移転と伊庭のお誘い
秋月右京亮《あきづきうきょうのすけ』邸に移るよう、お達しがもたらされたのは、そのわずか四日後である。
双子のお蔭なのであろう。もたらしたのも、かれらである。
局長は、医学所に戻っているので、副長と双子が、屋敷にいき、修繕などの采配をする。
秋月邸は、千代田区丸の内にある。
現代では、そこは「三OUFJ銀行」の本店になっている。
そのもともとの最後のもち主である秋月種樹は、元高鍋藩藩主世継で、幕府の学問所奉行、若年寄格などを経、将軍家茂の侍読なども務めた秀才である。
かれもまた、先見の明があった。長州征伐に失敗し、若年寄に任ぜられたタイミングで、出仕を拒否、なんと、船でとんずらしてしまう。
その後、新政府軍に恭順を誓い、戦の後は元老院議官、貴族院議員を務める。
「釜屋」から秋月邸への移動を開始する。
移転は、順調におこなわれる。
幸運にも、と個人的にはしみじみ思うのだが、「釜屋」より秋月邸のほうが、御徒町にちかくなる。
そう、「練武館」にちかくなるのである。
いや、違う。医学所にちかくなる、と思う。
バタバタとしたが、通達されてから一週間ほどで、移転が終了。
同日、局長が横浜へ向かう。
横浜の病院に入院している、隊士たちの見舞いである。
その翌日には、尾関と勘定方の岸島が、横浜へ向かった。
横浜にいる傷病人たちに、医学所へ移ることを伝えるためと、実際にその采配をするためである。
その日、あの伊庭が、秋月邸にやってきてくれた。
ちかく、遊撃隊は木更津へ進発するという。
先日の約束を、果たそうというわけである。
「おおっ!ちょうどいい。秋月邸の庭は広いが、さすがに、掛かり稽古はできんからな。稽古、させてくれよ」
永倉がやってきた。
テンションマックスに上がりかけているおれを、いとも簡単に突き飛ばしてくれる。
もちろん、原田と斎藤がもれなくついてくる。
「無論。本日は、道場の稽古が休みですし、存分につかってください」
しなくていいのに、やさしい伊庭は、ソッコー快諾する。
「練武館」の運営は、伊庭の父親秀業が生前養子にした秀俊が、師範や師範代、古参たちとやっているらしい。
本来なら、屋敷も秀俊が継ぐところを、実子の伊庭に気兼ねし、いまのところ、もともと住んでいた屋敷から通っているそうである。
ゆえに、伊庭は、かえるべき場所があるわけである。
「あっ、悪い。大丈夫、二人の邪魔はしないから、な?」
どうやら、殺気がダダもれしていたらしい。
永倉が殺気に気づき、慌ててフォローしてくる。
「いいんですよ、べつに」
不貞腐れてしまう。
「わたしたちも、いっていいですか?」
くそっ、子どもたちまで嗅ぎつけてきた。
市村に綱を握られている相棒も、いく気満々のようである。
「どうぞどうぞ。ただし、菓子もなんにもないけど・・・」
そして、しなくてもいいのに、それも快諾するやさしい伊庭。
「案ずるな。菓子は、途中で買えばいい。おれが、おごってやる」
そのとき、門から副長が入ってきた。双子が一緒である。
あいかわらず、三人とも軍服姿がばっちりキマッてる。
「菓子をおごってやる」、にわく子どもたち。
「おうっ、八郎。なんだ、道着に袴って、主計をとっちめるのに、ずいぶんと気合入ってるじゃねぇか?なら、それをみぬわけにはいかねぇな。まっおれも、たまには稽古してぇからよ」
「はああああ?」
突っ込みどころ満載で、思わず叫んでしまう。
それこそ、騒いでいる子どもらが、静かになってしまうほどの勢いで。
「ええっ、土方さんが稽古?またなんか、企んでんのか?それとも、八郎とともに主計をとっちめて、面白がるつもりか?」
「ああ、胡散臭ぇ。あんたに稽古なんて似合わねぇ。そっか、主計がとっちめられた上に袖にされるのを、目の当たりにして笑うつもりだな?」
「副長、書類仕事があるのでは?主計がとっちめられるところは、戻り次第、報告にあがりますが」
永倉、原田、斎藤・・・。もういやだ、この先輩たち。
「いや、いまは、俊冬と俊春が助けてくれるんで、ずいぶんとらくになってる。書類仕事も、三人で手分けすりゃたいしたことねぇ。二人がいてくれて、誠に、まことーーーーに、助かってるよ」
副長の視線が、三人の組長をなめ、最後に、おれへ向けられる。
嫌味ったらしいったらありゃしない。
四人で視線を空に向け、雀かカラスが飛んでいないか、探すふりしてスルーする。
「副長、われらも、できることとできぬことがありますゆえ。われらには、他人を笑わせる才能が皆無。そこは、やはり、でないと」
フォローなのか?いまのは、フォローなのか、俊冬?
