熾烈なる鍛錬
そろそろと進み、松の大木のうしろからそっと相貌をのぞかせた?
松の木は、四人と一頭が充分隠れることができるほどおおきい。
ちいさな沢である。その周囲だけ木々はなく、人工的に造られたかのように、苔むした岩がいい感じで配置している。
沢を流れる水の音が、チロチロと耳に心地いいい。
上半身は裸、軍服のズボン姿の俊冬が、苔むした岩の上に立っている。ズボンに矢筒を装着し、掌に弓箭を握っている。
月光が、かれを妖しいまでに照らしだしている。
狼・・・。
月の光に照らされ、岩山の上から地上を睥睨している狼の雄姿が、脳裏に浮かぶ。
この距離でもわかるくらい、かれの上半身は傷だらけである。そして、俊春同様、その傷のほとんどが銃創。銃で撃たれた傷のようにみえる。
俊春もまた、同様の恰好である。兄とちがうのは、無掌であることと、手拭いでがっちり目隠しをしていることである。
なにがはじまろうとしているのか・・・。
永倉同様、とめにきたはずである。が、なにゆえかそんなことなどすっかり抜け落ちてしまっている。 それどころか、いったい、どんなミラクルや三次元を拝めるのか期待してしまう。
興奮しているのか。肌にあたる微風も、冷たいはずがかえって心地いい。
双子は、同時に相貌をあげた。厳密には、鼻先を宙空に向ける仕種を・・・。
相棒が高っ鼻をするように・・・。
「しられてしまった」
斎藤が、ささやいた。
こちらは風上。においで、バレてしまった。
おれもふくめ、しまったという表情になった。が、そこから動こうとはしない。
おれたちの存在をしったかれらも、「そこにいるのはだれだ」とか、「隠れていないででてこい」みたいなことをいってこず、なにごとも気づきやしなかったていで続けるようである。
それにしても、臭気で察知する?それこそ、動物レベルである。
それとも、永遠の二十歳のはずのおれたちが、加齢臭でも振りまいていると?
俊冬は、掌にある矢の一本を、弓に番えた。
気配や気を感じるどころか、存在感さえ危ういほど感じられぬ。
彼は、矢を「平家物語」的に表現するところの「ひょう」と放った。いや、「ひょうひょうひょうひょうひょう」か。 たてつづけに五本、俊春に向けて放った。
矢が空気を切り裂き、俊春を襲う。
俊春はわずかに腰を落とし、両腕はだらりと下げたままである。
思わず声をあげそうになり、慌てて口許を掌でおおった。みると、みな、おなじように掌で口許をおおっている。
俊春は、五本の矢を両掌をあげ、眼前でそれをひろげて指の間にはさんで受けとめた。
鏃部分ではなく、篦口あたりを指ではさんで。指の間から鏃がでており、それらは、俊春の相貌紙一重の位置まで迫っている。
三次元でも、これほど正確な位置で挟み、受けとめられるわけない。
弓矢による攻撃だけにとどまらぬ。
それを射たはずの俊冬の姿が、岩の上から消えていた。ジャンプしたのもみえなかった。すでに俊春との近間にはいり、文字通り躍りかかっている。左掌に弓矢を握り、右掌にはなにやら小刀のようなものを握り、それを振りかざしている。
月光の下、鈍い光を放つのは、忍者系の創作にでてくるくないだ。
その攻撃は、おそろしく合理的かつ理論的。俊冬は、くないで、あるいは、体術で、さらには、距離を置いて弓矢で、容赦なく俊春を襲い、確実に追いつめ、傷つける。
目隠しをしているとはいえ、俊春は防戦一方である。しかも、動きがにぶい。っていっても、いつものかれよりかはという意味で、二次元的にいえばそれでも神速にかわりはない。
やはり、ケガのせいなのか・・・。
「おそい。おそすぎる」
これでもかというほどの近距離で、ガチに矢を放つ鬼所業。あたれば、ケガどころか即死レベルである。
そうか・・・。
