将軍を誠に護りしは・・・
いまだ、呆然自失のていにあるおれたち。
双子は、地面のなかから気絶している沢村を助け上げ、襲撃者たちに引き渡す。
襲撃者たちは、あまりのショッキングな出来事に、なにゆえかぺこぺこ頭をさげつつ、おれたちのまえから消えた。
気絶したままの沢村を抱えて・・・。
俊冬が弟に軍服の上下を放ってやり、俊春はてばやくそれを着用する。
その手際のよさに、慣れてるんだな、と感心する。
それから、二人そろって局長と副長のまえにやってきた。
自然な動作で片膝をつき、礼をとる。それは、局長と副長にたいしてではなく、そのうしろにいる隊士、もとい、隊士のふりをしている将軍にたいしてである。
局長と副長も、一歩下がり片膝をつく。それに、おれたち全員がならう。
「あっぱれじゃ。さすがは、「狂い犬」。あやつらに、目にものみせてやれた」
将軍は、カモフラージュ用の軍服のシャツのボタンをはずしつつ、上機嫌で俊春に声をかける。
「おそれながら、上様の御生命を護りしは、わたしのみにあらず。これに控えし、新撰組全員でございます。上様、あなた様への義理は、これにてお返しいたしました。新撰組は、今宵をかぎりに寛永寺より退散し、甲州方面への進撃の準備に移ります」
頭を下げたまま、告げる俊春。
「俊春・・・」
返す言葉もない将軍。
「上様、仲間が世話になりました。それと、いまさらですが、京にいた時分に、おれたち農民や町民を武士にしてくださったことも、礼を申し上げておきます」
副長が、嫌味とともに立ち上がる。マウンティングするかのように、将軍のほうへと歩をすすめる。
「歳・・・」
局長も立ち上がり、副長を止めようと動きかける。が、なにかを察したのか、中途で動きを止める。
「無礼を承知でいっとく。あんたはもう、将軍じゃねぇ。すべてを捨て、手前勝手に生きてゆくんだろう?それがいいのか悪いのかは、いま生きている者より、後世の者が評価するんだろうよ。あんたが将軍職を返還し、江戸へ逃げかえっちまったのは、おおくの民や臣下のためを思い、決めた結果であろう。だったら、おとなしくしていろ。いまさら、将軍風吹かせて息巻いてんじゃねぇ。ここにはもう、あんたを見張る者も気にする者もいねぇ。せいぜい、生家の郎党どもに面倒みてもらうといいさ」
わお・・・。さすがは副長。マウンティングっぷりが、もとい、啖呵のきりかたがぱねぇ・・・。
将軍の唖然っぷりもぱねぇ・・・。
副長は、隊士姿の将軍にさらにちかづき、その耳に形のいい口をよせる。
「二度と仲間に掌ぇだすな。たったいま、あんたのその濁った瞳でみた奇跡が、誠の姿、誠の精神だ。しっかりとこことここに、刻み込んどけ」
ささやきながら、きれいな指先で将軍の頭と胸を叩く。
「島田、上様を寝所にお連れしろ」
「承知」
返す言葉どころか、まだ状況も呑み込めていなさそうな将軍を、島田が連れてゆこうとする。
「まっ、まってくれ。俊春、そちも余をみ捨てるのか?形単影隻の人生を強いられる余を、み捨てると申すのか?」
島田の掌をひらりとかわすと、俊春に駆け寄ろうとする。
そのまえに、永倉、原田、斎藤、三人の組長が立ちはだかる。
「俊春、なんとか申してくれ」
組長たちをまえに、将軍はよろめくように立ち止まる。それでもまだ、必死に俊春に呼びかける。
「上様、さきほどの戦いをご覧になられましたでしょう?こやつは、否、われらは、野生の獣。犬、でございます。綱につながれ、愛でられるというものではござりませぬ。そして、主は一人。武士が、二君につかえぬのとおなじでございます。われらも、新撰組という主以外、いかなる人間であろうとつかえるつもりはござりませぬ」
俊冬が片膝をついたまま相貌をあげ、将軍と視線をしっかりとあわせて説く。その隣で、当の俊春は、片膝をつくその膝頭あたりに視線を落とし、それをあげようともしない。
「俊冬・・・。そうか・・・」
将軍の両肩が、瞳にみえてがっくり落ちた。握られる両拳は、ぶるぶると震えている。
