虐待とネグレスト
「やかましいっ!」
俊冬は、叫ぶなり左腕をひねって俊春の左頬に一発見舞った。
平手打ちなどという、やわなものではない。マジで、ストレートをきめたのである。
それをまともに喰らった俊春は、頬をおさえてしゃがみこんでしまった。
なんてこと・・・。俊冬兄貴よ、いくらなんでも容赦なさすぎだろう?ってか、完璧虐待だろう?
俊春の場を和ませるためであろう捨て身芸に、全員がかたまってしまう。それから、騒然となる。
「なにも頬骨と鼻梁が曲がるほど殴らなくてもよいではないですか、たまっ!」
「ぽちのくせに、きゃんきゃん吠えるからだ。これだから、毛玉は鬱陶しくてかなわぬ」
しゃがみこんでいる俊春を仁王立ちで睥睨し、ぽちを全否定する俊冬。
「これはしたり!たまは、気まぐれではないですか。飯をたかるときだけ、みゃーみゃーと体躯を摺りよせ媚びへつらい、それ以外はツンとしてしらぬ表情・・・」
瞳に涙をため、やり返す俊春。その必死さが、ちょっとかわいいかも。
それは兎も角、いまの強烈な一撃を繰りだすまえに、俊冬がいったこと・・・。
『われらが一番憎むべきものは、童に害をなす大人でございますゆえ』
かれが自分たちのことを語るのは、稀有である。
先日の将軍警固の一件から、かれらが幼少期に虐待を受けていたことをしったばかりである。
とくに、俊春は性的虐待のトラウマで、いまでもずっと苦しんでいる。
さきほどの連中は、形のちがう復讐の対象として、あっという間に殺られたのであろうか。
いや・・・。俊冬は、いずれにしても殺ることまではしなかったはず。死よりもひどい苦しみを、味あわせることはあるかもしれないが。
局長の話をしていたときでも、斎藤や半次郎ちゃんのことを、武士であるがゆえ、暗殺でも相手に敬意をもっておこなっている、というようなことをいっていた。
が、おれからすれば、俊冬や俊春のほうがよほどそれをもってなにごとにも臨んでいると思える。
そして、おれからすれば、俊冬こそが、やさしすぎるがゆえに、わざととんがってるふりをしていると思える。
弟や仲間を護るために、あえて鬼を演じている、としか思えない。
まさしく、副長である。
それを思えば、かれは副長にますます似ているではないか?
それどころか、まんまだろ?とあらためて驚愕してしまう。
「兼定っ!」
「兼定ーっ!」
ぼ-っとした闇の向こうから、甲高い叫び声がきこえてきた。と、耳をかたむける間もなく、だれかが駆けてくる。
名前を呼ばれ、尻尾をふりふりする相棒。暗がりから飛びだしてきたのは、市村と田村である。一目散に相棒めがけてダッシュしてくる。
「おおっと。二人とも、相棒に抱きついちゃだめだ。相棒は、泥だらけでぐちゃぐちゃだから」
二人が相棒に抱きつくまえに、立ちはだかってアテンションする。
二人とも同時に両頬をぷーっとふくらませ、おれに史上最高の馬鹿野郎みたいな視線を向けてくる。
そうだ。相棒の泥を落とすには、シャンプーとまではいかなくても、ホースでジャーっと洗い流す必要がある。もちろんいま、ホースはない。ゆえに、桶に水をくみ、それをぶっかけるしかない。
夏のギンギンの陽光の下、ホースの水を追っかけたり、浴びせてもらってキャッキャするレトリバー系のワンちゃんたち・・・。
雑誌の表紙や、インスタ映えする一場面・・・。
「シェパードだから、それがなにか?」という犬種のちがいは別にしても、相棒のシャンプー嫌いは筋金が入りすぎている。
いや、まてよ・・・。双子なら、もしかすると・・・。前回のあの大騒動のとき、かれらはいなかった。
双子にやってもらおう。うん、それがいい。
育犬放棄。ネグレストってわけだ。
「ええ?いいよ。汚れたって。それよりも、兼定の大活躍をほめてあげないと」
「てっちゃんのいうとおり。兼定はがんばったんだもの。すぐにほめてあげないと、いけないでしょう?」
いちいちごもっともではある。だが、がんばって大活躍したのは、相棒だけではないと思うんだな、おれは。
「じゃぁ、頭を撫でてやってくれ。ぽちたま先生が洗ってくださる。明日には抱けるだろう」
了解もとっていないのに、しれっといっておく。
「おおっ!みな、ご苦労だった」
そのとき、暗がりから局長があらわれた。護衛の野村を連れている。
ってか、野村っ!おまえ、捜索にいかなかったのか?なんて要領よすぎなんだ、おまえ?
「局長」
局長の存在は、やはりおおきい。あらわれただけで、捜索で疲弊している隊士たちに、元気が戻ってきたようである。もちろん、隊士たちだけではない。おれも、元気を取り戻せた。
「戻ってきた隊士たちが、報告してくれた。金子家の郎党が総出で風呂の準備をしてくれたので、風呂に入って休むよういいおいてから、これへまいった。みなも戻り次第、ゆっくり風呂にはいるといい」
全員が、口々に了承する。
金子家へむかいながら、局長は一人一人に局長バンバンをしつつ、声をかけている。