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「眠り龍」と「狂い犬」

「前方に展開しているのは、農兵。狙いは、あの奥に控えている迅衝隊だ」

「承知しております、兄上。板垣先生のにおいが、ぷんぷんしております。どこに隠れていようと、わたしの鼻から逃れられるわけはございません。敵には、「眠り龍」を起こした報いをその身をもって受けていただきましょう。兄上、掩護を頼みましたぞ」

「弟のくせに、殊勝なことを申す。主計。すまぬが、われらの荷物が荷車にある。それだけ、運んでもらえぬであろうか」

「得物や包丁や軍服ですよね?よろこんで」

「すまぬ。さぁ、弟よ、位置につけ。兼定、案ずるな。おぬしは、散歩係のお守りをしろ」

「ちょっ、俊冬殿。ひどいじゃないですか」


 俊冬は、にんまり笑う。それから、迫る敵軍に向かい合う位置で片膝撃ちのスタイルをとる。


 俊春は背に二本の刀を背負い、左右の腰に一本ずつ帯びる。旅の商人っぽい恰好と、やけにちぐはぐである。


 その場でぴょんぴょん跳ね、準備運動をする。


 遠く、騎馬兵があらわれた。指揮官であろう。


「いざ、まいる」


 陽はまた雲に隠れてしまった。曇天は、新撰組われわれ将来さきを予兆しているかのようである。


 フツーなら、のどかな田舎の風景。田植えには、まだはやい時期なのだろうか。それでも、農民たちは田畑にで、鍬や鋤ををふるって作業をするにちがいない。

 なれぬ刀槍や、ましてやフツーに生活をしていれば一生もつこともないであろう銃をもち、戦にでるなどとは、本人たちも思いもよらなかったはず。


 指揮官は、遠目にも士官服をまとっているのがわかる。頭には、ふさかわいい赤熊の陣笠をかぶっている。


 指揮官が采配を振り上げた瞬間、それが消えた。


「ぱーん」


 銃声が、轟く。間髪入れず、ふさかわの赤熊の陣笠が飛ぶ。


「ぱーん」


 そしてまた、銃声が・・・。


「ぎゃーっ!」

「ひいいいっ!」


 敵軍から、悲鳴がわき起こる。


 俊春が、すでに敵軍のただなかで縦横無尽に暴れまわっているのである。敵兵たちは、単身乗り込んできて阿修羅のごとく刀を振り回す俊春に仰天し、なすすべもない。


 どこからか、また騎馬兵が出現する。


「さあっ!獣ははなたれた。人間ひとの血肉を求めし野獣ぞ。死にたくなくば、逃げよ。失せよ」


 俊冬の狼のごとき咆哮。すさまじい大声である。


 さらに、敵軍は混乱する。


 つぎつぎにあらわれる騎馬兵。だが、俊冬の射撃で装備を吹っ飛ばされ、びびって逃げていってしまう。


 敵軍は、たった一人の狙撃兵と、単身乗り込んできた突撃兵によって大混乱に陥る。


 俊冬はつぎつぎに銃をもちかえ、混乱に陥っている敵の騎馬兵を射撃してゆく。殺るのではない。騎馬兵のもつ采配や銃、あるいはかぶる帽子などを弾き飛ばすのである。しかも、片膝撃ちでの射撃は、銃をかまえて発射するまで2、3秒しかかかっていない。つまり、ほぼ狙う時間はない。その状況で、400、500mさきのちいさな目標物を確実に命中させるのである。


 これはもはや、センスなどの問題ではない。


 その驚異的な掩護射撃に乗じ、敵軍のただなかで暴れまくる俊春。こちらもやはり、敵を殺るのが目的ではない。あくまでも、敵がびびって逃散するよう仕向けている。



「局長っ!いまのうちに」


 撃ちながら、俊冬がうながす。


「あいわかった。江戸で会おう。気をつけろ」


 局長に、もはや躊躇も未練もない。


「宗匠」に駆け寄り、跨る。


「よし。ゆけっ、才輔、登」


 永倉の号令で、騎手をいただく三頭の馬が駆け去ってゆく。



「先生方も、はやく」




 俊冬にうながされ、組長三人とともに騎馬に跨る。敵にみせつけるよう、わざと騎馬をいったりきたりさせる。


 こちらをみる余裕はないかもしれないが、だれかがみていたら、おれたちを追うよう仕向けるのである。そのため、おれたちは、局長とはちがうルートをとる。



「そういや、軍監様は?」


 騎馬上、原田がだれにともなく問う。


「とっくの昔に、姿を消しましたよ。護衛犬を残して」


 思わず、笑いながら答えてしまう。


「かわいそうにな、兼定」


 斎藤が笑いながら、騎馬上から相棒をみおろし慰める。


 結城は、開戦した直後に去っていった。相棒には、笑って見送るよう、その直前に指示しておいた。


 こののち、結城は進駐軍に取り入る。そして、牧師として神とともに生きてゆく。


 それがいいのか悪いのかは別にして、おれにはとうてい真似することのできない生き方である。


「ご武運を」


 俊冬の華奢な背に、心から言葉を贈る。するとかれは、こちらをみることなく四本しか指のない掌を振って応じてくれた。


 おれたちもまた、戦場から離脱した。


 史実では、開戦から敗走までたったの2時間だったらしい。

 双子のお蔭で、事実はもうすこしもちこたえられただろう。


 のちに「甲州勝沼の戦い」と呼ばれる戦は、甲陽鎮撫隊の惨敗で幕を閉じた。



 いったい、ここがどこかなのかも想像がつかない。四人と一頭で、帰巣本能っぽいものを頼りに山道を進む。いまは、馬からおりて手綱をひっぱり進んでいる。


 相棒が、人間ひとや獣の区別なく、生き物については警戒してくれる。


 おれたち人間ひとは、ただまえへすすむことだけ考えればいい。


 仲間たちに追いつくどころか、どこにいるのかすらわからない。それは、仲間がどこにいるのかというよりかは、自分たちの居場所がどこかわからないのである。


 それこそ、スマホがあれば、位置情報でわかったかもしれない。自分たちの位置も仲間たちの位置も・・・。

 あぁ山のなかだから、それもむずかしいか。


 みな、無事に江戸へ向かっているだろうか。

 局長は、大丈夫だろうか・・・。


 自分たちのことより、むしろそちらのほうが気がかりである。


 夜になっても、状況はかわらず継続中である。ときおり、獣の鳴き声や息遣いを感じつつ、脚を動かしつづける。獣道は、馬一頭があゆむにはぎりぎりって感じである。ゆえに、おれたちは馬と一緒に自分の脚であるきつづけている。

 馬も疲れきっている。すこしでも負担をかけさせたくない。


 ありがたいことに、この夜も月がでている。木々の間から、月光と星々の明かりが射し込んでくる。


 おれたちは、無言のまま脚を叱咤しつづける。


 喉の渇き、空腹感、眠気、疲れ。こういったものはとっくの昔にマックスをこえ、いまや陶酔感がとってかわっている。


 アスリート初心者のように、あるいは、断食やラマダンに挑んでいるかのように、いくところまでいってしまっているのかもしれない。


 陶酔感によってというわけではないのであろうが、それ以外の感覚は鈍っている。ゆえに、気配に気がついたのは相棒だけで、その相棒の様子に気がついたときには、気配は手遅れなほどちかくにまで迫っている。



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