悠久の流れ
副長がゆっくりとした足取りで双子にちかづき、俊春のまえに立つ。それから、左掌を伸ばす。
そのながくてすらりとした指は、手入れを怠ったことのないどんな手タレよりも美しいであろう。
副長の掌が、俊春の視力を失った右瞳のあたりから頬へとやさしくなぞる。
「いい子だ」
それから、おなじ掌が俊春の頭をなでる。
「為次郎兄は、なんかいってなかったか?」
その問いは、俊冬に向けられたものである。
「いえ、とくに。あえて申し上げますなら、副長、あなたがおイタをせぬように見張ってほしい、と」
俊冬は、あたりさわりのない言葉でごまかす。
組長たちが、声を殺して笑う。
「為次郎兄らしい・・・。ところで、俊冬。もしもおまえが弟だったら、おなじようにだまっていたであろう?おれが俊春だったら、耳朶のことだって告げなかったかもしれねぇ。兄貴や仲間を、無駄に案じさせたくねぇ。その思いがいっぱいでな」
「申し訳ございません」
俊冬は副長と向かい合い、素直に頭を下げる。
「謝るのは、弟にだろうが、ええ?」
「御意・・・」
副長にたしなめられ、かれは俊春の注意をひく。
「すまなかった。許せ」
すっごくタカビーないい方に、思わずふきだしてしまう。
相棒もおれの左脚のいつもの定位置で、にこにこしながら双子をみている。
俊春は眉間に皺をよせ、「しょーがないな」っぽい雰囲気で兄の謝罪を受け入れる。
「よし」
副長は脚許の石ころを拾うと、それを川に投げる。
石は、水面を二回飛び跳ねる。
「腕が落ちたんじゃねぇのか、土方さん」
「新八の申す通り。よっしゃ」
「負けませんよ、左之さん」
組長たちも、われさきに水切りをはじめだす。
よーし・・・。
掌から綱をはなし、水切りに参戦する。
ふふふっ。じつは、水切りに憧れていた時期があった。webで、だれかのブログの水切り講座なるものをみたことがある。
そのとき、水切りの世界大会なるものがあることをはじめてしった。
その講座によると、まずは姿勢を低くし、まえかがみになる。低い位置から投げたほうが、跳ねやすいらしい。そして、石は腕の振りにそって人差し指からぬけるようにする。石は、横回転させる。回転によって、ジャイロ効果が得られるらしい。
野球でいうところの、サイドスローというところか。
ちなみに、ギネス記録は88回だか91回だったかと記憶している。
水切りも、すてたものではない。
それっぽい石をつかむと、その投法で投げてみる。
おおっ!四回跳ねた。水切りデビューにしては、なかなかのものじゃないか?
その直後、おれよりも二回おおく跳ねた二つの石・・・。
無論、双子である。
異世界転生で、水切り選手でもやっていたのであろう。
「くそっ!こんなことまで、おれに喧嘩うってきやがるか」
副長が、競争心を奮い立たせることはいうまでもない。
そのあと、掌にまめができるまでやりつづけた。
相棒は、砂利のすくないところで丸くなって眠っていた。
翌朝、出発する際におおくの人々がみおくりにきてくれた。
沖田林太郎とその妻子は、一足さきに旅立った。
そして、いよいよわかれのときが・・・。
「みな、これからは親兄弟を大切にし、家を護り、そして、文武の研鑽をつんて立派な漢になるのだ、いいな」
子どもたちをまえに、局長が述べる。
子どもたちはもちろんのこと、局長も泣いている。
立派な漢・・・。
そう、もう士分はなくなる。
「その精神は、武士だ。いつか、新撰組の隊士であったことを誇れるときがくる。それまでは、自身のため、家族のためにだまっている。いいな」
そして、副長からの言葉。その声は、ビミョーにかすれている。
子どもらどうしの別れはすんでいるらしい。それでも、はなれがたいのか、市村も田村も泣きながらさよならをいっている。
「歳、みなさまに迷惑かけるのではないですよ」
副長は、姉ののぶさんからいいきかせられている。
みな、笑ってはいけないと思いつつ、肩を震わせ笑っている。
副長は、照れ笑いをしつつも眉間に皺をよせている。
行軍を開始直後、双子が後方をみているのに気がついた。その視線を追う。
人々の輪からはなれたところで、為次郎が杖を振っている。
三人で、そちらに向き直ると深々とお辞儀する。
かれにはみえないだろうが、感じてはもらえるはず。
与瀬に向かう。
甲州街道の宿場町は、東海道や中山道のそれよりこじんまりとしている。
与瀬宿も例外ではない。本陣が一軒に、旅籠が十軒に満たない規模である。
そのため、人数がおおいので分宿する。
与瀬宿は、鮎が有名らしい。かの歌川広重が「広重甲州道中記」のなかで、与瀬宿の鮎は値段が高くてまずいっぽいことを述べているらしい。
鮎の価格や味のことは兎も角、日野から与瀬宿までの距離は、おおよそ35キロ程度。早朝出発し、与瀬宿に到着したのは夕方ちかくであった。
鮎は、夏の風物詩。残念ながら、時期的にまだ早い。現代では、11月から5月の間は禁漁の時期である。
っていうか、ついついグルメっぽいことばかり考えてしまう。
まだ日のあるうちに、拳銃の実射をおこなうことになった。
これ以上のばすと、敵の斥候などに遭遇する可能性がある。
いまのうちに、というわけである。