蕎麦打ち
今宵は、二八蕎麦。小麦二に蕎麦粉十という割合。
てっきり、二対八とばかり思っていたが、二対八の場合と二対十の場合と、二種類あるらしい。
まずは、水まわし。おおきな鉢のなかに、蕎麦粉、小麦後を混ぜ合わせ、水を回し入れつつこねてゆく。
見物人たちは、ものめずらしいそうに眺めてる。もちろん、おれもである。
小芋状にまとまると、練りに入る。これもまた、丹念におこなう。それから、くくり。表面がなめらかになるよう掌でおしたりこすったりする。
それから、おおきなまな板の上に打ち粉し、生地を置く。丸だし、角だし、幅だしと、生地をそれぞれの形にかえつつ、のし棒でのばしてゆく。仕上げのしでフィニッシュ。生地をたたみ、最後に切ってゆく。
蕎麦屋の店先で、工程をみたことはあったが、俊春の手際のよさに、正直、驚きを禁じ得ない。
みなもそうだろう。永倉でさえ、みなよりはなれたところで、その動きをじっとみつめている。
ゆでるのは、手伝わせてもらう。俊春の指示のもと、みなでゆでる。
みな、うれしそうである。おれも、プチ蕎麦職人の気分を味わう。
あれだけフレンチを味わったというのに、「あられそば」も堪能してしまう。
青柳のだしがよくでていて、海苔の風味と青柳の感触がたまらない。
なにより、打ちたての蕎麦が最高。
交代で警固するため、寝ている者もいる。が、起きだしてきた。
おかわりも続出である。
ここでもやはり、永倉と島田の二番組組長伍長コンビの快進撃はとまらない。
自称「新撰組の人斬り」の大石とその手下らも、舌鼓をうっている。
新撰組は、双子のおかげで幕末のグルメ集団化してしまいそうな勢いである。戦法も、三人一組でごろごろ転がり、敵をボーリングのピンのごとく蹴散らせそうである。
後片付けがおわると、そろそろ警固も気合をいれる時分。
俊春が、いなくなっていることに気がついた。それから、永倉も。
いや、永倉は、ついさっきまでいたはず。俊春は、すこしまえに、隊士がやってきて話をしていたが、そのあとからいなくなっていたのかもしれない。
人の気配を感じ、入り口に視線をむけると、蟻通が立っている。
「左之さん、とめたほうがいいと思ってな」
めずらしく焦燥感を漂わせ、蟻通が告げる。
「しんぱっつあん、なにをしでかすかわからんぞ」
「どういうことだ、勘吾?」
謎めいた忠告。原田は、掌にもっていた布巾を放り捨て、すでに入り口にむかっている。斎藤とともに、それを追う。
「池田が、将軍からの言伝を俊春に伝えたらしい」
さっきのことか・・・。厨の灯火のなか、チラッとみえた相貌は、たしかに三番組の池田だった。
「配置につくのに通りかかったら、しんぱっつあんが池田を問い詰めてるのにでくわしてな。池田のやつ、しんぱっつあんに脅されちまって、言伝の内容をしゃべっちまった。しんぱっつあん、それをきいた刹那、こっちがぶるっちまうほどの殺気を放ち、池田を突き飛ばして「葵の間」に駆け込んじまった」
「まずい」
原田は、脚をうごかしつづけている。
相棒が、駆けてくる。
「勘吾っ、副長がもどってきても、なにもいうんじゃないぞ」
原田は、蟻通に肩越しに怒鳴った。
「ああ?かようなこと、無理だろうが・・・」
困ったような蟻通の声が、背中にあたる。
蟻通は、剣の腕が立ち、頭もいい。だが、「他人の面倒みるのはウザい。ゆえに、出世はしたくない」というスタンスを貫いているかわり者でもある。
おそらく、彼もこのところのおれたちの様子で、ある程度察しているのであろう。
相棒に、「葵の間」の玄関先にまっているよう告げ、軍靴を脱ごうと四苦八苦する。
原田と斎藤は、草履なので脱ぎ捨てるだけだが、軍靴はそうはいかない。
くそっ!と心のなかで毒づきながら、やっとのことで脱ぐ。
二人は、すでに廊下をすたすたすすんでいる。
「なんとしてでも、新八をとめるんだ」
やっとのことで追いつくと、原田がささやいた。
「正直なところ、わたしも新八さんと気持ちはおなじだが・・・」
「おれもです」
斎藤とともに、ささやき返す。
急停止する原田。くるりと振り返ったかれの相貌は、悲しみと怒りがいりまじったような、なんともいえぬ表情だ。
「将軍になにかあんのは、おれのしったこっちゃない。だがな、なんかありゃぁ、近藤さんは切腹するぞ。新八が殴り飛ばそうが、忍びに頸をかかれようが、近藤さんは自身の生命でもって詫びる」
そこまで思いいたらなかった。そのとおりである。
返す言葉もなく、また脚を動かす。