剣道少年
双子の恩人って、どんな剣士なのだろう・・・。
先夜、とくに俊春は感極まりまくっていた。それほど、その恩人にたいして思い入れがあるということだ。
これまで、そんな素振りなど一度たりともみせたことがなかった。それこそ、面と向かって話をしたりふざけあっていても、視線がおれの左腰に落ちることさえなかった。
まぁ、あの二人のことだ。自分たちの過去に触れるような挙措は、できるだけ避けるだろうが。
今回は、たまたま副長とおれのわがままから、俊春は「之定」を握らざるをえなかった。
なにゆえか、その恩人のことが気になってしまう。そんなこと、まったく関係ないはずなのに、心がざわつく。
このまえ、副長の一番上の兄の為次郎と双子と話をしたときのことを思いだしてしまう。
いや・・・。そんなことより、局長のことだ。流山にうつった翌日、局長は陣屋を包囲する敵に投降するのである。
もうなんともならないのか。運命をかえることはできないのか・・・。
小学校の授業がおわると、たいてい警察の道場に稽古にいったものである。
剣道道場として、場所を借りて稽古をおこなっているのである。高校や中学校、小学校のチームが稽古にくることもある。そんななかで揉まれ、鍛えられてゆくわけだ。
その日は、おれにとって最高の日になった。『神の奇蹟』といってもいいくらいの、ちょっとしたサプライズがあったのだ。
その前夜、親父が「明日、事件がはいらないかぎり稽古をつけてやろう」といった。そう約束をした。ゆえに、その夜は遠足のとき以上に興奮して眠れなかった。
親父からどうやって一本をとるか。それも当然だが、なにより親父に稽古をつけてもらうということじたいがうれしかった。
いつもだったら、約束をしていてもたいていなくなってしまう。学校にいっている間も、事件は起こる。道場にいって、がっかりすることのほうがほとんどなのだ。
しかし、その日はいてくれた。そして、みっちり稽古をつけてくれた。
もっとも、一本取るどころか悔し泣きしてしまったのだが。
親父は、いつも全力で稽古をつけてくれたのである。
稽古の後、これもまたミラクルなことに、親父もいっしょにかえるという。そのまえに、用事をすませるというので、署のちかくにある児童公園でまつことにした。
暑い夏の夕方である。親父は「アイスでも喰ってまっていろ」と、小銭をもたせてくれた。
現代はもう、すくなくなっている児童公園。あっても、なにかと忙しい現代の子どもたちは、公園で遊ぶようなことはあまりないかもしれない。
砂場と滑り台とブランコとシーソーと鉄棒。それから、ベンチがいくつかあるだけのちいさな公園である。
アイスは、親父がきてからコンビニで買おう。そう決めて、ベンチの横に防具と竹刀をおろしてベンチに座った。座ってから公園を見渡し、ほかに人がいることにはじめて気がついた。
そのタイミングで、公園内に一つだけある街灯に、ぼんやりとした灯がともった。
中央部にあるソーラー式のポール時計は、6時を指し示している。
鉄棒のところに、ちいさな影が二つ。向こうも、こちらをみている。よりちいさいほうの影は、くるくると身軽に回転し、鉄棒上で腕を伸ばした姿勢でとまった。
体育の授業で鉄棒を習いはじめたおれは、その猿みたいな身軽さをみ、単純にすげーって思った。
それほど人懐っこい性格ではない。入学やクラス替えのときも、席の近所の男子とただなんとなく仲良くなるくらいだし、大人にたいしても子どもにたいしても、相手からしゃべりかけられてそれに返すくらいである。
こちらからアクションを起こすということは、めったにない。
が、なにゆえか声をかけていた。
暮れなずむ京都の町のちいさな公園で、子どもが二人だけでいるというのが、気にかかった。っていうか、それじたいは問題ない。この時分にはまだ、暗くなるまで外で遊ぶ小学生が、わずかながらもいたからである。
なんというか、そのオーラが異質であったからかもしれない。
「こんばんは」だったか、「こんにちは」だったか。兎に角、そんな挨拶を二つの影に投げつけていた。
「Hi!」
おおきいほうの子が、片掌をあげながらかえしてきた。それはまるで、洋画でみるアメリカの子どもみたいだ。なので一瞬、外人だったのかと驚いてしまった。
おおきいほうの子が、こちらへゆっくりあるきはじめる。すると、鉄棒にいるちいさいほうの子が、腕の力だけで前方宙返りするではないか。
黒と深い青色が混じりあう空へ、ちいさな体がゆっくり舞う。そして、かれは鉄棒からゆうに7、8mはなれた地に音もさせずに舞い降りた。
「すごいやんっ!」
思わず、叫んでいた。
体操でも習っているんだろう。
クラスに、それを習っている男女がいる。「めざせオリンピック」と、母親がはりきっているらしい。
ちいさいほうの子はなにも答えず、おおきいほうの子に駆けよると、そのうしろに隠れてしまった。




