妖怪退治終了
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」
なんと、俊冬は「光明真言」まで唱えだした。相棒は、いまやうなり声でなく、怒声を発している。
「みてはならぬ。件をみれば、呪いをまともに喰らう。その場に伏せ、瞳をつむるがよい」
俊冬のアドバイスである。
外に這いずりでてきているトリオが、いっせいにぬかるみに伏せ、相貌を泥濘におしつける。
俊冬が、合図を送ってきた。誘拐犯たちを捕縛しろ、という合図である。
「ゆくぞっ!狼鬼、件を滅せよ。オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ!」
さらに、ご真言を唱える俊冬。
相棒が漫画の式神のごとく、件退治になかへと飛び込んでしまう。
いやいや。捕まえようにも、笑いのツボにはまってしまって動けない。副長も斎藤も蟻通も、口に掌をあて、腹を抱えて笑っている。
「捕縛しろ」
くくくと笑いながら、命じる副長。
小屋へちかづき、なかをのぞき込む。
数名が失神してひっくり返っており、意識のある者は板敷きの床に伏せてぶるぶる震えている。
俊春と相棒は、堂々とじゃれあっている。そこだけみれば、人間と犬の、なごやかなスキンシップである。
物置にあった縄をつかい、誘拐犯たちを一網打尽する。
女児はかすり傷一つおっておらず、誘拐犯たちは、雨がやみ次第、村に脅迫文だか伝言だかを送り付けるつもりだったらしい。
幕府の歩兵ばかりで、遠征中に江戸城明け渡しをしらされ、そのまま脱走したらしい。
幕府が調練を依頼した仏兵より、上官が煙草を譲り受けたらしい。なんと、春画と引き換えに。
それを、失敬したという。しかも、はじめての紙巻き煙草は、かれらの嗜好にあわなかった。
春画は、なかなかきわどい描写である。たしか、現代でも京都をはじめとし、春画展なるものが開催されていたはず。
春画は、芸術という観点からも、そこそこ評価されているのである。
それは兎も角、古今東西、基本、男という生き物は助兵衛なのだろう。
女児行方不明事件は、無事に解決したが、局長の件はいまだなんの進展もみせていない。
「たいしたもんだ。はったりが半端ねぇな、ええ?」
このあたりを管轄している役人に誘拐犯どもを引き渡し、小屋や窯を片付け、すべてをおえた時分には、すっかり遅くなっていた。
降りあきたのか、あれほど降っていた雨はやんでおり、空には月さえ浮かんでいる。星々も、あまたにでている。
金子家へともどりつつ、副長が双子に話しかける。
「ただの思いつきでございます」
俊冬が言葉すくなめに応じる。俊春は、副長の口の形をみず、心もよまなかったのか、月をみあげている。
「なにゆえ、殺らなかった?」
副長の問いにぎょっとしたのは、問われた当人らよりおれたちのほうである。
「副長。あなたの本意にしたがったまでのことでございます」
月明かりの下、俊冬がやわらかい笑みを浮かべる。
全員が濡れぼそっている。蓑と笠をぬいでいるが、結局、それらはなんの役にも立たなかった。そして、おれたち以上に、双子と相棒は、川に飛び込んで泳いできたかのようないでたちである。
「面白い。おれも、おだやかになったもんだ。否。丸くなったってことか、ええ?」
突然、大笑いしはじめる副長。斎藤も島田も蟻通も隊士たちも、驚いた表情で、立ち止まり、腹を抱えて笑う副長をみつめている。
「申し訳ございません。さしでがましいことをいたしました」
俊冬は体ごと副長に向き直ると、なにゆえか謝罪する。同時に、頭を下げつつ。
「いや・・・。わすれたか?おれは、任せるっつった。おまえたちなら、おれが望む対処をしてくれるって思ったからだ。そして、おまえたちはおれの望むとおりに対処してくれた」
「副長。正確には、局長の望む対処でございましょう?あなたは、つねに、新撰組が、否、局長が不利にならぬよう、すこしでも有利になるよう考慮されておいでです。あの者たちは、軍にいても役に立たず、噂をきいて逃げだし、喰うに困って村を襲おうとしておりました。味方以前に、人間として、戦士として許されざる者たちでございます」
ちらほらと家があるが、騒ぎが終息し、雨もやんだことから、明日からの農作業のために床についているようだ。どの家も真っ暗である。
「われらも同様でございます。否。もともと人間でないわれらは、あの者たちより唾棄すべき畜生というわけです」
さきにかえっている隊士がほとんどであるが、十数名最後まで残って処理を手伝ってくれた。みな、いまや立ち止まって双子をみつめている。
「ゆえに、あの者たちは、局長の心情に生命を救われたわけでございます。それがなくば、刹那の間にあの者たちの生命は断たれたことでしょう。われらが一番憎むべきものは、童に害をなす大人でございますゆえ」
俊冬の声のトーンがかわった。ぞっとするほど冷たいそれが、雨水がつたう背中を愛撫する。蒸し暑いはずが、寒気を覚える。
隊士たちもポーカーフェイスを装っているが、俊冬の声と冴え冴えとした表情に、ゾッとしているにちがいない。
「たま。にゃんこがにゃーにゃー鳴いたとて、ちっとも心に響きませぬ。それに、たまなのに恰好つけすぎでございます。さらには、内容が重すぎます」
増水した綾瀬川のゴーゴーという音が、かすかにきこえてくる。その隙間をぬい、微風が雑草を揺らす心地よい音がする。
俊春が華奢な両肩をすくめつつ、俊冬にツッコんだ。同時に、それまでかけられていた俊冬の重圧が、いっきにとりのぞかれた気がした。