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花子の出産

 そのとき、なかから金子がでてきた。胸元に帳面のようなものをひろげ、右掌には筆が握られている。

 

 かれは、おれに気がつくとにっこり笑って会釈してきた。もちろん、おれも会釈を返す。

 

 ショックさめやらぬ、ひきつった笑みを浮かべつつ。


「今宵、おそくらしいですね」


 こちらへあゆみはじめた金子に、声のトーンを落として尋ねる。


「はい。助かりました。ぽちたま先生がいらっしゃってくださるおかげで、つぎこそは花子の仔が拝めそうでございます」


 金子は胸元の帳面を閉じつつ 返してくる。


 金子まで、ぽちたまって呼んでるところがウケる。


 きけば、牝馬の花子は、これまで二度お産に失敗しているという。というのも、金子家の家人、および村人では、難産を介助する知識もスキルもなかったからである。そして、このあたりに、馬をみてくれる獣医っぽい者はいないのだとか。


 じつは、大昔から馬にかぎって獣医学的なことが学ばれている。聖徳太子が、高句麗から来た馬医術に長けた僧に自分の侍臣をつけ、療馬法なるものを学ばせたのが最初とか。

 以降、馬の医療に関する書が、おおくだされている。


「準備するものを頼まれまして。いまから、手配をいたします」

「かれらに任せておけば、大丈夫です。かれらは、赤子も取り上げていますので」


 またしても、双子は大丈夫宣言。

 だが、なにゆえか確信しているのだから仕方がない。


「ええ。わたしも同感です。いまから、愉しみです。兼定、またな」


 金子は相棒の頭を撫でてから、ふたたび頭をさげ、去っていった。


「でっ、相棒。おまえは?お産チームの監督か?」


 関係を修復するため、努めてあかるくジョークを投げてみる。


 ううっ・・・。めっちゃにらんでくる。


 溜息しかでてこない。夫婦・・の関係は、これ以上にないほど冷え切っている。


 気を取り直し、馬房のなかを控えめにのぞいてみる。


 いきなり、馬の尻がに飛び込んできた。


 俊冬が、地面に敷かれた藁の上に両膝をつき、馬の腹を掌でさわっている。馬体越しに、俊春が馬面に自分の相貌かおをおしつけ、なにやら話しかけている。


 二人とも、いつものように粗末な着物を尻端折りしている。着物もふくめ、藁だらけになっている。


「おや、ネボウレスト野郎のおでましか?」


 こちらをみあげ、そう投げつけてくる俊冬。畜舎の明り取りから射し込んでくる陽光が、かれのおおきな頬の傷を白く浮かび上がらせている。


「すみませんでしたね、寝坊して。それから、相棒の世話を任せてしまって」


 馬を刺激せぬよう、かぎりなくちいさく、鋭くきり返す。


「なんの。お詫びは、兼定様に申すのだな」


 馬体越しに、俊春がいってくる。


 ったく・・・。自業自得はわかっているが、ほんのちょっと寝坊しただけで、おれは史上まれにみる非常識人みたいなあつかいをされている。


「それで、今夜なんですって?」

「ああ。体温が低い。たいてい、産まれる一日ほどまえに体温が急激に下がるのだ。さわってみるか?」

「いいんですか?」


 でかっ・・・。掌で、馬の腹部を撫でる。すっげーでかさである。


 馬の妊娠期間が11か月くらいだということを、俊冬からきかされた。昔、乗馬をやってたときにきいたことがあり、そのときもたいそう驚いてしまった。

 それを思いだし、あらためて凄いなと感心する。

 

 11か月もいたら、これだけおおきくなるにきまっている。 


 でっかい腹部をさわっている間でも、俊春は馬面に額をぴたりとくっつけ、ぼそぼそと話しかけている。


「金子殿にきいたか?花子は二度妊娠し、二度とも死産している。死んでしまった仔は気の毒だが、母胎が助かっただけよかったと思わねば」

「今度は、お二人がついているので大丈夫ですよって、いってしまいました・・・。なにか、気にかかることでも?」


 俊冬の男前の相貌かおが、翳りを帯びているような気がする。尋ねると、かれはちいさく吐息をもらしてから口をひらく。


「通常、馬は人間ひとの掌を借りずとも自力で産めるはずなのだ。それができぬのは、仔が産道のなかで異常な態勢になっているなど、難産のときのみ。花子は、さきのお産で二度とも逆子だった。ゆえに、人間ひとが掌をかさねばならぬところを、その機を逸し、あるいは方法がわからず、死んでしまったわけだ」

「なんてこと・・・。まさか、今回もってことはないですよね?」


 冴えぬ表情かおの俊冬をみていると、嫌な予感がしてしまう。


「まだわからぬが・・・。その可能性はかぎりなく高い」

「そ、そんな・・・」


 なにゆえか、ショック大である。

 三度目の妊娠も死産なんてことになったら、花子がかわいそうすぎる。


「花子、いい子だ。案ずるな。われらがついている。おまえは、仔に会えることだけ考えておればいい」


 馬房のなかにまで雀が入り込み、ちゅんちゅんなきながら、嘴で地面をつっつきながらちょこちょこしている。

 

 ちゅんちゅんという鳴き声と、俊春が花子へかけている声が、静かに流れては消えてゆく。

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