「鬼飯」
「すばらしい演技に、称讃を送らせてください」
うしろからとぼとぼついてくる俊春が、かぎりなくちいさな声でささやく。
「ばれたかな?」
「わたしがあっちの心中を探れば、ばれてしまいますゆえ・・・。五分五分といったところでしょう。われらがかれの正体に気がついている、ということはばれているかもしれませぬ。ですが、こちらにも犬、あぁ兼定ではなくわたしのことですが、この役立たずの糞みたいな愚図が、否、くずでしょうか、兎に角、わたしがその犬だということは、ばれていないかと」
「いや、俊春、そこまでいってないぞ」
原田が、苦笑しつつ突っ込む。
演技はつづけたままで、魚市場で鰊とバカ貝を買い込んだ。
この時期の鰊は、産卵前で油がのっているらしい。それから、バカ貝。厳密には、青柳である。
テレビでシリーズ化された名作「鬼平O科帳」に、「あられそば」なるものがでてくる。海苔と青柳が入った、蕎麦のことである。
あおやぎをサイコロ状に切って浮かべたものが、あられのようにみえることから、そう名づけられたらしい。
そのことを話すと、俊春は、つくってくれるという。
わお・・・。「鬼O平蔵」の気分に浸れるってか、「鬼の~」ってのは、メジャーな二つ名だよな。
もうすぐしたら、潮干狩りのシーズン。浅利だったら、「深川めし」、これでしょう?
いかん。いかんぞ、おれ。なにゆえ、喰い物のことばかり考えてしまう?
ヤバすぎる。致命的に太ってしまう。
新撰組専属の、ミシェランの三ツ星レストラン級のシェフ、ってか、板前のせいだ。
みな、双子の料理で太ってしまってるはず。そういえば、食の細い子どもや大人も、もりもり喰ってる。しかも、双子は、各人の好き嫌いも考慮してくれてる。
味だけではない。そういった気配りも完璧である。
「イタリアンやフレンチ、チャイニーズ、スペイン、インド料理なんてできます?」
魚市場から、神田の青果市場へ脚を伸ばす。てくてくあゆみながら、尋ねてみる。
俊春は、背に風呂敷包みを負っている。そのおおきさと重さに、手助けしたくとも、忍びの沢村に、どこからみられてるかわかったものではない。
「それらは、異国の料理法であろう?無論だ。長崎、それから横浜にて、いろいろな国の料理を学び、つくっておったからな」
そういえば、京にいたとき、俊冬が局長のストレス性胃炎に負担がかからぬよう、薬膳料理を用意していたし、沖田と俊春の試合のあとのオフ会兼送別会では、中華麺を用意してくれていた。
ここでもやはり、異世界転生で料理人やってましたレベルなんだ。
「異国の料理か・・・。坂本と中岡は、いまごろ、清の国あたりでそんな異国の料理喰って、「うまいぜよ」とかいってんだろうな」
原田の言葉。その光景を、くっきり思い浮かべることができる。
「ええ、きっと」
原田の刀の鞘。原田がそれを放り投げてなくし、それを探していて松吉に、そして、その養父である俊春、さらには俊冬に出会った。
その出会いが、縁があったからこそ、坂本と中岡は死ぬ命運に打ち勝ち、世界をクルージングしている。あるいは、どこか気に入った国で腰を落ち着けているであろう。
その二人だけではない。おねぇ、藤堂、山崎、吉村、服部や毛内、もしかすると、沖田や玉置、死ぬはずの者たちが、生命をつないだり、つなげられるかもしれない。
だが、井上や、会津の林親子のように、助けられなかった、歴史どおりに散った生命もある。
これから、さらに増える。そして、別れも・・・。
神田にある青果市場も、日本橋の魚市場と同時期くらいにできたらしい。まあ、魚だけですべてが賄えるわけもない。栄養のバランスのためにも、野菜もとらなきゃってやつである。
1600年の中頃にでき、それが関東大震災までつづく。大震災で壊滅。秋葉原に移転する。が、それも平成に入ってから大田区へ移転する。
おいしそうな練馬大根や白菜、小松菜、葱、牛蒡が並んでる。
干し柿をみっけ。
これは、原田が買ってくれる。俊春には悪いが、原田と二人、干し柿をほおばりながら、俊春の買い物がおえるのをまつ。
甘くておいしすぎ。相棒にも、ちいさくちぎっておすそわけ。ほんの少量。
柿は、ほんの少量ならやっても問題なし。が、やりすぎと種は、禁物である。
相棒も、その甘みに強面が緩んでる。
市場で籐籠を購入。さすがに、冬野菜は風呂敷におさまらない。おおきな籐籠を、俊春が両方の肩にそれぞれ紐を通し、背負う。入りきらなかったものは、腰に風呂敷包みをくくりつける。
いきとは、ちがうルートで戻ることにする。