しかも、ビミョーにおれを揶揄ってないか?
「兄上、わたしも稽古がしたい」
そして、都合のいいときだけ、兄貴にねだる俊春。
「おぉそうだな、弟よ。というわけで、われらもいいかな・・・」
「ちょっとまったー!いらないでしょう?通常以下のレベル、いえ、基準以下の剣士が、ぼこぼこにやられるだけなんです。その程度の剣士と一緒に稽古するなんて、あなたたちに必要ですか?いま?このタイミング、いえ、この機に?」
なにせ、おれをいじるのを生きがいにしている双子である。なにをされるかわかったもんじゃない。
どうせ、やさしい伊庭は快諾するにきまっている。
なんとしてでも、阻止せねば・・・。
「そ、そんな・・・。あ、兄上、きかれましたか?主計が、主計が・・・」
俊春が、よろめいた。涙ぐみ、指が三本しかない方の掌を口許にあて、うるうるしている。
「ああ、かわいそうな弟よ」
弟に寄り添い、やさしく頭を撫でる偽善者俊冬。
これではまるで、「世界O作劇場」の一場面ではないか。
「ああー、かわいそう。双子先生を傷つけた」
「そうだよ。主計さん、鬼だ」
「主計さん、ひどい」
子どもらの非難。
「おおっと、おまえ、ひどいやつだな、主計」
「ああ、ひどすぎるぜ、いまのは」
「左様。怒りを覚えてしまう」
永倉、原田、斎藤の、さらなる非難。
おれ、炎上す。
突然、伊庭が笑いはじめる。
その笑い方が青春漫画の「あはははは」で、あまりのさわやかさに、思わずくらくらしてしまう。
正直、斎藤のさわやかな笑みを凌駕している。
これこそが、青春漫画の王道の笑い方である。
「いつも、いつもこんなに楽しいんですか、新撰組は?」
伊庭は、さわやかに笑いつづけている。
「ああ、馬鹿ばっかやってる」
そう応じる副長も、言葉のわりにはどこかやさしげな表情になっているような気がする。
「みなさん、どうぞ。おおくでやったほうが、やりがいがありますので」
ちぇっ!伊庭のいうとおりだが、いうことは流石である。
ぬかりのない双子である。伊庭とおれとの約束のためにと、ちゃんと道着と袴を準備していてくれた。しかも、副長や組長たち、それから、子どもたちの分まで。
全員がそれに着替え、あたらしい屯所を出発する。
あゆみながら、罠にはめた俊春の脇腹を、肘でついてやる。すると、向こうもやり返してくる。
ムキになって、思わずやり返す。もちろん、向こうもまたやり返してくる。
「いい加減にしねぇか、おめぇらっ!」
意地になり、とうとう突き飛ばしあいにまでエスカレートしたおれたちは、さきをあゆむ副長に、どやしつけられてしまった。
「主計さん、子どもみたい」
「うん。ほんと、お子様だよね」
「もっと大人にならなきゃね」
またしても、子どもたちの非難。しかも、おれだけ・・・。
ふと、市村の左うしろをあるいている相棒と瞳が合う。
「嗚呼無常、毒男のつらたんよ、と申しておる」
そして、相棒の代弁者俊春のささやき。
いや、まて、相棒よ。「独身男性のつらさよ」、だって?
しかも、サラリーマン川柳みたいになってる・・・。
副長より才能あるんじゃないのか、ええ、相棒?
それは兎も角、心身ともに、がっくりきてしまう。
せめてもの慰めは、ここに、野村がいないことである。
いたらきっと、さらなる暴言を吐かれたはず。
野村は、沢にかわって局長の身の回りの世話をするため、局長に同道し、横浜に出張しているのである。