加賀爪と上原
夜の闇が深くなるにつれ、脱走者の数は増えてゆく。そして、大胆になってゆく。なかには、どこかで転売しようとでもいうのか、武器をネコババしてとんずらする者もいる。
脱走だけでも懲罰もの。それは想定内だとしても、そのうえ武器をもってゆかれてはたまらない。交代で番をすることになった。
こんなに不穏な空気のなか、KYきわまりない結城は、ござの上で高鼾。肌寒いのに、脂肪がカバーしてくれているのか。
相棒は、そこから2、3mはなれた位置で伏せの姿勢になり、かれを監視している。
「なにをするっ!」
「かえしてやれっ」
あーあ、またしても揉め事か?
大石とその他大勢が、隊士二人を取り囲んでなにやらからかっている。
「お母上にいただいた懐刀だと?ご丁寧に、勝之進と彫ってある」
ささやかな篝火のなか、見張りをさぼって、休息中の隊士にちょっかいをかけている。
「大石さん。それ、おれにくださいよ。爪を削るのに、ちょうどいい」
「おうっ!もってゆけ」
「かえしてください」
加賀爪である。たしか、名は勝之進だったはず。
「返してやってください、大石先生」
「おおっと、こいつは別嬪さんだ。みろよ」
とめに入ろうとした隊士の掌から、大石はちいさな紙片らしきものをとりあげ、篝火にかざす。
「栄作兄上様だぁ?こりゃあ、妹か?別嬪じゃないか。この写真をみてみろ」
「おおっ、わたしがいただきます。これでせんずりすりゃぁいい」
「なんだと、貴様っ」
上原である。逆上し、大石から写真を受け取った隊士に殴りかかろうと・・・。
「やめろっ!」
永倉の怒鳴り声で、その場がしんとする。組長三人があらわれたものだから、大石とその手下どもは警戒してあとずさりをはじめる。
「心底むかつくぜ、大石先生よ」
「はっは。ただの戯れですよ、永倉先生」
「では、奪ったものをかえし、二人に謝罪しろ。二人は、永倉先生の手下。二人を侮辱するのは、永倉先生を侮辱するのもおなじこと。そして、永倉先生を侮辱することは、おなじ組長である原田先生とわたしを侮辱するのもおなじこと。申しておくが、わたしは侮辱されることが、なにより大嫌いだ」
さすがは斎藤。
永倉とはちがう威圧感がある。「鬼神丸」の鞘を右掌でさすりつつ、ゆっくり歩をすすめる。
大石とその手下どもに、戦慄がはしったであろう。
「ひいいいいいいいっ!」
そのとき、両耳にふうっと息をふきかけられ、ぶざまな悲鳴とともに飛び上がってしまった。
「い、いったいなんだ、畜生っ!」
「驚かせるなっ!馬鹿たれ」
この場にいる全員に、いっせいにディスられてしまった。
相棒が、向こうのほうで「ふんっ」っと鼻を鳴らしているのが容易に想像がつく。
そして、結城はこれだけ騒がしくても高鼾。
さすがである。未来の神の僕は、豪胆なのである。
「いいかげんにしてください、お二人ともっ!おれをもてあそんで、なにが面白いっていうんです?」
両脇からおれの耳に「ふうっ」した双子に、キレてしまう。
「なにが面白い?なにが、というよりかはなにもかも、である。「ふうっ」は、人間が喜ぶものであるときいておる。ちがうと申すのか?」
俊春の困惑した表情。
「いったい、だれが?いったいどこのだれが、そんな誤った人間の生態をあなたに植えつけたのです?」
右側の俊春から視線をうつし、左側の俊冬をキッと睨みつける。
「わたしも、弟からきいてはじめてしった。ゆえに、ともに試してみた」
「ならば、だれがいったい・・・?」
双子が同時に視線を、組長たちのほうへ・・・。
「原田先生、原田先生ですね?」
「いやーっ、女子は喜ぶからよ。主計、これが八郎だったら、おまえだって気持ちいいにきまってらぁ」
「そりゃぁ八郎さんだったら・・・、って、なにをいわせるんですっ!」
相貌は、真っ赤になっているだろう。それはもちろん、怒りでである。
これでまた、おれの衆道疑惑がひろまって・・・。
「お母上からの大切な懐刀は、爪を削るためのものではござりませぬ。それに、可愛らしい妹君の写真は、せんずりにつかうものではござりませぬ」
いや、俊冬。まだ話はおわってないし、いきなり、本題に入ってるし、さらには、そこは焦点にあてるところじゃないのでは?
「大石先生。明日、敵とぶつかることになります。このままでは、人数も隊として保つことがむずかしく、そうなれば、先生方一人一人の武勇に頼ることになります。局長は、それをたいそう期待されておいでです。さきに殴られたのも、その期待のあらわれ。こののちの戦闘に備え、どうかおやすみください」
俊冬の弁舌。子守歌のように耳に心地よい。
「おやすみいただかないと、いま、この場で貴様を血祭りにあげてしまいそうだ、人間よ」
いつの間にか、双子の姿が大石の両脇にうつっている。
大石の耳をなめるように、俊冬は唇をちかづけささやく。
さきほどまでとは一転し、ぞっとするほど冷酷で獰猛な、獣の唸り声のような響きがこもっている。
大石もその手下たちも、ぶるぶると震えている。
またしても、大石は失禁するのか?ちょっと期待してしまう。
「くそっ・・・。気味の悪い化け物め。ゆくぞっ」
どうやら、粗相だけは免れたようである。 捨て台詞のわりには、歯がカチカチ音を立てている。
大石は、よろめきながら去っていった。
その手下どもも、意識をしっかり保ちつつ、大石につづく。




