忍びと忍び
「沢村さん。あんた、すでに五度死んでいるぞ。はやく闇に瞳を慣らしたほうがよい。一匹の獣が、うしろの樹上よりあんたの一挙手一投足をみつめているからな」
沢村のシルエットが、うしろを向いた。
おれたちより、沢村のほうが夜目がきくであろう。
さきほど、次の間で手拭いをしたのは、俊冬に教えてもらったからである。
沢村は、おれたちが気配を察して襖をひらけると、かならずや明かりをどうにかする。そうなると、当然暗くなる。
人間の瞳は、明るいところから急に暗くなるとみえなくなる。瞳が慣れるまでに時間がかかる。
一説によると、海賊のキャプテンは片方の瞳に眼帯をつけているのは、夜間の戦いでも柔軟に動けるためにする為であるとか。まぁそれは、海賊だけでなく、将軍や武将のなかには、そういうシチュエーションに備えて眼帯をしていたりするらしい。
さきほど、俊春が目隠しされて冷水を浴びせられていたのも、その理由からである。
つまり、自分で目隠しをし、みなに水を浴びせられていた、というわけだ。
俊春がどこにいるのか、まったくわからない。
あとできいた話だが、みなに水を浴びせさせたのは、体臭を消すためだとか。
忍びくらいになると、相手の体臭で位置をつかめるらしい。もっとも、沢村がそれをできるかはわからない。
先日、俊春がボロをまとって糞尿のにおいをさせていたのも、沢村に体臭を悟らせぬためだ。おぶったことで、汗のにおいも含めた体臭はわかったであろうが、糞尿の臭気がきつく、はっきりとはわからなかったはず。
さすが、である。
空気を切り裂く音。刹那、「きんっ」という金属同士が触れ合う音が耳をうった。
沢村の掌から、なにかが弾け飛んだ。そうとわかった瞬間、ちかくの地面になにかが突き刺さった。
沢村は、やはり装束の袖口になにかを隠していたのだ。それを掌に握ったと同時に、樹上に潜んでいる俊春がなにかを投げ、沢村の掌から弾き飛ばしたにちがいない。
「さぁっ、いまので位置がわかったであろう?もっとも、あんたがあの高さまで登れれば、の話だが」
俊冬が告げた。
じょじょに目が闇に慣れてきた。それは、みなもおなじである。
新撰組もまた、闇に慣れている。
「ちっ」
沢村は、舌打ちとともに駆けだした。かなりのスピードなのはさすがだ。五輪選手レベルの速さかもしれない。
彼は、そのまま一番ちかくに聳える松の大木の幹に飛びつき、ジャンプして枝にのぼった。
「おおっ」
隊士たちがどよめいた。
「ざざざざっ」
沢村のいる枝のさらに上のほうから、なにかが落ちてくる音がした。そのなにかは、枝に茂る葉を散らせながら沢村に迫る。
沢村の掌が、ひらめいた。そこから飛来するなにかが、迫りくる物体にあたる鈍い音がきこえた。
沢村の掌に、刃物が握られているのがうかがえる。
沢村は、枝上からジャンプして落ちてくる物体に飛びついた。落下しつつ掌の刃を振り上げ、狙いすまして刃物を突き刺した。それから、体をひねって物体の上になった。
「どさっ」
物体が、地面に叩きつけられた。沢村は、バック転で物体から距離をとった。
「・・・!」
距離があって暗いなか、それでも沢村が驚愕の表情になっているのがわかった。
「大木?馬鹿な・・・」
驚愕の叫びは、震えを帯びている。
なんてこった。「変わり身の術」ってやつなのか?
