駆け引き
坂井はすでに待っていた。
枯れ桜の幹に背を預け、夜の空をみ上げていた。が、この夜、空は曇っていてなにもでていなかった。月も星々も・・・。
おれは気配を断ち、つまり、できるだけ気づいてもらいたくなくて、近寄るまでわざと声をかけなかった。
この辺りは、屋内の灯火も届かない。なので暗かった。もっとも、夜目に慣れたおれの瞳は、この程度の闇夜を歩くのになんら支障はない。
「坂井さん」
おれが声を掛けると、坂井は心底驚いたようだった。が、ここで逢引することに慣れているのだろう。一瞬だけかたまったが、すぐに妖艶ともいえる微笑みを浮かべた。
「主計、きてくれると思っていた」
掠れた声で坂井が囁いた。
「おまえのことを想いながら待っていたのだ」
で、声が掠れている?いったい、どういう想い方をしていたというのだ?
おれは、五十センチ程度、距離を開けたところで立ち止まった。
「坂井さん、じつはおれ、わけあって新選組に入隊しましたが、思想は尊皇派、なんですよ」
おれは距離を保ったまま囁いた。
「ふう・・・ん?それで?」
なんのひねりもタイミングもなく、単刀直入に切り込みすぎたかと思った。正直、あまり時間をかけたくなかったので、さっさと本題に入ったのだ。
「坂井さんは、なんていうんですか・・・?そっちの方とも懇意にされている、と隊士のだれかが噂をしているのを耳にしたので」
「へー・・・」
坂井は木に預けていた背を正し、おれを真正面からみつめた。へー、というのがなにを意味しているのかは分からない。
「お願いがあります。新選組はおれの居場所じゃありません。その・・・、できればそっちの方に・・・」
「まさか移りたいと?」
夜目にも、坂井が妖艶ともいえる笑みを浮かべたのがわかった。
「ご法度だよ。向こうのだれかとおおっぴらに会うことだって禁じられている」
坂井はおれに一歩踏みだした。
おれは、下がりたいのを我慢せねばならなかった。
「あぁでも、その望みをかなえられるとしたら?わたしが?それをかなえてやれるとしたら?おまえはどうしてくれる?」
おれは、ここ一番なけなしの色気をフル稼働させた。いや、そもそも色気じたいどういうものかわかっていない。それっぽくみえるよう、顎を引き、しなを作ってはにかんだ。
いや、これでは色気というよりかは気恥ずかし気、というのが正しいのか?
この際、どうでもいい。
「かなえてくれるのなら、坂井さんのお望みのものを、できうるかぎり用意しますよ・・・」
そして、意味深に微笑んだ。それから、さらになけなしの勇気をフル稼働して一歩踏みだした。
坂井に向かって、だ。
すると、坂井はおれの二の腕をがっしり掴んで引き寄せた。身の危険を感じたおれは、反射的に唇を掌で覆っていた。
今度はそう簡単に奪われてなるものか、というわけだ。
「ね?」
そして、なにかわけのわからぬ同意を求めた。
「しょうのないやつだ」
坂井は、おれを抱きしめた。だが、キスすることをあきらめたようだ。
おれを自分の所有物と勘違いしているかのようなオーラが漂っている。
「しばし待ってくれ。望みをかなえよう。ゆえにおまえもわたしの望みをかなえてくれよ、いいな?」
そう囁くと、坂井は妖艶なまでの笑みを浮かべた。
上手く引っかかってくれた。
あとは待つばかりだ。