本来なら銃で、というところなのだろう。が、銃声がするし、なにより弾丸がもったいない。
銃のかわりに、弓矢を用いているのか。
とはいえ、殺傷力は十二分にある。どうせ、かれらは、異世界転生で狩人もやっていただろうから、人間の体など、簡単に貫くだけのパワーはあるはずである。
俊冬は、さらに五本の矢をたてつづけに射た。距離は、わずか4、5メートル。
両掌を両膝に置き、荒い息をついている俊春を容赦なく襲う。
また声をあげそうになってしまった。さらに掌を口に押しつける。
俊春は、襲いくる矢の二本は手刀で叩き落し、一本は最初のときのように、うまく指の間にはさみ、受けとめることができたが・・・。
残り二本は、掌に突き刺さった。鏃が掌の甲から飛びだしている。
「毒を仕込まれておれば、すでに死んでおるぞ」
俊冬はジャンプ一番、4、5メートルの距離をなんなく飛翔し、強烈な回転蹴りを放った。
それを両肘を顔前にあげ、二の腕で頭部をプロテクトする俊春。
が、俊冬は、回す脚の軌道を途中でかえ、頭部ではなくボディへとそれを放つ。
回転蹴りが、まともにボディにきまった。が、俊春はその場で踏ん張っている。
俊冬は弓を放り捨て、あいた両掌にくないを握っている。
一方の俊春は、うしろへ飛び退ろうというのか、防御をといてバックへジャンプしようとした。が、体勢がわずかにぐらつく。
俊冬が、それを見逃すわけはない。二本のくないが、俊春の上半身を斬り裂く。
月光の下、鮮血が迸った。
その場に倒れそうになりながらも、必死にもちこたえる俊春。掌に二本の矢を刺したまま、くないを避けようと必死に抗っている。
「いくらやろうと無駄なこと。おまえには無理だ。あきらめよ」
俊冬は、くないで弟を斬りきざみながら、おなじ文言を繰り返す。その声には、わざと非情さを装う嘘っぽい響きがある。
とめなければ・・・。
そう頭では思っている。が、なにゆえか体が反応しない。
他者の介入を許さぬなにかが、反応を鈍らせているのか・・・。
おれだけでなく、最初からとめる気満々であった永倉でさえ、拳を握りしめてただみつめている。
「だまれっ!できるといってるだろうっ?攻撃がてぬるい。殺す気でこいっ」
兄にたいしてですら声を荒げることのない俊春が、挑戦的にいい返した。が、その声は、体力の限界にちかいのか、というほど弱弱しい。
「ならば、殺してやる」
刹那、俊冬は弟に強烈な蹴りを喰らわせた。俊春は、いとも簡単に吹っ飛び、背後にある苔むした岩に叩きつけられる。
「殺してやるっ」
俊冬の殺気が夜気を震わせ、精神を凍り付かせる。
二本のくないが、岩を背にうずくまる俊春を襲った。
「きんっ」
金属どうしのぶち当たる、身の毛のよだつ音。
はっと思う間もなく、俊冬が吹っ飛んだ。もちろん、俊冬はバック転で地面に叩きつけられるのを回避し、そのまま距離をとる。
それに追いすがる俊春。両掌に、矢を握っている。ついさきほどまで、自分の掌を貫いていた二本の矢を。
矢の鏃とくないの応酬・・・。
不意に、永倉が背を向けあゆみだした。双子に向かってではなく、宿所のある方向へである。
「新八、お、おい」
慌てて追う原田。
その二人をみ、それから双子のほうへ視線をはしらせる斎藤。
「ゆくぞ」
肩を叩いた斎藤は、すでに永倉と原田を追いかけている。
最後にもう一度、視線を向けた。
双子の応酬は、いつまでつづくのか。そして、ここまでやる理由が、いまでも理解できない。
なにゆえ、そこまでやる必要があるのか・・・。
「いこう、相棒」
まだじっとみている相棒に声をかけると、組長たちを追いかけた。
相棒は、綱なしでもいつもの左脚すこしうしろの定位置につく。
涙が頬をつたう。
この理由もまた、理解できない。