居るべき場所
「おれは、間者や密偵のような任務についていました」
着物を着替えると、座りなおす。
きかれてもいないのに、話しはじめている。
これまで他人に話したことなどなかったというのに、なにゆえか口をひらいている。
副長は、一つ頷く。
書類仕事で忙しいはずなのに、立ち上ろうとしない。
「囮捜査官。おれのいたところでは、おれのような任務につく者を、そう呼んでいます」
「同心や目明しのようなことをやっている、といっていたな?」
副長は、視線を開け放たれた障子の向こう、夜空へと向けてから呟く。
「おまえのいたところでは、悪人はおおいのか?」
奇妙な問い。
この時代で日々刀をふるって他人を斬っている、あるいは、部下に斬らせている男は、いったい、悪人をどう定義づけするのであろう。
「おれのいたところでは、ほんものの悪人、というのはそうおおくはいません。そして、日常的にいろんな場所で、斬りあいや撃ちあいがあるわけでもありません。それどころか、お上に許可を得ていない武器を携えることすら、ご法度です。ただ、それは、この国にいえることです。日の本の将来は、異国と比較しても、安全で平和な国です」
「そうか・・・」
副長は、また視線を夜空へ向ける。
「ならば、なにゆえおまえのような男が必要なのだ?心の臓のちかくを撃ち抜かれるような、危険なことが起こる?」
視線をこちらへ戻すと、さらに意外な質問をぶつけてくる。
「平和で安全ではあっても、犯罪がなくなることはありません。ここにも極道者はいますよね?その流れは、将来にもあります。かれらは、将来では暴力団と呼ばれ、博打、麻薬、殺人、恐喝や詐欺といった違法行為を組織的におこなっています。異国にもそういう犯罪組織があり、この国にやってきて犯罪を起こすこともあります。おれは、そういった組織に潜入し、そこで過ごしていました」
つられて、夜空をみあげてしまう。
「命がけの務めだな、それは?身も心も削らねばならぬ」
「ええ・・・」
そう、かかる重圧は尋常ではない。
「父も刑事だったのですよ、副長。そして、立派な剣士でした」
ふと、父のことをきいてもらいたくなってしまう。
「だったにでした、か?死んだのか?」
「任務中に撃たれ・・・。恥ずかしい話ですが、犯罪を取り締まるべき組織の内部に、裏切り者がいます。それは一人二人という程度ではなく、組織的規模です。しかも、おれのような下っ端ではどうにもできぬような、上にもいるのです。いまでいうところの、幕府の重臣、のような・・・。連中は、事実をいいように書き換えるか、あるいは揉み消します。そして、目障りな捜査官を、どこか遠くへ飛ばしたり・・・」
「斬ったり、あぁ撃ったり、だな?」
「そうです・・・。おれたちは、親子ともども、というわけです」
肩をすくめる。
誠は、そんなに簡単に片付けられる話ではない。
「仇討はしたのか?父親の」
苦笑してしまう。
「いまのように、仇討は認められていないのです」
「とんでもねぇ話だな。暴こうとしたら揉み消されたり命を狙われるんじゃぁ、あとはおなじようにその連中の命を狙うしかねぇだろう?が、それも禁じられてるんなら、もはや打つ手なしか?あるいは、その連中を殺して自害するか・・・。それもまた、馬鹿らしい話じゃねぇか?」
その通り。
目には目をか、泣き寝入りかのどちらかである。
匿名でマスコミにリークするというのも、相手が大物すぎればそのマスコミも取り込まれている可能性が高い。
あるいは、びびってしまうか。
なんの為の警察か、なんの為の法律か・・・。
「それを考えりゃ、いまのほうが単純なんだろうな。まっ、たしかにここでも縛られることもおおいが、すくなくとも殺るか殺られるか、で決着をつけれることもおおい。主計、おめぇ、もとのところにかえりてぇか?」
突然、ふられる問い。
正直、すぐに答えはだせそうにない。
なぜなら、おれはここを、新選組を好きになりつつあるから。
「おめぇは、ここのほうがあってるようにみえるがな、おれには。あるいは、こここそがおめぇのいるところで、あっちから戻ってきたのかもよ」
驚愕の表情が、浮かんだにちがいない。
副長は、しっかり視線を合わせてから、端正な口の端をあげて笑う。
そんなふうに考えたことなどない。
っていうか、そんな発想など、まったく浮かびもしない。
「くーん」
相棒が、庭で奇妙な鳴き声を上げる。