田の息子は、それはそれはでかい赤子である。もちろん、かわいい。念のため、いっておかなければ語弊があるかもしれないが、ぱっとみ、かわいさよりもでかさのほうが目についてしまう。
まぁ、原田はでかいので頷けるが、奥方のおまささんは、この時代の標準的な女性と比較しても、小柄な女性である。
しかもこの時代、現代のように設備の整った産院で、いたれりつくせりの状態で産むわけではない。当然であるが。自宅で、近所の産婆が取り上げるのが一般的であろう。
この母親の体型にしてこのおおきさの赤子だとすれば、絶対に大変だったに違いない。
母は強し、とはよくいったものだと、つくづく感じる。
「話はきいてまっせ」
隠居したおまささんの父親が、応対してくれた。
おまささんの兄が跡をとったらしいが、この日はあいにく留守である。大坂にいっているらしい。
おまささんは、小柄だがきれいである。
局長のお孝さんのように華やいだ美しさというわけではなく、地味に美しい。もっとも、元芸妓のお孝さんも、その世界でみればさほど派手、というわけではないのであろうが。
おまささんの父親もまた、小柄である。ニコニコと笑みをたやさない、典型的な上方の商売人、という感じである。
子どもらはできあがった着物を試着し、おれは体のサイズを測ってもらった。
着ているものを脱いでくれ、と手代にいわれたが、斬られた傷を理由にごまかし、着物の上から測ってもらう。
おおきくても、着物だったらどうにでもなるであろう。
昼飯は、おまささんの父親がちゃんと用意してくれていた。
おまささんの家の使用人がつくってくれた料理で、白い飯に煮炊き物、汁物に焼き魚、と膳に並ぶ。
この時代、朝、昼、夜、ときっちり食べる習慣はまだない。すくなくとも、一般の町や村の人にはない。
新撰組は、隊士たちの労働力の激しさから、朝夜はがっつり、昼は握り飯に汁物、と軽く食べる程度である。
この日は、特別だったにちがいない。
そして、量が半端ない。原田は、家でかなり食べているのか。
それを、おまささんが実家に告げたに違いない。居間に運び込まれたお櫃は、じつに五個。何合分の飯になるのかはわからないが、おれは食いきれない、と確信する。
おまささんの父親は、相棒の分のぶっかけ飯まで用意してくれた。
庭で、椀に盛られたぶっかけ飯。
相棒は、「よし」、が発令するまでそのまえでお座りし、冷静な風を装っている。
「兼定は犬なのに、沢庵が大好物なんですよ、義父上。もしあれば、やってくれませんか?」
原田がいうと、おまささんの父親は驚いたようである。だが、使用人にいってすぐに準備してくれる。
おまささんの家の糠床からとりだしたばかりであろう、沢庵。厨から庭まで運ばれるまでに、すでに相棒のすぐれた鼻は、それを察知する。
輝く瞳。土を掃く尻尾。
使用人から沢庵の皿を受け取り、それをぶっかけ飯に添えてやる。
それを、じっと追う瞳が怖い。
「相棒、まだだ。今日は、はじめてうかがったお宅で用意してくれた食事だ。行儀よく食すように」
厳かに告げ、ふと思いつく。
「最近、宅内でなにかなくされたものはありませんか?」
おまささん父娘に問うと、父親は、しばらく指を顎に当て考えこむ。
それから、やや間をおき、両掌をうちあわせる。
「父親から形見に譲り受けた印がなくなっているのに、つい最近気がついたのです」
父親はその印を袋に入れ、ときどきもちあるいていたらしい。すこしまえ、その袋を寝室の文机の上の小さな木箱に入れ、そのまま放置したのだという。
「探したがみつからなかった。まさか、使用人が盗ったというのも考えにくく、わたしが置いたと勘違いしているのだと・・・」
父親は、そうしめくくる。
いい男だと思う。けっして他人の所為にせず、自分の胸にとどめて諦めようとしている。
「ご飯をいただいたお礼に、宅内を探してみましょう。みつかる、というお約束はできませんがね」
おまささんの父親に、そう告げる。それから、いよいよ相棒に向き直る。
これ以上我慢させるのは、あきらかに虐待である。
「相棒、というわけで、食後は捜索活動だ。よし、いいぞ」
相棒は、許可がでるなりわきめもふらずにがっつく。
「おおっ」「まあっ」
おまささん父娘の驚きが、なににたいしてかはわからない。兎に角、相棒は、ぶっかけ飯と沢庵を馳走になった。
そして、おれもたらふくよばれた。
これだけ喰えるということは、傷もよくなりつつあるのであろう。
驚くべきことに、三人の大人と四人の子どもたちで、五個のお櫃を空にしてしまった。