路地裏の男
よほど坂本に縁があるらしい。
夕刻、相棒を連れて例の菓子屋を訪れ、そこで沖田の好きな京菓子をいただいた。
とはいえ、金子を払うつもりが受け取ってもらえなかった経緯があり、結局、タダでいただいてしまった。
それから、沖田を見舞った。
沖田は、会うごとにやつれ、顔色も悪くなっている。
だが、本人は起き上がり、迎えてくれる。
再三、「もうこないでくれ、病がうつっては」といわれたが、かまわず会いにいっている。
おれは、労咳の怖ろしさをしらぬ現代人。
もといた場所は、幕末と違って労咳、いや、結核に感染することはめったにない。
感染したとしても、かならずしも発症するわけではない。運悪く発症すれば、しばしの隔離と抗結核薬などによる治療で、ほぼ治る。
労咳についての知識がないので、確実なことはいえない。
それでも、近い将来、死病ではなくなるということを、かれに唱えつづける。
病は気から、ということを信じている。
気のもち方一つで、進行や程度が緩和されれば・・・。
医師がこの時代にタイムスリップし、医療でもってこの時代を駆け抜けてゆく、という漫画がある。ドラマ化もされた。
おれが医師だったら、沖田を助けられたのか?それともやはり、進行をゆるめることくらいしか、できないのか?
抗結核薬があれば・・・。
だとしたら、やはり、いまここでどうにかできる、というものではないのかもしれない。
無力感・・・。
沖田に会うたび、それに苛まれる。
相棒も、心配げである。
まるで、セラピードッグである。
沖田に掌を貸し、縁側に座らせてやる。相棒は、長い鼻面を沖田の太腿に置き、頭を撫でさせている。
ずいぶんと物騒な外見のセラピードッグではあるが、沖田は機嫌よく接してくれている。
以前、犬やら猫やら拾ってきては、副長に怒られた、という話をしてくれた。
ここにも、動物好きがいる。
小さな生命を、大切にする男が・・・。
局長の為には、敵を斬ることにいかなる躊躇も迷いもない剣士。
それとこれとは、また話が違うのか・・・。
お孝さんに京菓子を手渡し、この日も「またきます」と告げ、そこをあとにする。
たまたま、である。
門限まで、まだ時間がある。ぶらついてみることにする。
とはいえ、あるいてゆける範囲はしれている。
陽も暮れ、あたりには夕飯時のにおいが満ちている。人通りもまばら。
考え事に没頭する。
考え事をしたいときには、ヘッドフォンで音楽をきくか、ひたすらあるいた。
スポーツジムなら、ウオーキングマシーンをつかい、同時に両方できる。
その日の夜のことを、考える。
相棒は左太腿に鼻先がくるよう、あるいている。
坂井は、確実に伊東の間者である。
伊東の息がかかった者は、黒谷に直訴しにいき、そのままそこで切腹している。あるいは、消された。
これらは、おれがここにくるまえのこと。
隠れ伊東派は、まだいるはずである。
副長が狙われはじめたのは、黒谷で伊東派が自害したあとである。
伊東は、新撰組で自分の思想をずいぶんと説いた。あるいは、その活動をすることが、入隊の条件の一つだったのかもしれない。
攘夷・・・。
だが、根本は違う。新撰組は佐幕派、そして、伊東は尊王派・・・。
神というものを信じていても、キリストか仏陀か、というほど違いがある。
よくぞ入隊したものだ。
人のいい局長を、染めかえる自信があったに違いない。
誤算は、副長、である。
坂井は、あからさまな伊東派ではない。思想ではなく、性欲でのつながりであろう。
伊東は、そっちのほうでもたいそうな自信家に違いない。
「おう、また会おったね」
声とともに、狭い路地からおおきな人影がぬっとでてくる。
相棒の警告がなかったので、声をかけられるまで気がつかなかった。
「坂本さん」
よく路地からあらわれる人だと思いつつ、かれの名を呼ぶ。