犬好き有馬の提案
「それ以外んこっも、きいちょっ」
有馬は、陽にやけた相貌を庭に向ける。
縁側の向こうの庭で、相棒がお座りしている。それに気がついたらしい。
途端に相好を崩す。
わお。ここにもまた、犬好きが一人・・・。
「ききしに勝っ精悍な犬じゃなあ。薩摩兵児んごとしじゃ」
有馬は、おれのほうをみていう。
すごい。相棒が、おれの相棒だってわかってるんだ。
ここ、強調するところなのでくり返すと、おれの相棒だってことが、わかってるってことだ。
有馬藤太・・・。
なんていいやつなんだ。惚れてしまいそうになる。もちろん、副長や伊庭とはちがう意味で、だが。もちろん、副長や伊庭も、ちがう意味で惚れているのはいうまでもない。
といういい訳はどうでもいいとして、かれのいう「薩摩兵児」とは、薩摩の若者のことをいう。
兵児というのは、かれらが腰にしている白木綿の帯のことである。
まさしく、この戦の薩摩兵のファッションからきている言葉なのである。
薩摩兵児謡、というものがある。めっちゃ方言なので、そのままでは意味不明である。はやい話が、薩摩男児の心意気を謡ったものである。
「よかね、犬は。わっぜ好いちょっ。名は、たしか半次郎どんの得物とおなじ・・・」
「兼定です。あっそういえば、京でかまれた人がいるはずですが・・・」
大坂城の蔵から十八万両分の金銀財宝を運びだした際、それを嗅ぎつけ奪おうとしたのが、半次郎ちゃんたちであった。その際、相棒が半次郎ちゃんの手下の一人に、力いっぱいかみついたのである。
「ああ、あれか・・・」
副長がつぶやく。
その際、斎藤が、いつも自分がもちあるいている「石田散薬」を、宇宙一効く薬みたいに告げ、半次郎ちゃんに渡したのである。
副長は、そのことを思いだしたのであろう。
「たしか、そちらからもろうた薬を呑んだとか。焼酎で呑ん薬とは、なんともかわったもんじゃと、半次郎どんな笑うちょった」
「「石田散薬」のことか?それで、そのかまれた者は?」
局長は、ショックを受けたらしい。自分のことは棚に上げ、「石田散薬」を呑んだ者を心配している。
「おそらく、江戸やろう。半次郎どん、おっと、桐野利秋どんの隊ん一員じゃで」
生きているかもしれない・・・。
副長が、ほっと吐息をもらしたのが感じられる。
それにしても、有馬は、半次郎ちゃんとめっちゃ仲がいいわけだ。
これだけいろいろ話をきいているのなら、双子の存在があろうとなかろうと、局長やおれたちの正体を見破ったにちがいない。
「二人には、薩摩藩、ちゅうよりかは西郷さぁな借りがあっと」
有馬はでれっとした表情をあらためると、相棒から双子へと視線を転じる。
「つぎは、おいどんたちがそいを返す番て思うちょっ。そいに、近藤さぁ。あたは、どことなっ西郷さぁに似ちょっ」
有馬は、双子から局長へと視線を向けると、声を潜める。
「陽が暮れれば、土地勘がなかおいどんたちは、どこをどう物見をすりゃよかかわかりもはん。不確かな情報をもとに、誠におっかどうかもわからん敵ん軍を一晩中かかって探し、結局、翌朝手ぶらでわが陣にもどっ、などちゅうこっはあってしかっべきやろう」
局長も副長も、有馬のあるある話に、同時に驚きの表情になる。
なんてこと・・・。
いくら双子に借りがあるとはいえ、敵まで局長を助けようというのか?
西郷と局長が似ている・・・。
有馬は、局長にもカリスマ的存在であることを直感したにちがいない。
しばし、沈黙が部屋のうちに満ちる。
有馬は、自分が提示した案について、局長に検討する時間を与えたのであろう。
「有馬殿。この近藤、其許のお気持ちに心から礼を申し上げる」
沈黙もそうながくはない。数十秒の間である。局長は、でかい相貌に満面の笑みを浮かべ、有馬に頭を下げる。
「なれど、わたしはゆくべきです。いまここで見逃してもらったとて、つぎも見逃してもらえるわけではない。ときが経てば経つほど、あらゆる状況が不利になり申す。ただ、土方をはじめ、これにいる仲間たちは、見逃していただきたい」
「かっちゃん、せっかくじゃねぇか」
「局長、有馬さんの案にのるべきです」
かたくなな局長は、この土壇場になっても、ぶら下げられた餌に喰いつかない。
副長にかぶせ、思わず怒鳴ってしまった。
双子も言葉にこそださないが、必死の双眸を局長に向けている。
「歳、主計、ぽちたま・・・」
局長は、困ったような表情で、一人一人をみてゆく。
その視線をしっかりとあわせてから、かんがえなおしてほしい旨を、アイコンタクトで伝える。
「頼む・・・」
局長のその一言に、またしてもうちのめされてしまう。