「これはこれは・・・。最後の忍びときいて愉しみにしておったが、生きているものとそうでないものの区別もつかぬとは・・・。このくそ寒いなか、わたしは風邪をひく覚悟で水垢離までし、この一戦にのぞんでおる。せいぜい愉しませてくれよ、最後の忍びとやら」
樹上から、声音をかえた俊春の声がふってきた。
沢村は、必死に頭上を探っている。
みな、あんぐりと口を開けてみている。おれも、だけど。
「沢村甚左衛門。名もなき犬にやられっぱなしでは、祖先が泣くぞ」
俊春にしては、めずらしく相手を挑発している。
「ただの演出。弟は、演出が大好きゆえ」
こちらの心中をよんだ俊冬が、そういってからみじかく笑った。
いや、俊冬よ。あんただろう。あんたが、やらせてるんじゃないか。
心中でツッコんでおく。
「姿をあらわせ」
沢村の声には焦燥がにじんでいる。
当人も、まさか頼んであらわれるとは思ってもいないだろう。
が、沢村の横手にたつ樹の枝上に、俊春が音もなくあわられた、
なんてこった。双子商標の褌とねじり鉢巻き姿。
たしか、忍びの漫画「NIOKU」のなかに、褌姿で戦うキャラクターがいるか・・・。いや、あれは、そういうキャラだっただけで・・・。
将軍家茂暗殺を阻止した際も、池のなかから褌姿であらわれた。それは、ひとえににおいを断つためと?衣服などのにおいまで?
完璧すぎる。
「いや。あれは、家茂様を笑わせたかっただけ」
俊冬は、またしてもこちらの心中をよんでいってきた。
「ふだんはあそこまではせぬ。忍びやそういった類の者は、鼻がきく。ゆえに、究極の恰好になるわけだ」
「武器は?どうされるのです?」
純粋な疑問である。
「みていればわかる。刃も、金物特有のにおいに染みついた血のにおいを発しておるのでな」
「すごいな」
俊冬の説明に、局長が心底感心している。
「おぬしは・・・」
沢村は、樹上の俊春をみて絶句している。
その奇抜すぎる恰好に、ではなく、虐げられている薄汚い小者であることに気づいたのであろう。
風がでてきた。上着を着用していてもこれだけの寒さである。マッパ同然、しかも、水を浴びまくったあとの俊春は、凍死レベルで寒いにちがいない。
それとも、心頭滅却すればガチ冷風もまた暑し、なのか?
「そろそろ瞳は慣れたか、忍びの者よ」
俊春が樹上でにやりと口角をあげた刹那、沢村がなにかをやった。
吹き矢である。腰からなにかを抜き、その先端を口に含んで吹いたのだ。
あれは・・・。
先日、おれがひろってもっていった杖・・・。仕込み杖かと思って確かめたが、異常はみられなかった。
てっきり、細い剣が仕込まれているかと思っての確認だったが、吹き矢だったわけだ。
くそっ!どこに瞳をつけてるんだ、おれ?
「馬鹿な・・・」
沢村が絶句した。
「ほう・・・。トリカブトか?残念だったな。これで上様を殺ればよかったものを・・・」
よくみえないが、俊春は吹き矢からはなたれた毒針か毒矢を、いつもの要領で指の間にはさんで受け止めたのだろう。しかも毒のぬられていない箇所をはさむという、神レベル対応だ。
「毒のにおいがぷんぷんする。目隠しをしていても、おぬしを追える。わたしの鼻は、五里さきの洗濯済みの褌がだれのかも、嗅ぎわけられる」
いや、俊春。それ、必要なのか?五里さきの洗濯済みの褌がだれのかってこと、そんな能力、関係あるのか?
「洗濯ものが飛ばされたときに便利だ。弟もわたしも、においで追って回収する」
局長や副長だけではない。みな、俊冬を驚愕の表情でみている。
みな、それがすごいのかどうかさえ、麻痺していてわからないでいる。
「貴重な毒針であろう?返しておく」
俊春が、指に毒針をはさんでいるほうの掌をひらめかせた。
沢村の毒針は、微弱な光をはっしつつもとの持ち主を襲った。