八郎 対 主計
かれの右掌のあたりへ、さりげなく視線をはしらせる。同時に、剣先をわずかに上へあげ、そのまま踏み込む。
さすがである。同時に反応してきた。かまわず、腕を思いっきり振り上げる。
伊庭は、おれの視線から、右手首を狙ってくると判断したはず。
ところがどっこい、狙いは剣道でいうところの小手ではなく、面。ぶっちゃけ、すこし上げた剣先は、かれへの誘い。
上段からの真っ向斬り。これが狙い。
「うわっ」
が、腕が上がりきるまでに、伊庭が突いてきた。この間、それこそゼロコンマ、の世界。かれの剣先の動きがかろうじてみえ、突いてくると判断し、体を右へわずかにひらいて脚をつかって距離をとる。
「見事な足さばきですね。足さばきがなかったら、突けたところです」
伊庭がほめてくれた。ビミョーである。これは、剣道であって剣術ではない。
自慢ではないが、剣道の足さばきだけはイケてると思ってる。親父から、「素振りと同様、足さばきはないがしろにするな」、と教えられたからである。ゆえに、素振りと同様練習をやった。
「主計、よまれている。それに、小細工は通じぬ。格上の相手とやるのに、思考は邪魔であるし、小細工は無駄だ」
俊冬のアドバイスが、背にあたる。
ならいったい、どうすりゃいい?
どうせなら、こうすりゃいい、って具体的な指示がほしい・・・。
ああっくそっ!副長のいうとおり、他人を頼ってばかりではだめだ。
斬りあいになったときは、自分ひとり。永倉や斎藤や双子が、いつもそばにいるわけじゃない。自分の力で戦い、生き残るしかない。
「主計、視野をひろげろ」
俊春のアドバイスである。
瞳に頼らず、第六感的に戦う俊春が、意図していってくる・・・。
軽く深呼吸し、あらためて正眼に構え、アドバイス通り伊庭の全身だけでなく、そのバックもみてみる。
不思議と、気持ちが落ち着いてくる。
なるほど、視野をひろげろという意味は、全体をみることで心身ともに落ち着けということか。
伊庭に、かすかに動きが。わかるかわからないかくらいで、右足先が内を向く。
なにも考えず、全身を動かす。
激しい打ち合い。ってか、全体をみ、伊庭を感じ、かろうじて防いでるのが現実。
やはり、左手首を狙うなんて無理。
それでも、思っていた以上についていけてる。
それともこれは、気のせい?
木刀の打ち合う音だけが、ひろい道場内に響く。歓声があがっていたとしても、耳にはいってこない。
感じる。広い意味で感じる・・・。
「よしよし、もういい。二人ともそれまで。これ以上やれば、どちらかが潰れる」
時間にすれば、10分か15分か?永倉が、宣言した。
肩を激しく上下させ、伊庭と向かい合う。
息も絶え絶えとはこのこと。が、伊庭は、息一つ乱してはいない。
一応、引き分けにおわったが、終始おされまくり、ぼろぼろの状態のおれ。
どちらが優勢であったかは、一目瞭然。
やさしい伊庭のこと。きっと、合わせてくれていたのだ。
でも、愉しかった。
もちろん、伊庭とだから、ではない。剣術そのものが、である。
「ほれみろ、勝負事はわからねぇっていったろう?」
副長が、みなにどや顔でいっている。
「わかってるって、土方さん。もともと、主計が簡単に負けるって思ってなかったし」
原田が両肩をすくめ、負け惜しみをいっている。
「ちっ、おめぇら、まったくかわいくないな。素直に、「がんばれ、応援しているぞ」、といえんのか?」
え?副長の言葉に、思わずみなをみまわしてしまう。
「ははは、みなさん、誠に主計君のことが好きなのですよ。それに、よく理解している。ああいうふうにもってゆけば、きみが奮起するってね。それに、俊冬殿と俊春殿の助言。あれは、わたしにとっては誠に迷惑なものでした」
伊庭がおれの隣に並び、肩を一つたたいてくる。
「いい勝負でした。またいつか、そのときには引き分けではなく、はっきりと勝負をつけましょう」
「ええ、ぜひ」
それは蝦夷で、なのか。隻腕のかれと?
ふと、考えてしまう。