春画と死
「利三郎も、みなの気持ちを明るくしようとがんばっているのだ。主計には申し訳ないが、みなもわかっていて利三郎の話を笑ってきいている。許してやってくれ」
「局長・・・。承知しております。それにしても、利三郎のやつ、自分は春画をみまくってるくせに、おれのことを面白おかしくいうなんて・・・」
「なに?春画もあったのか?」
「春画が?」
「春画っ!」
「春画・・・」
「いえ、みなさん。そこ、喰いつくところじゃないですよね?」
局長も斎藤も俊冬も、興奮の色が隠しきれないようだ。俊春などは、性に目覚めた少年みたく、真っ赤になってうつむいている。
「最初に瞳についたのが、「三国志演義」であったからな・・・。よしっ!」
局長の謎気合。斎藤と俊冬は無言。その無言がまた、気味が悪い。
「なにゆえ、こう話がそれてしまうのか・・・。やはり、真剣な話は苦手だな」
それぞれが、春画について咀嚼したのち、局長がマジな表情で戻ってきてくれた。
「まぁ斎藤君に大好きだといってもらえて、わたしもうれしいと申しておこう」
そこ、一応返事するんだ、局長。
「それで、歳の話だ。さきほども申したとおり、新八と左之がいなくなったいま、歳が頼れるのはおまえたちだ。島田君や勘吾とともに、どうか支えてやってほしい」
「局長。お言葉ながら、われらでは支えることはできかねます。それは、局長が一番おわかりのはず。あなたが副長を信頼し、なによりも大切に思っていらっしゃるのと同様、副長もあなたを信頼し、なにより大切に思ってらっしゃいます。そこに、なにゆえわれらがはいりこめます?」
このなかでは、ってか、この日本であの勝海舟をも凌駕するほど弁の立つ俊冬がソッコー返すと、局長の表情がちょっとだけ困ったものへと変化する。
それはまるで、生意気ざかりのガキんちょか、きかん気の強い青二才をみるような、そんな表情である。
「困ったな・・・。歳を託したいだけなのに、理由を述べねばならぬのか?」
その一言に、ドキリとする。俊冬も、ポーカーフェイスを保っているものの、おれ同様心中はざわめいているはず。
もちろん、斎藤と俊春も・・・。
「斎藤君は、死すべき時機ということを考えたことがあるかね?」
「は・・・?」
ふいに問われ、しかもその内容の重要性に、斎藤は視線を畳の上に落として考えているようだ。いまのかれに、さわやかな笑みなどない。
いまのかれの心中は、どうなんだろう。
もうじき斬首になる局長をまえにし、説得したい気持ちと、局長の性格やいまの話の流れから、それもかなわぬと諦観とがせめぎあっているのだろうか。それとも、自分でもなんとか説得してみようと意気込んでいるのだろうか。あるいは、だれかが説得してくれるだろうと期待しているのだろうか。
「死ぬことは、つねに頭の片隅にございます。そして、心の片隅では、その覚悟が。ですが、それらは、自身が死なぬという前提のもとにあるごまかし、否、一種の信仰です。そのように覚悟し、常に死ぬ覚悟でいれば、生き残れるという」
斎藤は、こういう問答は得意ではない。できないというわけではない。ただたんに、自分の気持ちをさらけだすのが苦手なのである。
かれの横顔をチラ見する。どうにかして、局長の運命をかえたい、という気持ちが、痛いほど伝わってくる必死の形相である。
「わたしの死ぬ時機は、局長や副長のために戦い、不運にも討たれるときと、いま、あらためて認識いたしました」
それから、斎藤はいつものようにさわやかな笑みを浮かべる。
かっこいい。かれにたいしてそう思うのは、これでもう何回目であろう。
つぎは、局長がはっとする番である。斎藤の相貌をじっとみつめるその局長の相貌に、満足気な微笑が浮かんでいる。
「主計、おぬしはどうだ?」
問われてはじめて、死についてこれまでまともに向き合ったことがないことに、気づかされた。
まだ現代にいた時分、危険な任務におおくついたわりには、それに向き合ったこともみつめたこともない。
いまにして思えば、不可思議なことである。たしかに、死ぬかも、なんて局面がなかったわけではない。だが、ふとしたときに死についてじっくり考えることなど、ほとんどない。
あるとすれば、小説や映画やドラマ、漫画などの創作の世界で、死をテーマに描かれているときである。それを読了したのち、自分をその作品の登場人物に照らし合わせ、考えてしまうくらいか。
幕末にきてですら、そこまでマジに考えたことはない。現代よりよほど暴力が身近にあり、生命そのものが弱い時代であるというのに。
たしかに、最初の副長との出会いの際に、半次郎ちゃんとやりあってやばいと焦ったのは焦った。が、あのときにはまさか、遣り合ってるのがあの「幕末四大人斬り」の筆頭「人斬り半次郎」などと思いもよらなかったし、それどころか極道の抗争かなにかだと思い込んでいた。
それ以降は、やばいと思うことはあれども、つねに周囲におれを護ってくれる仲間がいる。ゆえに、死を実感することもない。ということは、向き合う必要もない。
いや、ちがう・・・。
死について、考えているではないか。しかも、つねにである。たったいまも。
おれ自身以外の他人の死、をである。
坂本龍馬、おねぇ、藤堂、沖田、吉村、山崎、林・・・。原田だってそうだし、いまは局長の死と向き合ってる。
そうだ。死は身近だし、感じまくっている。それが、自分のではないだけである。




