飴売り
「ちょっ、俊冬殿。なにゆえ、そんなことをしっているんです?」
「なにゆえ?おいおい主計。やぼなことを尋ねるでない。さあ、鉄、銀。またせたな。できあがったぞ」
原田のおおきさを、なにゆえしっているのか?それについては語らず、謎だけを残す俊冬。
かれは、子どもらにやわらかい笑みとともに声をかける。掌にある服を、ひらひらさせながら。
「わー、ありがとうございます」
「着てもいいですか」
市村と田村は、飛び跳ね大喜びしている。
「無論。着方を教え・・・」
俊冬の答えがおわるまでもない。二人は得物を縁側に置くと、よそ様の庭先で着物を脱ぎすててしまった。
褌一丁になったところで、俊冬が苦笑まじりに服を着せてやる。
軍服である。
子どもたちでも着用できるよう、俊冬が大人用のをつくりなおしたのか・・・。
先日の甲州での戦の軍議中に、原田が冗談でプロポーズをしていたが、たしかに、家事全般が完璧な双子なら、嫁にって思いたくもなる。
「おれは、あとでいいですよ」
はしゃぐ子どもらを横目に、俊春に口の形をおおきくしてしらせる。
「面倒くさいやつだな、主計。まあ、よかろう。かえのシャツとズボンを用意しておくゆえ」
なんだかんだといいつつ、希望はかないそうである。
「おっ、似合うではないか」
「ほんとだ。似合っているぞ、二人とも」
斎藤とともに、子どもらをガン見してから感想を伝える。
二人の軍服姿。そこそこに映えている。会津候からいただいた金子で購入した得物を帯び、ばっちりきまっている。
「ありがとう、双子先生」
「これで、わたしたちも一人前に戦えますよね」
田村につづき、市村がいう。一人前に戦えるのかという点においては、局長も副長も許すわけはない。だが、一人前っぽくみえることはたしかである。
「でっ、なにをねだろうとしていたんだ?」
そもそも、二人はなにかをねだろうとしていたのである。そのことを思いだし、尋ねてみる。
「寺に、飴売りがきているらしいのです。主計さんでも、飴くらいはおごってくれるかな、と」
田村のおねだりに、斎藤と双子が同時にふきだした。おれも相棒も、笑ってしまう。
「な、なにがおかしいのです?」
「い、いや。すまぬ、鉄。ついさきほど軍服を着、一人前に戦えると申したばかりだというのに、飴をねだるのかと」
くくくと笑いつつ、斎藤が代表して答える。
市村と田村は、相貌をみあわせる。どちらも、そうと気がついたのか、相貌が真っ赤になっている。
みなでひとしきり笑った後、俊冬が口をひらく。
「さぞかしうまい、飴細工であろう」
「さよう。細工も味も抜群にちがいない」
飴細工?俊冬がそう断言し、俊春がつづける。
なにゆえ、飴細工と断言するのであろう。
「偉大なる隊士兼定の散歩係が、派手におごってくれるらしいですぞ、斎藤先生。われらも同道させていただきましょう」
俊冬が斎藤を誘う。
双子は、裁縫道具を丁寧に木箱になおしはじめる。
飴ときいて、単価は高くないと内心で思った。が、飴細工となると話はちがってくる。現代でも、芸術作品っぽいものだと高いはず。
相棒をみおろすと、きらきらした瞳で、おれをみあげている。
以前、京の祭りでなめた水飴を気にいっていたのを思いだす。
足りるかな・・・。懐具合が気になってしまう。
そして、おれたちは寺へとむかった。
この村の菩提寺であるが、それほどおおきいものではない。
飴売りは、その寺の境内の一角にいる。村の子どもたちが数名、わいわいがやがやしながら飴売りを囲んでいる。
「あ、あれあれ」
田村がいい、市村とともに止める間もなく駆けだしてしまう。
「主計さん、はやくはやく」
「そうだよ。金子係、はやくはやく」
どうやらおれは、相棒の散歩係から会計方に昇進したらしい。
昇進がうれしくないって思うのは、なにゆえであろう。
飴売りは、父親と息子くらいの年齢がはなれていそうなコンビである。どちらもほっかむりをし、粗末な着物を尻端折りしている。年齢の頃は、父親っぽい方がアラフィフ。息子っぽい方はアラサーってところか。父親っぽい方は、よく陽にやけていて、皺だらけの相貌に人懐こい笑みを浮かべている。若い方の陽にやけた相貌は、仏頂面になっている。生まれたときから家業を継ぐことを運命づけられ、それに不平不満を抱き、不遇の人生をとぼとぼあゆんでいる・・・。
若い方の仏頂面をみながら、勝手な想像をしてしまう。
飴売りは、ちいさな穴がいくつもあいている箱に、飴細工をさしている。
飴細工は、葦をつかう。その先端に熱した飴をからめ、反対側から息を吹き込み、冷めるまでに細工を施すのである。
子どもらとともに、飴細工をみてみる。
犬?猫?地球外生命体?未確認物体?
正直、美術関係に造詣のないおれには、並んでいる飴細工がいったいなにかがわからない。
そもそも、双子が飴細工といったので、そうと思い込んでいた。もしかすると、飴細工ではなく、これが自然な形なのかも・・・。
そう前向きにとらえることにする。
村の子どもたちやその親らしき大人が幾人かいたが、おれたちがちかづくと頭を下げ、はなれていってしまった。
あからさまな態度をとられることはないが、やはり、新撰組の存在はよく思われてはいないのである。
まぁ、そこは仕方がない。
それは兎も角、飴売りを観察する。
手押し車に、飴細工作りのアイテムを積んでいるらしい。
飴細工は、まずは脚でふいごを踏んで火をおこし、ちいさな鍋のなかで飴をとかす。それを飴玉みたいな形にして葦の先端につける。葦に息を吹きかけながら飴玉をふくらませ、専用の和鋏で形を整えてゆくのである。
飴は、空気にふれるとかたまってしまう。ゆえに、時間の勝負である。
江戸時代から昭和の初期までは、大道芸的に人々のまえで飴細工を披露し、そのまま販売していた。
現代には、そういった体験をさせてくれる老舗もある。たしか、文京区のほうにあるかと記憶している。