「すまなかった。俊春、心から礼を申す。余の精神に、やすらぎをあたえてくれた。おぬしがいてくれなかったら、余は自身の精神に呑まれ、見失い、どうにかなっていたはず。親身によりそい、慰め、勇気づけてくれたこと、余は生涯忘れぬ。このさき、なにがあろうとも、余は余として振る舞い、護るべきを護り、繋げるものを繋げてゆく。たとえ、なにがあろうとも・・・」
俊春・・・。
かれは、物理的な接触や絡みだけで慰めていたわけではない。
かれは、リアルな運命から追い詰められている将軍の精神に共感し、心から添うたのである。
おれだけではない。副長も三人の組長たちも、棍棒でぶちのめされたような表情で、俊春をみおろしている。
「近藤、土方。そちら新撰組にも、心から礼を申す。よくぞ余の生命を護ってくれた。余は、もう大丈夫。そちらも俊冬、俊春同様、かようなつまらぬ務めに縛られるは、よしとせぬであろう。今宵をもって、警固の任をとく。そちら新撰組のさらなる活躍を、心より祈っておる」
将軍は、呆然としている副長の肩をぽんと叩く。
「上様、おそれながら、あなた様は強き御方。「神君家康公の再来」と、噂されているだけのことはございます。自信をおもちください。将軍職に就かれるまえのように、なにものにも縛られず、自身の信ずる道をお進みください」
俊春は相貌をあげ、視線を将軍にしっかりとあわせ、告げる。
その傷だらけの相貌に、やさしい笑みを浮かべて。
うんうん、と幾度もうなづく将軍。
「上様・・・」
そのとき、局長が神妙な表情でちかづき、突然、ハグした。
将軍を、である。
げええええっ!
静寂に満ちたいい感じの雰囲気のなか、局長の凶行ともいえるこのパフォーマンスに、全員が凍りついてしまう。
「上様、なれば今宵、不肖、この近藤勇めが、俊春にかわりまして上様を心ゆくまでお慰め申しあげますぞ。さぁっ、参りましょう」
「ぐっ、くっ、苦しい・・・」
そして、局長にハグされたまま、拉致される将軍。
「土方ーっ、命は撤回じゃーっ!余を、余をーーーっ」
そして、将軍は、局長にお姫様抱っこされ、「葵の間」のなかへと消えた、とさ。
めでたし、めでたし。
「いいのかあれ、土方さん?」
「葵の間」を指さし、尋ねる永倉。
「ああ、かまわねぇ。あれで豚一も、心ゆくまで慰められ、寂しくねぇはず。一晩中寝かせてもらえぬほどに熱く、な」
そう答えた副長の相貌には、あかるい笑みが浮かんでいる。
「副長、ここ一両日には、交代の部隊が参るはずでございます。ご迷惑をおかけしましたが、どうかその部隊が参りますまで・・・」
副長は片掌をあげ、いまだ片膝をついたままの俊冬がいいかけるの制する。
「わかっている。おれも、短気で性急だったと反省してるよ。それに、他人の気持ちってもんへの配慮もな。交代するまで、いましばらくは警固をする」
周囲に、隊士たちが集まってくる。
「おめぇらも、気をもましちまった。悪かった。ここ数日は、うまいもん喰って、しっかり将軍を警固してくれ」
全員をみまわす副長。
「承知」
いろんな意味でホッとしたのであろう。みな、あかるい表情で、了承する。
「すまなかった」
副長は、片膝をついて控えている双子のまえに、自分も片膝をつき、ぽつりと謝罪する。
「おめぇらは、かけがえのない仲間。それを傷つけちまった。許してくれとはいわねぇ。いつか、このときのことに報いるつもりだ」
俊春の、それから俊冬の頭を撫でつつささやく副長。
二人は、うれしそうな、幸せそうな笑顔でこたえている。
いつもそうであるが、頭を撫でられているときの双子の表情は、とても幸せそうである。
これまで、撫でてくれる人がいなかったからか・・・。
おれ自身も、親父に撫でられた記憶がない。実際のところは、覚えていないだけで、ちいさい時分にあったかもしれない。
おれ自身、そういうスキンシップが恥ずかしかったというのもあったのかも。
そのわりには、以前、副長に撫でられたときにはうれしかった。
この気持ちは、撫でてくれるのが親父だから、副長だから、というわけではないのであろうが・・・。