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がんばれ 花子

「鉄と銀は、飽きて眠ってしまったようだ」

「たま、そろそろのようですぞ」


 花子の馬房から、俊春がでてきて告げる。


 すぐに子どもらを起こし、島田が母屋のほうへとしらせにはしる。


 陣痛がおきているという。いよいよ、である。


 子どもらが眠いをこすりつつ、馬房の柵によってきたのと、島田のしらせで局長、副長、金子と金子家の小者が、母屋から駆けつけたのがほぼ同時であった。


 局長と副長と島田と金子は、相棒と子どもらととともに柵の外で、小者と安富とおれは、双子とともに馬房のなかについて入る。


 花子は、馬房内をぐるぐるまわっている。ちいさなは、うるうるとうるんでいる。そのうち、涙がこぼれはじめた。

 みているこちらも、痛いであろうことが容易に感じられる。が、しょせん、おれも男。産みの苦しみというのがいかなるものか、わからない。

 こればかりは、一生かかっても理解できないことである。


 俊春が花子により添い、ぐるぐるあるきながらやさしく声をかけている。そして、その一人と一頭の様子を、俊冬は形のいい顎に指をあて、じっとみつめている。その眉間には、副長ほどではないにしろ、皺が何本か刻まれている。


「花子は、出産時はいつも腹部がかようにおおきいのでしょうか?」


 どのくらいの時間ときが経過したであろう。

 俊冬は、金子家の小者に問う。問われた小者は、しばしそれをみつめてから頭部を左右にふる。


「そういわれてみれば、これまでよりおおきいような・・・」

「なにか、気になることでも?」


 安富は、妊婦の旦那さんみたいにソワソワしている。


「安富先生。落ち着いてください。花子だけでなく、周囲の馬たちも不安になりますゆえ」


 俊冬が苦笑する。


「花子の体躯のおおきさのわりに、腹部のふくらみが気になっていまして。おおっと、破水です」


 破水がはじまった。


 俊冬が俊春に指で合図を送ると、俊春は即座に花子を藁を敷き詰めた地面の上に立たせる。


「それ、どうするんですか?」


 俊冬が、柵にちかづいてなにかを掌に戻ってきた。みると、縄を握っている。


「つかわずに産めればよいがな。主計、おぬしの懐中時計が必要になる」

「え、ええ。それはいいですけど」


 おれの問いはスルーされた。が、おれではなく、おれの懐中時計は役に立つかもしれない。借り物の着物の帯にくくりつけているマイ懐中時計を掌にとり、準備をする。


 その瞬間、羊膜に包まれた足胞がでてきた。うしろの柵から、だれかが声を上げる。


 俊冬が花子の膣に掌を突っ込み、胎児の向きを確認する。それからまた、俊春に合図を送る。俊春は、花子を寝かせ、また立たせる。それを二度ほど繰り返し、再度、俊冬が掌を突っ込む。


「蹄が逆であったが、戻った。ぽち」


 花子を寝かせる俊春。


「主計、八分後に声をかけてくれ」


 マイ懐中時計とにらめっこしつつ、ちらちらと胎児の足胞と、野郎たちをみまわす。子どもも大人も犬も、固唾を呑んでみまもっている。その間も、俊春はときに軽く、ときに音が響くほど、花子の鼻面や体を叩いていきみをうながしている。


「たま、時間です」

「やはり自力は無理か。ぽち」


 俊冬は俊春に合図を送るなり、掌の縄をさっと胎児の足胞にひっかける。


「花子、がんばれ。さあっ、いきめっ」


 俊春が励まし、思いっきり叩いた瞬間、俊冬が縄を思いっきりひっぱる。すると、ずるりとでてきた。びっくりするほど、あっけなく。


「ぽちっ!いきませろ」


 その俊冬の鋭い声ではっとしてしまう。


「安富先生、仔の羊膜をとってください。主計は、藁で仔の相貌かおを拭いてくれ。やはり、双子のようだ」

「ええ?」


 安富と叫びがかぶる。みると、たしかに花子からさらなる足胞がでている。


 安富と二人、指示通りに動く。


「ぽち、逆子だ。ときがない」


 最初の仔の羊膜をとり、相貌かおを拭いても反応がない。それを俊冬に告げると、俊冬はさらなる指示をだす。


 局長と副長と島田、金子もまじえ、みなが一丸となり、花子と双子の仔を救いにかかる。


「絶対に助けるからな。案ずるな。われら(・・・)が、おまえもおまえの双子の仔も死なせやしない」


 俊春は、いまだ胎内にいる二頭目の仔の脚をひっぱりつつつぶやく。花子の頭越しに、その鼻面を一心に撫でる局長のなんともいえぬ表情かおが、垣間見える。


 子どもらが「がんばれ」と声援を送りつづけ、相棒は「くーん」と心配げな鳴き声をあげている。それらをバックに、二頭目の仔もなんとかひっぱりだすことができた。


 そして、羊膜をとり、最初の仔とおなじように俊冬が口から息を吹き込み、自力の呼吸を誘発する。


 怒涛のひとときであった。


 馬房の柵から、横たわる花子に二頭の仔どもらがぶるぶる脚を震わせ、這うようにしてかちかづいてゆく。


 愛おしそうに仔らに鼻面をちかづける花子。


 その様子を、声もなくみまもる人間ひとと犬。


 畜舎内に、早暁の薄明かりと湿った空気が流れ込んでくる。


 と思いきや、自分の頬が濡れていることに気がついた。湿った空気ではなく、涙であった。


 あたらしい生命いのちの誕生が、ここまで精神こころを震わせるのは、自分がナーバスになっているからであろうか。


 まもなく奪われるであろう生命いのちのことを、想い、悩んでいるからであろうか。


 金子はたいそう感激し、家人に伝えにいった。

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