トラウマ
みまもるなか、副長が俊春に迫る。俊春は、それから逃れようと、うしろにさがる。
俊春は、まるで主人から虐待のかぎりをつくされている子犬みたいに怯えきっている。
「やめて、やめてください。お願いです。もうしません。もうしないから・・・。だから、許して・・・」
俊春の懇願・・・。
違和感だらけのその懇願に、副長の動きがとまった。
「俊春、なにいって・・・」
斎藤のつぶやき。二人して、俊春にちかづこうとした。
「助けて。助けて・・・。助けてよ・・・。ここからだして・・・」
泣きながら、上半身をおって丸くなり、ぶるぶる震えている。
あきらかに、かれはここにいない。意識は、ちがうところにいる。
トラウマ・・・。
俊春は、ちがうものに対して怯えている。
俊春の怯え方に、永倉の俊冬を殴る掌がかれの頭上でとまっている。拳は、俊冬の血にまみれまくっている。
「はなせっ、どけっ!はなせよっ」
そのとき、俊冬が永倉の下でじたばたと暴れだした。
「こいつに掌をだすな。こいつを傷つけるな」
なんてことだ・・・。俊冬の叫びも、違和感しかない。
その瞬間、永倉が吹っ飛んだ。とはいえ、派手にではない。うしろへひっくり返ってしまったというのが適切か。
俊冬だ。彼は永倉をおしのけ、呆然と立って俊春をみおろしている副長を突き飛ばした。それから、丸くなってぶるぶる震えている弟の隣に膝を折るとその震える体を抱きしめた。
「ごめんな・・・。ごめんな。もう二度と、もう二度と傷つけさせない。だれにも、おまえを傷つけさせない」
副長も永倉も原田も斎藤も、その様子を呆然とみている。
またしても、なにかを思いだせそうな、思いださないといけないような、そんな錯覚に陥った。
男の子・・・。
だが、脳は「なにか」を考えることを許してはくれない。
「いいかげんにしろっ!土方さん、新八。こいつらをこれだけ傷つけたんだ。もう充分だろう?」
原田が立ち上がり、副長に詰め寄った。
斎藤とおれは、室内に入ると双子に寄り添う。
弟を抱きしめてなだめている俊冬の顔面は、血まみれである。よく死ななかったものだ。ってか、よく我慢していたものだ。
永倉が俊冬を殴らなかったら、副長が俊冬を殴ったのであろうか。
もしかすると、永倉はみずからの怒りのなかでも、副長に殴らせてはならぬという配慮があったのであろうか。
隊士たちは、大石を含めてまだ盗み見している。副長みずから鉄拳をふるえば、双子の立場も副長自身の立場も、ビミョーなものになったであろう。
さいわいなことに、副長の俊春への「落としてみろ」宣言は、室内だったのでみえないしきこえなかったらしい。
「おまえらも、新撰組はこれまでおまえらがやってきたところとはちがう。おまえらが媚と体躯をうり、なにかを得たり与えられたとしても、だれ一人喜びやしない」
涙を流してはいないものの、原田の涙声の叫びはだれの心にも響いているだろう。
副長は、拳を握りしめたままうつむき、永倉は、視線を床に落として肩で息をしている。その永倉の肩に掌を置く斎藤も、視線を伏せている。
弟を抱く俊冬の華奢な体は、ちいさく震えている。
そして、兄に抱きしめられている俊春。彼は過去にあったことに震え、怯えきっている。
双子はなにかを暴力でえたり成し遂げるよりも、手段としてわが身をうることをよしとしている。
おそらく過去にあった教訓から、それが有効であると学んだのであろう。
考え方の相違である。
手段としては、暴力だろうが身をうろうが、どちらもいただけぬ。ゆえに、どちらがいいも悪いもない。
双子は、この騒ぎの後も自分たちのやり方を控えはしてもやめることはないだろう。かえれば、おのずと暴力で決着をつけねばならない。
この揉め事が、またいつか問題視されるかもしれない。そのときには、今回とめに入った原田はいないだろう。そして、怒りのあまり暴力に走った永倉も・・・。
結局、このことは暗黙の了解で局長にはだまっていることになった。
そうしなければならない。局長のためにも、そしておれたち自身のためにも。