つきつけられるリアル
廊下で隊士が四人、手持ち無沙汰におろおろしている。
さきほど、蕎麦を堪能していた四人である。
「俊春先生が、しばし、宿所で休むように、と。ですが、そういうわけにもゆかず」
「永倉先生が、すごい勢いで・・・」
「いま、入っていかれました。いったい、なにが・・・」
「われわれは、どうすれば・・・」
四人がいっせいに、口をひらく。
どの表情も、困惑しきっている。
「命じられた通り、宿所で待機していろ。他言は、無用だぞ」
次の間に入りつつ、斎藤が命じる。
間一髪。永倉は、本間へとつづく襖に、掌をかけたところである。
三人でいっせいにタックルし、もみ合いになる。
四人とも無言。沈黙のうちに、永倉をとりおさえることができた。
そして、畳におさえつけた永倉を起こしてやる。
本能的に、すべてが無言のうちにおこなわれる。
「なにをしておる、俊春。それでなくともまちくたびれておる。はよう、まいれ」
襖の向こうから、将軍の愉しそうな声がきこえてくる。
四人そろって襖まで這いすすみ、そこに耳をあてる。
「上様、どうかお許しを。幾度も申し上げておりますが、わたしは獣、犬でございます。上様の伽は、つとまりませぬ」
俊春の弱弱しい抗弁に、心臓が飛び跳ね、ついで痛む。
あらためて、つきつけられる現実。
「いまさら、なにを申すか?余は、そちと俊冬の願いをかなえた。つぎは、そちが余の願いをかなえるべきであろう?余は、間違っておるか?」
「いちいちごもっともでございます。われらが願いをおききいただきましたこと、あらためてお礼申し上げます。この御恩には、ちがう意味で尽くしたく・・・」
「俊春、俊春、そちはわかっておらぬ。ならば、俊冬、否、土方と申したか?たいそうな美男であるな。土方に、伽の相手を命じてもよいのだぞ」
永倉の右掌が、「手柄山」の柄にかかる。
いや、永倉だけではない。斎藤の左掌も「鬼神丸」の柄にかかっているし、おれも「之定」の柄に右掌をかけてしまっている。
怒りが、殺気へとかわる。原田ですら、怒りに相貌をゆがめている。
襖の向こうでは、しばし間ができている。
『気づかれた』
斎藤が、指でジェスチャーを送ってくる。
「お願いです。これ以上・・・」
そのとき、俊春が・・・。
かぎりなく、ちいさなささやき。
それは、将軍にではなく、おれたちにむけられたもの。
四人で躍り込み、将軍をぶん殴って啖呵の一つでもきってやりたい。そのうえで俊春を連れ、いっそ寛永寺からひきあげたい。
忍びに殺られようが関係ない。どうせ、戦になる。舞台をおりた将軍がどうなろうが、歴史の流れはかえられない。
いや、将軍が死んだら?歴史はかわってしまう・・・。
そんな問題じゃない。やはり、人間の生命を軽んじるわけにはいかない。たとえそれが、どんな腐ったやつの生命でも・・・。
そうだ、ほかの幕臣に、警固をかわってもらえばいい。彰義隊がまだ準備ができていないのなら、できるだけ寄せ集めればいい。
その連中に情報共有し、かわってもらえばいい。
原田が、『でるぞ』と合図を送ってくる。そのまま永倉をひきずるようにし、次の間よりでてゆく。
襖を睨みつけ、そのあとにつづく。斎藤は、おれよりもながく、それを睨みつけている。
「最初から、素直にまいればよかったものを。案ずるな。そちがいてくれるなら、ほかに瞳うつりすることもない。ささっ、はようはよう」
次の間からでようとすると、興奮しきった将軍の声が背にあたる。
どうやら、テンションマックスのようである。
廊下をすこしあゆみ、本間より距離を置く。
原田は、そこでやっと永倉のシャツの襟首をはなした。
よくぞ、シャツが破れなかったものである。
四人とも、第一ボタンはあけている。おれも、しばらく着物で開放感があった分、常時きっちりボタンをとめておくのは苦しい。
永倉は、すばやく立ち上がると原田とむきあう。
「新八・・・」
原田が絶句する。
ほぼ同時に、斎藤とおれも。
永倉が、泣いているのである。髭にすっかりおおわれた相貌。その頬に流れ落ちる涙・・・。
よりいっそう、自分の無力感にさいなまれてしまう。
「わかってる。頭んなかでは、わかってるんだよ。あいつらが好きでやってるわけじゃないってこと、おれが暴れりゃ、近藤さんが腹きっちまうってこと・・・。だがな、わかるだろう、左之?」
永倉は、たくましい腕を伸ばすと、原田の腕をがっしりつかむ。それこそ、原田の腕の骨が、悲鳴をあげそうなほど強く。
「ああ、わかってる。わかってるよ、新八・・・」
永倉に、共感を示す原田。斎藤とともに、原田が永倉をなだめる言葉を無言できく。
そのとき、玄関のあたりで蟻通と島田の声が・・・。
一瞬、忍びでも潜入したのか、とはっとする。
「副長、まってくれ。人払いされてるんですよ」
「副長、落ち着いてください」
副長だ・・・。
ある意味、忍びよりやっかいである。いや、ずっとずっとヤバい。
どうする?
四人で打ち合せる間など、あるわけもない。
副長が、廊下をこちらへと向かってくる。
鬼の形相でも、イケメンにかわりはない。ゆえに、かえって怖ろしい。
おれもふくめ、やってきた副長の殺気にあてられ、廊下でただ呆然と突っ立ち、その形相を眺める。
「副長が、急に戻る、と。俊冬に局長を送らせ、わたしたちだけさきに戻ってきた」
島田が、事情をささやく。いつもより声量を落としているのであろう。が、そのささやきは、耳にうるさいくらいである。
副長の第六感か?なにかを察し、戻ってきたにちがいない。
「すまない。ここで見張りについていた一人が、副長にいらぬことを・・・。とめようにもとめられぬ」
蟻通が、目顔とささやきとでしらせてくる。
「勘吾、ゆけ。島田、警戒を怠るな。いって、この周囲を巡回せよ」
副長が、低くうなるような声で命じるも、島田も蟻通もかたまってしまっている。
「なにをしている。はやくゆけっ」
「しょ、承知・・・」
再度、命じられ、それでやっと二人は動く。
逃げるように去ってゆく二人・・・。
「左之、どけっ」
こちらに向き直り、次の間へ向かおうとする副長。そのまえに、原田が立ちはだかる。
「土方さん、頭を冷やしたほうがいい。こっからでよう。このくそったれの任務は、今宵かぎりでやめればいい」
「どけといってるのが、きこえんのか?」
「あんたがやろうとしているのは、あの二人のすべてを否定することだ。おれは、あんたにそんなことしてほしくない」
「どけっ!」
副長は、右掌を伸ばすと原田の胸元をつかむ。シャツが破けそうなほどの勢いでひっぱり、自分の相貌にひきよせる。