永倉の怒り
「新八、喰うときくらい、しかめっ面はやめてくれ。せっかくの料理が、まずくなっちまう」
「おれは、他人の機嫌をとるのに、媚びをうったりしないからな、左之。悪かったよ。ごっそさん」
永倉は、膳の上に湯呑を音高く置くなり立ち上がる。
原田は、ながいリーチをいかし、去ろうとする永倉の腕をむんずとつかむ。
「もう一回、いってみろ」
低く凄みのある声。その表情は、おそろしいまでに冷えきっている。
永倉は、そこではっとしたらしい。自分が地雷を踏んだことに、気がついたのである。
「幾度でもいってやる・・・」
が、永倉も強情である。体ごと向き直り、原田をみおろす。
原田が勢いよく立ち上がる。
斎藤と二人で、この二人をとめられるのか?
こっそり、斎藤と視線を合わせてしまう。さすがの斎藤も、マジな表情である。
「どうした?」
うおーっ!ナイスタイミング。
局長が、部屋に入ってきたのである。もちろん、そのうしろに、イケメンズ、おおっと、副長と双子がいる。そして、島田も。
局長は、空気をよめないことがある。いまも、この「沸点高っ」の空気のなか、ごつい相貌に人懐っこい笑みを浮かべ、順におれたちへ視線をむけている。
もちろん、副長と島田、双子は、ごまかしようもない。
副長の眉間に皺が濃く刻まれ、俊冬は視線を下にむけ、俊春は相貌を伏せ、いたたまれない様子である。
島田もまた、業務上のパートナーである永倉の様子がおかしいことに、気がついているようである。
「局長、会食はおわったのですか?」
ここぞとばかりに問う。
「ああ、じつに有意義なひとときであった。つい、熱く語ってしまった。料理もうまかったしな」
「それは、よかったです」
オーソドックスな言葉に、笑顔を添える。
「新八、左之、斎藤、これから、一時ほど、局長と島田と俊冬とでかける。馬や軍資金を援助してくれた豪商のところに、礼をいってくる。そのあと、局長を送って戻ってくる。例の忍びのこともある。頼むぞ」
「承知」
三人は、そろって了承する。そこは、さすがに組長。個人の感情とは切り離している。
それに、副長が、局長のことをかっちゃんと呼ばず、局長といったことも、三人は暗黙の裡に理解しているのである。
副長が、いまおこっていることに気がついている、ということを。
「俊春は、残るんですか?」
斎藤がおずおずと尋ねると、局長がそれに応じる。
「これだけの怪我をしているのだ。できるだけ休ませたい。それに、どちらかは残らねば、気配を察知し、危急の際に対処できぬであろう?兼定がいるとはいえ、対処という点では、俊冬か俊春でないと・・・」
そういわれれば、うなづくしかない。
たしかに、局長のいうとおり。相棒は、鼻で忍びの気配を察知しても、その攻撃をどうにかすることができない。
まさか、忍びの沢村が、フィクションのごとく「なんとかの術」とかつかうとは思えぬが、実際、双子がとんでもない三次元をかましまくってるのを目の当たりにしている。
沢村を題材にした漫画のごとく、ド派手にかましてくるかもしれない。
やはり、どちらかはいてもらわねば。
どちらにしても、豪商にお礼をいいにいく付き添いが、傷だらけの俊春だと、豪商もひいてしまうであろう。
「では、いってくる」
局長たちが部屋からでてゆく際、俊冬が、俊春の肩をさりげなく掌でさすっているのをみてしまう。
俊冬は、副長以上におこっていることがわかっている。
弟のことを、心配するのも当然であろう。
結局、永倉と原田の対立はうやむやにおわった。
今宵、厨の用事は夕餉の後片付けだけではない。
夜食に、例の「鬼平O科帳」の「あられそば」の準備もある。
俊春ひとりでは大変であろうと、おれも手伝うことにする。
食器や鍋を洗い、拭き、所定の棚に置く。
仮の屯所のものもそうだが、ここでの食器や日用品の類も、双子がどこからか手配し、揃えてくれている。
こういったこまごまとした配慮は、誠にすごいなと、純粋に感心してしまう。
きっと異世界転生で、さまざまなマネージメントもやっていたのであろう。
沈黙に耐えきれず、フレンチが最高であった、また喰いたい、つぎはカレーライスが喰いたいと、ちゃっかりリクエストしたりして、ずっと一人で弾丸トークする。
俊春は、ときおり相槌をうったり、みじかく返答したりする。が、あきらかに元気がない。
それでも、やることはやる。しかも、てぎわがいい。あっという間に後片付けがおわる。
いよいよ、蕎麦の準備にとりかかる。
蕎麦打ちを、みせてもらうことにする。
このときには、厨に幾人か集まってきた。厨の入り口に、相棒もお座りしている。
相棒は、俊冬がまだ仙助と名乗って夜鳴き蕎麦屋をしていた時分に、蕎麦の味をしって以来、沢庵のつぎに蕎麦が好きなのである。
組長三人もきている。もっとも、永倉はふてくされているが。
さきほどの原田との一触即発はもちろんのこと、いろんなことが腹立たしいにちがいない。