激闘!
長髪の着物姿の男が大きな桜の樹に背をくっつけおれをじっとみていた。その男はあきらかに追い詰められていた。10m以上の距離はあるはずなのに追い詰められている男もまた夜目がきくのだろう、おれの瞳に自分の瞳をしっかり合わせてきた。
その瞬間、男は唇をわずかに動かした。
「待っていたぞ」
職業柄読唇術のできるおれは、男が声をださずにそういったのがこの距離にもかかわらずはっきりとわかった。
警察を待っていたのか、それともだれかしらの助けを待っていたのか・・・。
いや違う。男はおれを待っていた。ほかのだれでもない、おれを待っていたのだとおれはなぜだか直感した。
そして、おれはなぜか男をどこかでみたことがあると、しかもどこか懐かしい気さえしていた。
「おはんなんごとじゃ!」
気がつくと、その男を追い詰めていた側の男どもがおれのほうを振り返っていた。
おはん?大河ドラマできいたことがある。たしか薩摩藩の武士がいっていた。ということは鹿児島弁か?
「京都府警だ!」おれは馬鹿みたいに繰り返した。こいつらは極道ではない。さらにはこの格好はコスプレではない。おれは冷静だった。抜き身を振り翳した男たちを目の当たりにしているというのにだ。
五名。着物に脚は素足に草履だ。
「きょうと・・・?」おれの言葉に一人だけ反応があった。斜視が印象的だ。しかも尋常でない気を放ってくる。小柄なところからその動きは素早いのだろう。
おれは男たちをさっとみまわした。が、男たちも手馴れているのだろう。その隙を与えず一番近くにいた男が近間に入ってきた。
そのとき、おれは地に倒れ伏している人がいることにはじめて気がついた。さらにおれのすぐ足許に切断された腕が転がっていることにも。
正直怯んだ。死体も肉塊もみるのははじめてのことではない。はじめてではないのに脚が竦んだ。
左側の男も近間に入ってきた。雨滴が瞳に入る。おれは死体と肉塊に視線を走らせた。雨水と血が混じりあって大きな水溜りを作っている。
左右の男たちは無言のまま得物を上段に振り上げ構えた。
示現流・・・。おれはその遣い手たちを知っている。全国大会で何度も対戦した。
「初太刀はかわせっ!」
左右の男たちの一撃と長髪の男の叫びが同時だった。
おれは迷うことなく長髪の男の注意に従い真後ろへ飛び退っていた。そうしながら左腰の「之定」を鞘から抜き放った。
獲物を失い空を斬った刃はそのままにし、おれは左側の男の懐深く入り込んだ。得意の居合い抜きで男の手許を狙った。「ぎゃあっ!」男の悲鳴と得物を握ったままの両掌が宙に上がったのが同時だった。先を失った手首から血が迸っておれのジョギングスーツを染めた。おれは構わず手首を返した。左掌は鞘に添えたままで右掌だけで愛刀を操った。
時間の許す限りおれは10kg以上の鉄棒を振る。右掌一本で、ついで左掌一本で。真剣を振るのに造作ないだけの筋力は充分ついている。
右側の男はすでに体勢を整えていた。おれは男に隙も時間も与えなかった。一歩大きく飛び込み右手首を返しながら腕を伸ばした。「之定」はおれの思うままに男の両腿に喰らいついた。無残に斬り裂かれた両腿からも大量の血が噴出した。
(過剰防衛・・・)警官にとっての禁忌がおれの脳裏をよぎっていった。
これは始末書どころの騒ぎではない。おなじ轍を踏んでしまった。
おれの平常心はしばらくの間失われていた。