「練武館」
へー、これが江戸の「四大道場」の一つといわれる、「練武館」か。
立派な道場である。さすがは、「四大道場」の一つと数えられるだけのことはある。
「子どもたち用の竹刀がありますので、子どもたちも、どうぞ」
子どもらは、これにもわいた。大人と稽古できるのである。それだけでうれしいらしい。
「新八さんは、ときどきは遣うんですか?」
「ああ?そうだな。たまに、型はやってる。魁も同様にな」
永倉と伊庭の会話を、きくともなしにきいてしまう。
そういえば、永倉と島田は、心形刀流を学んだことがあったんだった。坪内道場という道場で、しりあったのだということを思いだす。
二人は、神道無念流も遣うが、心形刀流も遣えるのである。
ウオーミングアップに、素振りをする。
伊庭をチラチラとチラ見しているのは、なにも不謹慎な気持ちでみているわけではない。かれの動きそのものを、みているのである。
くどいようだが、剣術における動きであって他意はない。
「永倉先生、なにか対策を教えてくださいよ」
「ああん?主計、おまえ、いっつも助言を求めてくるよな?」
永倉の近間に入らぬよう心がけつつ話しかけると、素振りを中断し、こちらを睨みつけてくる。
原田と双子が、道場の向こう側で子どもらに手ほどきしているふりをし、こそこそとチラ見しつつ話をしている。
「だって、心形刀流と立ち合ったことがないのです」
「YouTube」で動画をみたことはあるが・・・。
「おっ、主計。おしゃべりしてるなんざ、余裕だな」
そこへやってきたのは、天然理心流目録の副長。うしろに斎藤を従えている。
「永倉先生に助言を求めていたのですが、意地悪して教えてくれないのです」
と、チクってみた。
「ああ?主計、なにいってる?」
永倉が、やかってきた。
「当然だろうが。剣士たるもの、勝負事は正々堂々。わが力で勝ち取るべし。他力本願では、いつまでたっても成長しねぇ」
副長がなんかいってるか?
沈黙。
「そういわずに、永倉先生。お願いしますよ」
「しゃーねぇな」
まるでなんの発言もなかったかのように、スルーするおれたち。
「あー、わたしも助言してやろう」
そして、さわやかな笑みを凍りつかせたまま、仲間にくわわる斎藤。
「てめぇら・・・」
スルーされ、怒り心頭の副長。
今回は、木刀をつかうことにした。
じつは竹刀と防具、という現代剣道に通じる打ち込み稽古を導入したのは、伊庭の父親秀業である。それにより、「練武館」はピーク時には千人をこえる門弟がいたとか。
「竹刀に防具?ありゃぁ、へたれがつけたり振ったりするもんだ。剣術なんぞ木刀で打ちのめされ、体躯で覚えるもの。のらりくらりやってなどいられるか」
永倉が、断言した。
たしかに、幕末のご時世、実戦に役立つものでなければならない。
が、竹刀だからこそ防具があるからこそ、力のかぎり打ち込める。
おれ自身、習っていたのが居合の型だけであったのなら、とても斬り合えなかったであろう。居合以上に、餓鬼の時分から剣道をやっていたからこそ「之定」を振れている。
どちらがいい悪い、ではない。剣道には剣道のいいところ悪いところが、居合には居合のいいところ悪いところがそれぞれある。
永倉は自分の体験を、斎藤は伊庭やほかの心形刀流の剣士と遣り合った経験を、それぞれ教えてくれた。
一流の剣士の口伝は、それだけで意義があり意味がある。
それをいかすも殺すもおれ次第、というわけである。
伊庭は幼少の時分は蘭学や漢学に興味をもち、それを学んだ文学少年であった。ゆえに、剣術をはじめたのはけっしてはやくはなかった。が、さすがは伊庭である。はじめたらはじめたで、すぐに上達し、「伊庭の小天狗」や「伊庭の麒麟児」と呼ばれるようになった。
永倉が、審判をつとめてくれるという。
いよいよ、である。