兼定と双子の鼻合戦
「相棒。すべてが臭跡に不利だが、女の子の生命がかかってる。てがかりだけでもなんとか得られるよう、ふんばってくれ」
ハンドラーとして、熱く語る。現代では、ハンドラーは警察犬等の調教をする人、犬の任務遂行を支援する人、またはそのような役割を担う人を示す。が、幕末では、散歩係に値する。
ってか、完璧、おれは役立たず腐隊士じゃないか。
「ふんっ!」
ひさびさのハンドラーの願いも、相棒はいつもとなんらかわることなく冷たい態度で返してきた。
「兼定、がんばってね」
「主計さん。兼定の足手まといにならないでね」
市村、それから田村の熱狂的な声援に見送られ、おれたちは女児の祖父母宅をでた。
しのつく雨のなか、笠からも蓑からも、容赦なく雨粒がしみてくる。いや、ほぼそのまま雨粒をとおしてしまう。はやくも頭のさきから軍靴のなかまでぼっとぼとになっている。
視界が悪い。それでも、いたるところに隊士や村人たちの姿をみることができる。とくに、綾瀬川で、重点的に捜索をおこなっている。だれもが、川に、と予想しているのである。
さすがの相棒も、右往左往したあげくやっと脚を動かしはじめた。もちろん、綱を握るおれもつづく。
双子も、女児宅で相棒とおなじように女児の着物のにおいを嗅いだ。
正直、成人男子が女児の着物のにおいを嗅ぐって小児性愛者っぽかったが、そこは笑うべきところではないのでぐっとかまんした。
相棒は人間の汗、すなわち臭酸を嗅ぎ分けて追う。犬の鼻のすごいことは、対象をしめせば、それだけを嗅ぎ分けられるところだろう。たとえば、カレーのなかに入っている個々の具材。肉、たまねぎ、じゃがいも、人参。それぞれを嗅ぎ分けられるのである。だから、特定の人間を嗅ぎ分け追える。だが、水に弱い。においを消してしまうからだ。
おれの気合と焦りを受け、相棒もがんばってくれている。地面を嗅ぎ、高っ鼻になって空中のにおいを嗅ぎ、亀のあゆみほどであるが、すすんでゆく。
川とは反対の方向へと。
「向こう側は、なにがあるんです?」
村からでてしばらくあるいた。もう何度目かに相棒がうろうろしはじめたとき、同行してくれている村人に尋ねてみた。女児の叔父だという。
「林がございます」
言葉すくなめに、そう応じてくれた。
ふとみると、女児の自宅から捜索を開始したはずの双子が、こちらへと向かってくる。二人とも、蓑も笠も着用していない。
ということは、間違いないわけか・・・。
が、おれたちから200mほどのところで立ち止まり、同時にしゃがみこんでしまった。こちらからみていると、双子は地面にはいつくばってなにやらやっている。
「相棒、いってみよう」
相棒と女児の叔父とともに、そちらへとあゆみはじめた。
「まてっ!道からはずれよ」
双子までの距離が100mをきったところで、俊冬が怒鳴った。それでも、雨音にかき消されてかろうじてきこえる程度である。
いわれたとおり、道からはずれて草を踏みしだきつつ、かれらにちかづいた。
「最近、このあたりに商いにきている商人はおりますか?もしくは、洋服をきている男をみかけませんでしたか?」
女児の叔父に、俊冬が尋ねた。
「わたしはみたことがありませんが、村のだれかが、異人の恰好をしたよそ者をみたと申しておりました。ですが、あなた方がこの村にいらっしゃるまえの話でございます」
女児の叔父は、相貌を流れ落ちる雨粒を掌で拭いつつ応じた。
「え?なにゆえ、そのようなことを尋ねるのです?」
「これをみよ」
俊冬がまだ地面にはいつくばっている俊春の肩をたたくと、俊春が地面からなにかをつまみあげた。
「吸い殻?」
もはやじゅくじゅくに濡れていて原形をとどめていないが、どことなく煙草のようにみえなくもない。
「ご名答。紙巻き煙草だ。それに、複数の足跡が残っている。ゆえに、さきほど道から外れよと怒鳴ったのだ」
「ええ?よくそんなことがわかりましたよね・・・」
「ぽちの鼻がすごいことは、おぬしもしっていよう?なぜなら、ぽちだからな」
いや、俊冬。ぽちだからって、このしのつく雨のなか、たった一つの吸い殻のにおいを嗅ぎ分けるなんてできるわけない。ましてや、いまの時代、煙管がほとんど。紙巻き煙草の存在はしっていても、においまでわかっているなんて・・・。においに関しては、現代にいたからこそ煙草の存在をしっている相棒でも、この雨のなかでは嗅ぎ分けることはできないはず。
それに、現代でその存在をしっているおれですら、濡れて原形をとどめていないそれをいわれてはじめて判別できた。
双子は、視覚でも判別できるなんて・・・。
異世界転生で、煙草の密輸業者か違法製造でもやっていたのだろう。
「たま。かすかですすが、火薬のにおいが残っております。それと・・・」
俊春は地面から鼻をあげると、相棒が高っ鼻になるように、空中に漂っているであろうにおいを嗅ぐ。
「鉄のにおいが・・・。銃ですな」
ちょっ・・・。俊春、あんたをモデルに漫画の原案を書きたくなってきたよ。もちろん、おれに絵心があれば漫画を描いたんだろうが、あいにくおれにそれはない。
心中で目指せラノベ作家、なんて夢を抱いている最中にも、俊冬はぬかるみに這いつくばり、ほぼほぼ水溜まりと化した地面をなめるように観察している。
その二人を、相棒はお座りして自分の手下をみるような瞳で、冷静にみおろしている。