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接触(コンタクト)

 俊冬が奔走し、局長と副長の馬が手配できたらしい。まもなく、仮の屯所に到着するということ。さらには、組長たちの馬も、数日のうちにやってくるとか。


 二頭は、このまえ江戸城へいったときに借りた馬らしい。


 大喜びしたのは、もちろん、馬フェチの安富。子どもみたいにぴょんぴょん飛び跳ね、ついでに竹根鞭をふりふりし、スキップしながら仮の屯所へと戻っていった。


 安富は、そのまま仮の屯所にとどまり、新撰組が将軍警固の任が解かれるまで、馬たちの調教をおこなうとか。


 いや、調教など必要ないはず。ただ、一緒にいたいだけなのである。


 誠に、馬が好きなんだ。


 相棒が、そわそわと落ち着きがない。「葵の間」のまえで、繋がず放し飼いっぽくしているが、しきりに杜のほうをうかがっている。


「あの・・・。主計さん、休憩のところ誠に申し訳ございませんが、魚市場まで付き合っていただけないでしょうか?」


 丁寧に声をかけられ、だれかと振り向くと、俊春と原田が立っている。

 俊春は、ぼろぼろの着物をまとっている。相貌かおは、煤か、はたまたちがうなにかか、兎に角、薄汚れている。そして、膏薬と汗と尿の入り混じった異臭が、漂いまくっている。


 原田が、ぞんざいに俊春をおしのける。ちかづいてきて、両膝を折って相棒の頭を撫でる。人差し指をくいくいと曲げるので、その隣にうんこ座りする。


「侵入されてる。杜のなかから、この庵をみはってる。いまから外出し、接触してくるか試すらしい。俊春には、常日頃から荒っぽくあつかってるように接するんだ。兼定、おまえも、警戒するな。いつもどおりしてろ。あとは、俊春がうまくやってくれる。あわせるんだ、いいな?」


 右耳に、囁かれる。


 ええ?まったくわからなかった。が、これで、相棒の落ち着きのない様子の原因がわかった。


 三人と一頭で、寛永寺をで、ぶらぶらと日本橋にむかってあるきだす。


 この際だから、俊春に、さっきのことや鍛錬のことをきいてみようと思い立つ。が、俊春は、アンテナを張り巡らせているらしい。原田とおれ、相棒から一歩うしろをあゆみつつ、おどおどした様子で警戒している。


 伸びてきている頭髪のてっぺんあたりで、「妖怪Oンテナ」でも立つんじゃないか、と想像してしまう。


 日本橋まで、どのくらいか。4kmくらいか?


