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怒り 悔しさ・・・

「蟻通先生・・・」


 俊冬が馬房の内よりでてき、副長のシャツを握る蟻通の両掌に自分の両掌それを添える。


「副長も、すでにそれは検討されました。われらは、たとえなんであろうと、いかなる人間ひとであろうと、命じられれば確実に始末いたします」


 俊冬は掌を添えたまま、蟻通のをみつめて語りかける。その落ち着いたハスキーボイスが耳に心地よい。


 俊冬の語り口調には、毎度のことながらぽーっとさせられる。内容がすごすぎたり、エロ的でぽーっとするわけではない。気持ちがいいというか、落ち着くというか・・・。

 かけられたことはないが、催眠術ってこういうことをいうのか、とさえ思ってしまう。


「敵の上層部のおおくが、この後も生きております。主計は、それをしっています。その間、かれらは家族をもちます。家族をもつということは、子孫を残すことになります。そのかれらの生命いのちを奪うことがどうなるか・・・。おわかりいただけますよね?死ぬはずの者が生き残るのは問題ありません。ですが、その反対となると・・・」


 俊冬のいう通りである。子孫がことごとくなかった(・・・・)ことになるのだ。幕末いま、ここにいるターゲットの生死だけでも、正直、躊躇してしまう。それが、未来に生きるはずの子孫のことをかんがえると・・・。


 一瞬、この戦の仕掛人の一人である岩倉具視のことが頭に浮かぶ。かれは事実上、敵のリーダーの一人。双子なら、容易に暗殺できる。それこそ、縦のものを横にするよりも簡単に。

 加O雄三、喜O嶋舞などが子孫にあたるし、明治から大正、昭和、平成と、政治経済、芸能・文学・法曹界と、それこそいろんな時代のいろんな世界で、有名人を輩出している家系である。


 岩倉具視一人を消すだけで、いったい、どれだけの子孫に影響をおよぼすのか。

 ぞっとしてしまう。


 もちろん、暗殺などあるわけもない。が、絶対にない話ともいいきれない。


 いずれにしても、かれほどではなくとも、生き残るはずの者は等しく、当人だけの問題ではないことは確かである。


「子孫?わたしのしったことか。みずしらずの人間ひとより、眼前にいる近藤さんのほうが大事だ。それならば、おまえらは近藤さんより、敵の子孫のほうが大切なのか、ええ? 土方さんも、そんなためにぽちたまに「殺ってこい」と命じないのか?これまで、さんざん殺ってきたあんたが?それとも、逆か?芹澤さんや山南さん、平助や伊東さんを殺ったように、つぎは近藤さん・・・」

「勘吾っ、貴様っ!」

「副長っ」


 まさしく、刹那である。殺気や害意、敵意ではない。いっそ、それらのほうがすっきりするであろうと思えるほどの深い深い悲しみとともに、副長の拳が畜舎の天井へとさっとあがった。


 おれだけではない。島田も反射的に脚が動いている。相棒もまた、馬房内からこちらへ駆けてくるのが視界の隅にうつった。


「がつっ」


 拳の打撃音が響き、その音に怯えた花子や双子の仔馬たちが、ぶるると鼻を鳴らした。

 親仔でよりそい、人間ひとの愚かな行為を、つぶらなでみつめている。


 わずかな蝋燭の灯が、馬たちのに翳りを落とす。


「副長・・・。どうか、こらえてください。拳をふるう相手をはきちがえぬよう・・・」


 副長のパンチが、割って入った俊冬のおおきな刃傷のある左頬に、モロに入っていた。口中か唇が切れたのか、かれの口の端から血が流れ落ちてゆく。それがやけにゆっくりとしており、土の上にスローモーションで落下する。


「たま・・・」


 俊冬は、とっさに蟻通を突き飛ばしたのだ。突き飛ばされた蟻通は、地面に尻餅ついた痛みに相貌かおを歪め、副長と俊冬を見上げている。


 副長は、俊冬の血をみてはっとした。自分の拳をみ、それをひろげる。


「俊冬・・・」


 それから、おなじ掌をあげ、すらりとした指で俊冬の口の端の血を拭おうとする。


「穢れた血です。たいしたことはありませぬ」


 その掌を握り、俊冬は拒絶した。


 俊春もそうだが、双子はなにゆえ自分たちのことを穢れているというのか・・・。


「主計。蟻通先生と島田先生に、日の本のこれからのことを語ってきかせてくれ」


 俊冬は副長とみつめあい、その掌を自分のそれにそえたままこちらをみずにいった。


 島田と蟻通に、これからおこることを語ってきかせる。新撰組の末路。日本のゆきつくさき。幕府やその敵たちの将来さきも。個人的なことはいっさい抜きにして。


 蟻通もまた、蝦夷で戦死する。副長が戦死し、降伏も目前というタイミングで。


「幕府がなくなってしまうだけではありません。武士さむらいという身分、否、精神こころがなくなってしまうのです。これからおこる戦の後、生き残って新しい世に貢献したり、ひっそりとその精神こころを護り抜く者もおおい。しかし、この戦こそが散りぎわと心得、戦い抜いて散る者もおおいのです。後者は、きたるべきあたらしい世をみたりきいたりすることに自信がなかったのやもしれませぬ。なにより、そこに自身がいるということが怖ろしかったのやもしれませぬ。護るべきものやすすむべき道がなけれれば、せめて仲間のために生命いのちと矜持をかけたいという想いにかられるのも、おとことして理解できる心情ではありませぬか?」


 俊冬は副長の掌をはなすと、蟻通に向き直って諭す。


 またしても、ハスキーボイスが耳に心地よい。


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