トラブルメーカー 大石
副長は本隊の出発にあわせて、単身江戸へ戻ることになった。
双子のどちらかに付き添ってもらったら、という局長のアドバイスを、副長はうまくかわす。
副長、三人の組長、双子、おれの間で、この負け戦の役割分担は決めている。本来なら、無駄な援軍要請をしに、副長が江戸へゆく必要もない。そのことを、おれたちはわかっているが、従軍しているおおくはそのことをしらない。
すでに落ちた甲府城に、無傷の軍勢。これらをしった甲陽鎮撫隊のおおくの兵は、動揺して脱走する。それを一人でもつなぎとめるには、「援軍がくるかもしれない」という希望の一つもちらつかせる必要がある。
わかっている。そんな希望など、もたせることじたいが卑怯だということを。それでも、一応は軍という体裁は保たねばならない。
おなじ負け戦でも、戦わずして敗走という事態にでもなれば、局長はどんな気持ちになるだろう。
いや、それもまたおかしな話であることはわかっている。
局長の気持ち。歴史がかわってしまうことや、しがらみや体裁や矜持。そんなことよりも、最初から戦わずして逃げたほうが、だれも傷つかず、死ぬことがないのである。
わかっている・・・。わかってはいるのだ。
翌朝、朝食後に出発の準備をおえ、時間があったので野村と市村と田村と相棒とで本陣の周囲をあるいてみた。この周辺もまた、農家がおおい。人々は日の出とともに起きだし、活動を開始している。
甲府城が敵の手に落ちていることを、まだしらないのであろう。人々は、フツーに起き、いつもとかわらぬ日課をこなしている。
たとえしっていたとしても、人々の生活はかわらないのかもしれない。
さして影響がないであろうから。
これが戦国時代で、問答無用で田畑を焼き払うとか、略奪行為をするとかだったら、人々も戦々恐々とするのだろう。
が、いまはちがう。
人々が幕府軍にかかわっていないかぎり、敵はかまいもしないだろう。
本陣に戻ると、準備をおえた者たちが本陣まえに集まりはじめている。
副長もそろそろ出発するのか、駕籠のちかくで局長たちと話をしている。
今回、副長は駕籠で江戸へゆく。
一つは、乗馬になれていないということである。
馬は、副長にかわっておれが騎乗する。
いま一つは、たった三日、たった三日の行軍で、尻の皮がむけてしまったらしい。
ふふふっ!あの歴史上イケメントップスリーに入る土方歳三の尻の皮が、ずるりと剥けたのである。
あ、いや、ずるりと剥けたかどうかは、正直、わからない。
診たのは、俊春だから。
副長は、診てもらう際に俊冬ではなく俊春を指名した。おとなしくって個人情報保護法を生真面目に遵守しそうな俊春をチョイスするとは、ナイスである。
まぁそういう理由で、駕籠を手配したわけである。
五街道などの旅を駕籠ですべてまかなうには、どんなご大尽でも無理がある。
たとえ深夜割引料金が適用されても、タクシーで郊外まで走れば馬鹿にならない。
だれかのブログで、江戸時代に駕籠をつかった最高記録が、江戸から赤穂までの170里(約668km)を、四日半で駆けたというものをみたことがある。
これは、江戸城の例の「松之廊下」で起こった刃傷事件のしらせを、赤穂にもたらせたものであろう。もちろん、おなじ駕籠舁きが走破するわけではない。宿場から宿場で、乗り継ぐのである。
現代なら、新幹線のぞみで新神戸までゆき、こだまに乗り換え相生へ。そこから播州赤穂線で赤穂へ。おおよそ、四時間弱でゆける。
兎に角、駕籠でも、金と気合いさえあれば、立派な移動手段になりえるというわけである。
「なんだと?」
「やるってのか、ええっ?」
一塊になっている集団から、そんな物騒な怒鳴り声がきこえてきた。
「あー、やっぱりな。大石だ。やると思ってたんだよな」
額に掌をかざし、野村が呑気にいう。
「いってみよう」
「うん。いこう、兼定」
好奇心旺盛、いや、揉め事をみるのが大好きな市村と田村が、相棒の綱をひっぱり、とっとといってしまう。
仕方がない。保護者としては、ついていってやらねば・・・。
というわけで、おれもゆくことに。
同時に、局長と副長、組長たちも、騒ぎのほうへあゆみだしている。
「なにごとだっ!」
新撰組の隊士たちは、すこしはなれたところから様子をうかがっている。
弾左衛門の手下や博徒侠客たちが、集まっている。
局長と副長が、みなをかきわけ輪の中心に入ってゆく。
弾左衛門と大石が、いまにもつかみあわんばかりの勢いでいいあっているではないか。
「もういっぺんいってみやがれ」
「ああ、幾度でもいってやる。てめぇらのような犬畜生がいくら集まろうが、きゃんきゃん吠えるばっかりで役に立たないんだよ。さっさとねぐらへかえりやがれ」
ああ、大石・・・。貴様、最低なやつだ。
その大石の一言で、おれたちはことのなりゆきを理解した。いや、ことのなりゆきなど推測するまでもない。
一方的に、大石が難癖つけた。
それしか、考えられない。