原田の信
「俊冬、もういい」
みな、はらはらしながらなりゆきをみまもっている。
副長は二人にちかづいて俊冬をなだめつつ、俊春の手首を握るその腕をやさしくさする。
俊冬は、俊春の腕から掌をはなしはしない。だが、握力はゆるまったようである。俊春の掌に、赤みがもどってくる。しかし、俊春のほうも俊冬の着物の袷部分をつかんだまま、はなそうとしない。
「左之、山崎になんていわれた?」
副長は、視線を原田へと向けて問う。
「そうだなぁ・・・。たしか、『俊春の様子がおかしい。おそらく、耳朶がきこえていないのだと思う。俊春の性質なら、それを兄以外にしられたくはないであろう。とくに、副長や主計には。すまないが、みまもってやってはくれないか・・・』、そんな感じのことをいわれた」
「なにゆえ、報告しなかった?二人は・・・」
副長は視線を、原田から双子へ向ける。
「隊士じゃねぇが、仲間だ。左之、おまえは幹部で組長の一人だ。おまえの組下だけでなく、新撰組のなかの者になんかあれば、報告する義務がある。おまえ、それを怠ったことになるぞ」
急な話の展開に、永倉も斎藤も双子も、無言のまま耳をかたむけている。
原田は伸びをしてから、体ごと副長と双子へと向き直る。
「だったら切腹か、土方さん?なら、やってやる。おれは、山崎と約した。二人がみずから告げるか、あるいはそういうときがくるまで、だまってみまもるとな。おれは、あんたのいう義務なぞ、くそくらえだって思ってる。おれは、かようなくそったれの義務より、信をとる」
副長は、それをききながら双子をうまくわけた。それから、あらためて原田のほうへと体を向ける。
「ときにそのくだらん情が、みずからや周囲を滅ぼすことになる」
「おおいに結構。それに、土方さん。山崎との約定だけじゃない。二人をみているから、いらぬことをいうべきでないと判断した。俊春のせいで、だれか死んだか?新撰組が、なにかしらの咎を受けたか?否、であろう?だれ一人として、傷一つつけられちゃいねぇ。それどころか護ってもらってるし、新撰組がなにかにつけ有利になるよう、便宜してもらってる。土方さん、この二人の鍛錬をみたほうがいい。俊春は、耳朶の不調を補うため、自身の生命をかけてやってる。傷をみただけでは、それがどんなに過酷なものか、わからんだろう?あれをみれば、義務なんてこといえるものか」
原田は肩で息をしつつ、いっきにまくしたてる。目尻にたまる涙を、指先でぬぐう。
「土方さん、あんたのいうことは的をはずし・・・」
原田はそこまでいいかけ、不意に口をつぐむ。副長と視線をあわせたまま、肩をすくめる。
「近藤さんも、気がついてると思う」
そして、意外なことを口走る。
「かっちゃんが?」
「耳朶がってところまではわかっちゃいないだろうが、体躯のどこかがおかしいってところはな。艦で、気がついたんじゃないかと思う。だが、近藤さんがなにかいうわけにはいかんだろう?」
艦・・・。局長は、双子の喧嘩をとめたときに気がついたと?
たしかに、局長がなにかをいってしまえば、その影響はおおきい。
「それをいうなら、このまえのことも、うすうす勘付いてるだろうがな」
将軍警固の際の一悶着。その任務だけではない。新撰組に便宜をはかってもらっているほとんどが、双子自身の体によるものだと気がついている・・・。
「近藤さんは、ああみえてよく周囲をみてる。土方さん、あんたよりもずっとな。ごまかせんよ」
副長は、無言である。
それをききながら、背筋に寒いものがはしる。
局長は、おれから自分の未来をしってしまったのではないか・・・。
「兎に角、俊春の耳朶のことなど、とくに気にする必要などなかろう」
「そうですよ。原田先生のおっしゃるとおりです。会話はゆっくりおおきく口の形をつくったり、簡単な手話、つまり、指や動作で示せばいいんです」
原田につづき、提案する。
突発的な難聴が治るかどうかはわからない。俊春の負担をすこしでも減らすために、周囲でカバーすればまったく問題はないはず。
「ああ、おれも同感だ」
「わたしも、同感です」
永倉と斎藤である。
一瞬、副長が口の端をあげた。双子に背を向けたままで。原田へ視線を向け、アイコンタクトをとる。
それから、おおげさにため息をついてから、双子へ向きなおる。
「というわけだ。局長も黙認してる。俊冬、おれは俊春が足手まといになるとはいっさい思わぬ」
双子は、うなだれたままきいている。
原田が、満足げな笑みを浮かべる。
そこではじめて、さきほどの副長の原田へのいいがかりが演技だったということに気がついた。
わざと原田を責めることで、俊冬の気持ちを軽くしようとしたのだ。
弟の耳が聴こえなくなったことで、一番辛い思いをしているのは俊冬なのだから。
「もう無茶な鍛錬をする必要はねぇ。俊春、おれをみろ」
副長は掌をのばすと、うつむいている俊春にはふれずにその視界にはいるあたりで指をふり、注意をうながす。俊春が視線をあげる。
「おまえは、なくてはならぬ仲間だ。無茶な鍛錬はやめてくれ」
俊春が口の形でよめるよう、ゆっくりおおきく口の形をつくって再度告げる。
「承知」
了承する俊春。その横で、俊冬はまだうつむいている。
「俊冬、いいな?おまえが一番苦しんでるってこともわかってる。その苦しみを、おれたちにも投げてくれ。だからこその仲間だろうが」
はっとして相貌をあげる俊冬。ややあって、「承知」、と了承する。
「このことは、全員のまえであらためて告げることはないが、隠すこともねぇ。組長は、組下の手下にそれとなく伝えろ。局長と餓鬼どもには、おれから伝える」
「承知」
組長三人が、了承する。
「この話は、ここまでだ。いいな、俊冬、俊春。主計、いま、なんどきだ?」
問われ、懐中時計を確認する。22時まえ。
「夜四ツ、亥の刻です」
副長は、俊冬と俊春の肩を軽くたたいてから、笑顔で告げる。
「よし。吉原にゆくか」
「おおっ、まってました」
その一言でわく組長三人。
「おまえらもくるんだ」
そう命じられたのは、双子とおれ。
「なーに、やるやらねぇは別にして、わずかでも羽目をはずすのも必要だろうが」
仕方ないなぁ、もう。そこまでいわれたら、ってか、命じられたら、気がのらなくっても同道するしかない。
サラリーマンとおなじである。上司から誘われたら、なにをさしおいてもゆかねば・・・。
「というわけで、おれたちはいってくる。相棒、おまえはここでやすんでろ」
相棒にちかづくと、そう告げる。
「エロおやじ、と申しておる」
ささやいてくるのは、相棒の代弁者俊春。
「エロおやじ?そんな年齢じゃないぞ。ってか、どこがエロいんだよ?」
「いや、その表情。エロすぎであろう?」
永倉にツッコまれ、思わず掌で相貌をさわってしまった。
永倉は、なにげに現代語をつかいこなしているのが笑える。
それは兎も角、相棒は、この夜は厨のなかで眠ることになった。
厨をでてゆきながら、相棒に掌を振った。すると、副長が原田の肩を叩いているのが視界の隅にうつった。
原田は、笑顔で頷いている。
さきほど、原田が途中で言葉をとめて本筋からそらしたのは、副長の意図に気がついてのことだったのだ。
やはり、かれらの心はつながっている。
どれだけ感情的になろうとも・・・。