今生の手打ち蕎麦
「局長、その・・・。なにか嫌な予感がするのです」
尾形がいいだした。
かれは、局長の信任の厚い監察方にして、文学師範である。どちらかといえば、おとなしめでインテリジェンスなかれである。なにか、そういう力でもあるのかもしれない。
「嫌な予感?まさしく、この事態がそうだな。さすがは、俊太郎だ。案ずるな。わたしは、斬られても死ななかった男だ」
局長は不死身宣言をしてのけると、豪快に笑いつつ立ち上がって尾形の肩を「局長バンバン」した。
「ならば、わたしたちはさきにゆきましょう。近藤さ・・・、いや、局長。わたしにも気合を入れてくれ。ただし、そっと頼む」
蟻通の頼みに、「無論だとも、勘吾」といって応じる局長。
蟻通は、泣きそうになるのを必死で我慢しているっぽい。
それから局長は、尾関にも「局長バンバン」を喰らわせる。
「さあっ、ぐずぐずはしておれぬ。ゆくのだ」
局長のその声は、泣きたいのを必死にとどめ、頑張って言葉をしぼりだしている感満載である。
蟻通たちを見送ると、局長はまた読書にもどった。
その日は、ずっと落ち着かない。なにをするにも集中できないのである。
それは、事情をしっている副長や島田も同様のようである。一つのところにじっとしていることができず、ついついうろうろしてしまっている。
だが、局長だけはちがう。書斎にとじこもり、朝からずっと静かに読書をつづけている。
朝食がはやかったこともあり、双子が昼過ぎに蕎麦を打ってくれた。
シンプルにかけ蕎麦にしてくれたので、書斎で局長や副長とともに、さっそくいただくことにする。
あいかわらず、双子の蕎麦は死ぬほどうまい。
「いやぁ誠にうまい。どの料理も心がこもっていてうまいが、手打ち蕎麦は格別だな」
局長は汁までのみほし、つくづくつぶやく。
「痛み入ります」
廊下に面した障子のまえで控えている俊冬が答え、双子は同時に頭を下げる。
「歳に太ったと申したが、やはりわたしも太ってしまっている」
「だから、まえにもいったろうが」
副長がツッコむ。
「みな、ぽちたまのつくる料理のために、隊務をこなしているようなものだな」
「ちがいないな、かっちゃん。おっと島田、もうそのへんにしておけよ」
全員が、三杯目を完食したばかりの島田に注目する。
「腹八分目と申しますので、とりあえずはやめておきましょう」
島田は、丼鉢に視線を落としつつ、未練がましくつぶやく。
いや、島田よ。おれたちとちがい、大玉三杯を完食してもなお、腹八分目だというのか?
いったい、どんだけ喰えるんだ?
しかし、大食漢の島田にしろ永倉や原田にしろ、ムダに贅肉がついていない。
正直、うらやましいかぎりである。
「局長ーっ!」
「局長っ、局長っ!」
廊下を駆けるバタバタという足音とともに、障子が開かれて子どもらが飛び込んできた。
なんてこと・・・。不作法もいいところではないか。
「餓鬼どもっ!礼儀をわきまえんかっ。ったく、餓鬼どものお目付け役のしつけがなっちゃいねぇ。相貌を拝みてぇくれぇだ」
副長の嫌味が炸裂する。もちろん、視線は、こちらへ向けられている。
指先でこめかみをぽりぽりかきながら視線をそらし、子どもらへ向ける。子どもらごしに、ちいさな庭でお座りしている相棒がみえる。
「兼定のシェフ」である俊春が、蕎麦をやってくれたらしい。どうりで、相棒は満ち足りた表情をしているわけだ。
「おーい、鉄、銀。障子を開けるまえには、ちゃんと正座して開ける許可を求めるんだぞ。バッドマナーは、シットだからな」
そして、のんびりとした様子で、現代っ子バイリンガルの野村があらわれた。
「あの・・・。おれは子どもらのお目付け役から降格し、いまは「兼定の散歩係」です。もっとも、それもあやうくなっていますが・・・。兎に角、お目付け役は、いまここにあらわれた利三郎です。注意をするなら、利三郎にしていただけませんか、副長」
自虐ネタもまじえつつ、思いださせる。ってか、いいながら、そういえば子どもらのお目付け役だったんだと、おれ自身が懐かしい気分になってしまった。
「すまねぇ、主計。新撰組での立場が危うくなってるおまえには、嫌味だったな」
なんと・・・。やりかえされてしまった。
「兎に角、餓鬼ども。いつもいってるだろうが。最初っからやりなおしやがれ・・・」
「まぁよいではないか、歳。ここには、気心のしれた者しかおらぬ」
「かっちゃん。そんなんだから、こいつらはいつまでたっても礼儀正しくできねぇんだぞ」
「どうした、鉄、銀」
局長は、苦笑しつつ副長のクレームをスルーし、二人に問う。
「局長に、物語りをよんでいただきたいのです」
「『三國志』みたいな、かっこいい話がいいです」
鉄と銀の願いに、局長のおおきな相貌に、めいいっぱいの笑みがうかぶ。
局長は、「そうか、そうか」的に、おおきくうなずいている。




