鮟鱇の吊るし切り
「永井様、それに、小栗様」
「うおっ!ちょっ、お二方、なんでこんなに場所があいてるのに、おれのパーソナルスペース、もとい、懐のなかに入ってくるんです?」
突然、両脇にあらわれた双子。サンドイッチ状態は、先日の伊庭の屋敷での風呂垢すり事件を思いださせる。
いまだに、体中のあらゆる箇所がひりひり状態である。
「スキ、だからだ」
え?俊冬の、いきなり「好き」宣言?
思わず、さきほどの「プリティウーマン」状態を思いだし、ドキッとしてしまう。
「兄上、誤解されておりますぞ。言の葉を端折るのは、よくありませぬ」
「おお、つい。なれば、いいなおそう。スキ、だらけだからだ」
ちっ、悪かったよ、スキだらけで。
「おおっみな、ご苦労なことだ」
永井は隊士たち一人一人に声をかけ、小栗は、丁寧に会釈している。
俊冬が小栗を紹介し、三人の組長と隊士たちが順に名乗る。
「上様にお会いしたく、お忍びでやってまいった」
永井が、声をひそめる。
とはいえ、だれかが盗みぎきするのは、実質、不可能である。現代のセキュリティシステムより優秀な耳鼻が、双子と相棒あわせて三組あるのだから。
それでも、ついひそめてしまうのであろう。
江戸城は、どこもかしこも壁や障子に耳鼻がくっついているという、ホラー状態なのかもしれない。
「おそれながら、あぶのうございます。すでに、敵の間者や刺客が江戸市中に入り込んでおります」
「わかっておる、俊冬。ゆえに、かような恰好をしておる」
永井は、360度まわり、町人への化けっぷりを披露する。
みな、笑っている。
マジな話、危険をおかしてまで将軍に会いたい、というわけか。
「近藤と土方は?」
「局長は、医学所に。副長も医学所へ参っておりますが、もう間もなく戻るかと・・・」
「兄上、お戻りになられました」
俊冬にかぶせ、俊春が告げる。が、副長の姿はまったくみあたらない。相棒ですら、気配を察していない。と思いきや、相棒がまた耳をぴくぴくさせつつ、尻尾を盛大に振りだす。
しばらく間をおき、副長が島田と蟻通をしたがえ、木々のむこうにあらわれた。
俊春の耳鼻はすごすぎ、である。
「これは小栗様、永井様」
副長も、二人に気がついたらしい。
副長は、俊冬から二人の訪問の事情をきくと、さっそく、島田に案内するよう指示する。
小栗と永井は、二時間ほど「葵の間」ですごした。
二人が危険をおかしてまで将軍に会いにきた理由・・・。
なんとなくだが、わかる気がする。
二人が将軍に謁見している間、双子が魚をさばくのを見学する。
寒鰤、金目鯛、鱈、河豚、真名鰹、カワハギ、イカ、そして、鮟鱇。青柳や桜エビもある。
鮟鱇の吊るしぎりなるものをみるのは、はじめてである。
宿所がわりの庵のまえに、木の棒を何本か上部で重ね合わせてくくりつけ、そこに、鮟鱇の下顎をかぎ爪でひっかけ、吊るす。
みな、そのものめずらしいパフォーマンスに集まってきた。
副長まで・・・。
でっかい鮟鱇である。二十キロはくだらないはず。その下に、桶を置いておく。
西の河豚、東の鮟鱇。鮟鱇は、東の人にとっては冬の風物詩ともいえる。
腸以外は、捨てることのない鮟鱇。フンドシ(卵巣)、水袋(胃)、エラ、トモ(尾)、柳肉(身)、そして一番旨いといわれている、皮、キモ(肝臓)。これらを、『アンコウの七つ道具』というらしい。
まずは、安定させるために口から水をいれる。胃袋にたまって、どっしりと安定するわけである。皮をはぎ、腹を裂き、中身をとりだし、身を三枚におろす。
馬鹿でっかい鮟鱇を二匹、俊冬と俊春で一匹ずつさばいたが、どちらもじつに手際がいい。一匹は寿司に、一匹は鍋にしてくれるらしい。
鮟鱇の寿司って、現代だったら鮟鱇の獲れる大洗とか、そういった地元でしかないんじゃないのか?もちろん、この二匹は江戸の近海で獲れたばかりのもので、鮮度は抜群である。
皮とエラは、湯通して細かくきり、軍艦巻きにする。上に、ちょっぴり大根おろしをのっける。
寿司でなくても、大根おろしとポン酢でも旨い一品になる。
身は、そのまま握りに。肝は、さっと火であぶり、握りにして上に味噌をのっける。
もう一匹の鍋は、葱や豆腐とともにいただく。
河豚は、てっさにしてそれを握りに。さっと火を通した身も握りに。火を通したほうには、もみじおろしがのっている。
でっかい寒鰤に真名鰹も、あっという間にさばいてしまう。イカも同様。青柳は、軍艦巻きである。
桜エビは、駿河湾で獲れたもの。油でさっと揚げたものを、軍艦巻きに。柚子が添えられている。レモンでもありかも。
「新撰組に入隊してよかった」
だれかのつぶやき。
そして、同意のうなづきが多数。
本日は、寿司のため白米のみ。
おもてなし力抜群の双子は、客人用にも準備している。
「葵の間」に、寿司と鍋を出前する。
思いやり力満載の双子は、廊下や次の間で警固している当番に白湯を配る。
どうやら、重要な話はおわっているようである。
火鉢に鍋を置き、俊冬が寿司と鍋について説明するなか、俊春と二人で準備を整える。
好みのものを握るという、まわらない寿司屋の方式である。つまり、「親父さん、トロ握ってよ」、のアレである。
将軍もお客人たちも、大喜びである。
三人とも鍋をつつきつつ、これでもかというほど寿司も堪能された。
おれたちが「葵の間」を辞すタイミングで、お客人たちも辞すという。