 てくてくあるき、御徒町を通りすぎたあたりで、道端に老人がしゃがみこんでいるのにゆきあう。


 あるけなくなってしまったのであろうか。道ゆく人々は、ちらりとみるだけで通りすぎてしまう。


 幕末いま未来さきも、都会の人々は忙しい。


「ご老体、どうした?」


 原田が声をかけると、老人は、気弱な笑みを浮かべつつ、こちらをみあげる。


「途中、疲れてしもうてのう」


 ぱっと見、よさげなお爺さんである。


 が、相棒の尻尾がぴんと立っていることに気がつく。視線は、老人の心のなかまでみていそうなほど、熱く注いでいる。


「家は、どこだ?」

「すぐそこの、長屋でございます」

「なら、送ってってやろう。おい、おまえ、ご老体を背負って運ぶんだ」

「ええ?ですが、わたしは、体躯がちいさく、とても・・・。それに、はよう市へゆかねば・・・。「鬼のご主人様」に叱られてしまい・・・」

「うっせぇ」


 原田は、俊春の頭をぽかりとどやす。


「鬼のご主人様」・・・。それは、三人と一頭で取り決めた符牒である。


 やはり・・・。間違いない。これが、最後の忍びといわれている沢村甚之助。


「おまえ、おれのいうことがきけんのか、ええ?ご老体が困ってらっしゃるんだ。手助けするのが、人の道ってやつだろう?」

「そうそう、この役立たずめ。それでなくとも、なんにもできない癖に、いっちょうまえのこというんじゃない」


 原田にあわせ、罵倒する。


 ちょっといい気分。でも、自分のことを棚に上げて、って感もある。それこそ、「おまえがいうか?」っていわれそうである。


「ひいいっ。すみません、すみません。わかりましたから、殴らないでください」


 腕をあげて頭や体をかばう。小柄な体をちぢこまらせ、怯える姿は、まさしくいじめられっ子、虐待の被害者である。


 相貌かおや手脚の傷が、さらに虐待されてます感を醸しだしている。


 まさか、このときのためのこともあって、あの地獄の鍛錬を・・・。


 だとしたら、双子、すごすぎる。神対応ってレベルを超え、未知数レベルである。


 道ゆく人々が、こちらをみている。しかも、睨みつけてる。


 俊春が虐待の被害者だとしたら、加害者はおれたちで・・・。しかも、おれたちは軍服をきている。幕府の負け犬武士が、小者を虐げているの図である。


 そうこうしている間に、俊春はよろよろと老人のまえで背を向け、両膝を折る。


「さあ、ご老体。こいつは、いっても風呂に入らぬ。臭いが、我慢してくれ」


 原田が、アテンションする。


 俊春の背に身をあずけた老人は、鼻がひんまがりそうだ、とつぶやく。鼻をつまむ指が、みたほど皺がないことに気がつく。


「で、家は?」

「そこの通りを曲がってしばらくいった、長屋でございます」


 地面に落ちている棒っきれのような杖は、おれがひろってもってゆくことにする。


 一瞬、『座O市』のごとき仕込み杖かと勘繰ったが、どこからどうみてもフツーの杖である。


「ご親切なことで・・・。名を、うかがってもよろしいかな?」


 ふらふらよろよろとあゆむ俊春の背で、老人が機嫌よく尋ねてくる。


「原田、そっちは相馬。でっ、こいつは、役立たず野郎だ」


 いいつつ、俊春の側頭部を拳で殴る原田。

 そして、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴をあげる俊春。


 二人とも、うますぎだろう・・・。


「幕臣の方、ですかな?」


 老人は、軍服と腰の刀をみつつ質問する。


「ああ、一応、な。で、ご老体は?一人暮らしかい」

「はい。家内はとっくの昔にでていってしまい、子もおりませんので」

「へー、ずっと江戸で?」

「いいえ。生まれは、西のほうでございます。江戸の言の葉は、いまだに慣れず・・・。ところで、それは、狼ですかな?」


『それ』、呼ばわりされた相棒が、ふんっと鼻を鳴らす。


 どうやら、気分を害したようである。


「いえ、洋物の犬です。われらが主君の愛犬でしてね。かっこいいでしょう?」


 最近、すっかりないがしろにされているので、ここぞとばかりヨイショしておく。


 ちょっと情けないと思いつつ・・・。


「ほう・・・。たしかに、いい面構えですな。おお、あそこの長屋でございます」


 みかけのわりには若々しい指が、左手にみえる長屋を指す。


「あらまぁとしじいさん、なにがあったんだい?」


 長屋に入ったところに井戸があり、そこで幾人かの女性が井戸端会議をしている。

 一人が、俊春の背の老人に気がついたようである。


「とし・・・じいさん・・・」


 原田の笑いを含んだつぶやき。思わず、副長を思い浮かべてしまう。


「お参りにいったかえりに、疲れて動けんようになりましてな。ちょうど、このお武士さむらいさんたちが通りかかり、こうしておぶってきてもらったわけです」


 女性たちのすべての視線が、軍服姿がはえる原田に集まる。


 そして、ぷーんと漂う異臭を嗅ぎとり、俊春に視線を向ける。


 それから、狼みたいな相棒に・・・。


 おいおい、おれのことはスルーかいっ!

 思わず、心中で突っ込んでしまう。


「家は、あの一番奥の左側です」


 老人が告げ、限界っぽい俊春が、最後の力を振りしぼる。


 左右に十軒ほど並んでいる。ごく平凡な長屋である。


 忍びは、囮捜査同様、環境に慣れ、地域に溶け込み、人間ひとの輪に同化する。


 こうして、標的にちかづき、任務を遂行するのである。


 いや、これは、漫画や小説のなかでの話。


 マジで実践するとは・・・。後世の三次元もびっくりであろう。


 茶でも呑んでってくれ、という老人の誘いを、魚市場へゆくのでと丁重に断る。


「あらためてお礼をしたい」という言葉も、「当然のことをしたまで」と社会奉仕の達人っぽい対応でかわす。


「こらっ、この屑がっ!汚い着物と草履で、よそ様の玄関先を汚すんじゃない。とっととでやがれ」


 原田は、疲れきってぐったりしている俊春の体を蹴りつける。悲鳴とともに、怯えた小動物のように、玄関から飛びだす俊春。


「ありがとうございます。では、いずれまた」


 老人の意味深な言葉とともに、かれの家を後にする。


「お武士さむらいさん、またきてくださいな」


 井戸を通りかかったとき、女性の数が増えているのに驚いてしまう。


 全員が、好意的な言葉を原田へと送る。


 べつに、いいんだけど・・・。

 いつか、いつかきっと、おれにも光明が・・・。


 長屋を背に、自分にエールを送る。



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