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猪鹿熊

 鹿が、そのしなやかな肢体をあらわす。奈良公園で、観光客から鹿せんべいをもらっているあのまんまの鹿である。


 そのゆくさきをはばみ、佐藤と弾左衛門が地に片膝をついて銃を構えている。


「呼吸を整えて。息の乱れで、標的から弾丸たまをそらせてしまいます。標的は、充分ひきつけて。ぎりぎりのところで発射します。眉間とか心の臓は狙わないで。狙ってあたるものではありません。兎に角、相手にあたればいい。あたれば、敵に深刻な被害をあたえます。どこかにあてるだけでいいのです」


 俊冬の単調なアドバイスが、獣たちの生命いのちの躍動とかさなる。


 俊冬は獣としてではなく、人間ひとに、具体的には敵兵にみたてている。


 それまで、どこかてんぱっていた二人が、そのアドバイスで落ち着きを取り戻したようだ。


 鹿は、みるみるちかづいてくる。そして、それを追っている熊二頭があらわれた。


 熊は、群れで獲物を襲うイメージはないが・・・。たまたま、沢にいあわせて獲物がかぶったのであろうか。


 かなりちかづいている。3Dのように、飛びだしてくるっていうような距離だ。


「いまですっ!」


 二発の銃が、同時に火を噴く。佐藤と弾左衛門にぶつかりそうなところまで、鹿は迫っている。


 発射音がまだ消え去らぬ間に、鹿の動きが緩慢になる。それから、ゆっくりと二、三歩すすんでからどうと倒れた。


「やった」

「すごい」


 人間ひとから、声があがる。


 すでに、佐藤と弾左衛門は茂みに飛び込んでいる。


 獲物を奪われた熊たち。立ち止まって両脚で立ち上がり、人間ひとを探っている。


 そのとき、「プギップギッ」という鳴き声とともに、鹿や熊たちがやってきたとおなじ方角から猪が二頭あらわれた。


 なにあれ?めっちゃでかくないか?


 イメージしている猪より、はるかにでかい。もちろん、「ものOけ姫」にでてくる白い猪神の「乙O主」には、はるかにおよばないが。


 熊たちもうしろをふりかえり、でかい猪たちが駆けてくるのをみて仰天して茂みのなかへと飛び込み、すたこらさっさと逃げ去ってしまった。


 その猪のうしろから、相棒があらわれた。てきどな距離を保ち、吠えつつ追っている。


 すでにおれたちは、それぞれの位置について拳銃チャカや銃を構えている。


「発射したら、すぐに退避してください。呼吸を整え、よくひきつけて」


 俊冬の指示で、呼吸を整える。


 双子の拳銃チャカは、永倉と斎藤が握っている。拳銃チャカ組は立ったまま、銃組は片膝をつき、猪が迫るに任せる。


 猪に体当たりされたら、軽自動車にはね飛ばされるのとおなじくらいかな、と右側の猪のと牙をみながら漠然と考える。


 それほど、迫っている。


「いまですっ!」


 指示がくだり、引き金をひく。そして、すぐに右手の茂みに飛び込む。


 全員が、おなじように左右の茂みに飛び込んでいる。


 当たったのか当たっていないのかはわからないが、猪たちの速度は落ちない。えっと思う間もない。鼻先を、駆け抜けてゆく。


 そのとき、そのさきに双子が立ちはだかっていることに気がついた。しかも、二人とも掌になにかを巻いている。


 猪たちは、かまわず二人に突っ込んでゆく。


 固唾を呑んでみまもるおれたち。



「どかっ!」と鈍い音がし、だれもがをみはる。


 双子が、猪たちの突進をわが身で受け止めたのである。


 そのすさまじい突進を・・・。力負けすることなく、微動だにしない。よくみると、俊冬も俊春も、掌は猪の牙を握っている。


 気がついたと同時に、双子は猪を地におしつけた。そう、まさしくおしつけたのである。


「どさっ」


 猪たちは、地面にねじ伏せられてしまった。そのまま地面におさえつづける双子。


 しばらくの間、脚で地をかいていた猪たち。が、その動きもしだいに弱くなり・・・。


「な、なんだあれは?」


 弾左衛門の、驚愕をこえたつぶやき。


 そっか。新撰組うちは、ある意味慣れている。いまさら、そこまで驚くことはそうそうないが、外部の人にとっては、脅威を超えまくってる出来事にちがいない。


「全弾、命中ですな」


 おれたちがちかづくと、俊冬は猪から相貌かおをあげ、にんまり笑う。


 猪の頭や体に空いた穴の数を、調べたらしい。


「猪の牙は、鋭利なのです。不用意に握ると、掌をもっていかれてしまいます」


 俊冬が説明する。


 猪には牙が上下ある。上の牙は目立っている。それが、突いたりして相手に甚大な被害をおよぼす。それだけでなく、鋭利だという。それこそ、なんでも斬ってしまうほどに。下の牙が、やすりのかわりをし、上の牙をつねに研いでいる。だからこそ、鋭利なのである。


「兄上・・・」


 みなが猪を囲んでわいわいみていると、俊春が注意をうながす。


「山神様か・・・。兼定、よい。こちらへ」


 双子の視線を追う。


 さきにたおした鹿のむこうに、犬が数頭いる。


 いや、犬にしては・・・。


 まさか、狼?


 みなが驚き、注目するなか、俊冬の指示通りに相棒が戻ってくる。


 いくつもの人間ひとの緊張の光を帯びたが、突如あらわれた獣に注目する。

 そして狼たちもまた、じっとこちらをみている。


「お、狼・・・?」


 弾左衛門の手下てかたちが、銃をもちなおす。


「おやめください。このあたりの山神様です。われらが騒がしくしてしまったので、のぞきにきただけのこと」


 俊冬が掌をあげ、それを制する。


「お詫びに、鹿を捧げます。これにておまちを。動かないでください」


 俊冬はそう告げると、俊春とともに狼たちへと歩をすすめる。


 二人が歩をすすめるごとに、一頭、また一頭と伏せの姿勢をとる。そして、双子が中心にいる一番おおきな狼のまえに立ったたとき、その一番おおきな狼も地に伏せる。


 服従の証・・・。


 そっと、みなの表情かおをみまわす。


 永倉も原田も斎藤も、先夜の吉原からのかえりのときのように、うっとりとした表情かおで双子の背をみつめている。


 そして、副長もまた・・・。


 相棒も、お座りして満足げな表情かおで、おなじように双子の背をみつめている。


 山神様に詫びを入れる俊冬の声が、微風にのって流れてくる。夕陽が、遠く山の稜線の向こうに消えようとしている。


 夜の訪れは、獣たちの世界。


 ひれ伏す狼たちをまえにする双子。かれらこそが、山の神ではないのかとさえ錯覚してしまう。


「おまたせいたしました。はやく戻りましょう。夜は、人間ひとのいていいところではございません。獣だけでなく、いろんなものがおりますゆえ」

「ええっ?」


 お化けの類が大っ嫌いな原田の悲鳴。


 副長も声にこそださないが、眉間に皺がよっている。



 本来なら、沢へ運んで解体するのが一番いいらしいが、そういう事情で運ぶことにする。


 縛り上げるときももったいない。


 双子が、褌一丁になって背負う。


 旅装に血や獣臭がつくことを、避けるためである。


 佐藤も弾左衛門も、六貫(約220kg)をこえていそうな猪を背負う双子の華奢な体をみ、またしても驚愕を隠しきれないでいる。

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