奇妙奇天烈な名医松本良順
おそるおそる、そちらの方向をみる。
すると、双子ごしに、子どもらをひきつれ、背の低い恰幅のいい男がやってくるのがみえる。
「法眼、申し訳ありません。新撰組の餓鬼どもが、騒々しくしちまって・・・」
「馬鹿いってんじゃねぇよ、歳。餓鬼は、騒々しいのがあたりまえじゃねぇか。騒々しいのは、おめぇらのほうだ」
「はぁ・・・。申し訳ない」
局長がぺこぺこと謝罪する横で、副長は、どや顔で立っている。
「いいんだよ、勇。あんたが謝る必要などねぇ。おうっ、永倉に原田、斎藤、血色よし。ふむ、ちゃんと風呂も入ってるようだな」
さすがはちゃきちゃきの江戸っ子。でっ、ガチ医者である。
組長三人にちがづくと、それぞれの相貌をガン見しつつ、状態をチェック、においを嗅いで清潔度まで判断する。
松本良順もまた、写真がおおく残っている。
撮影してもらった数もさることながら、それとはべつに、内田九一という写真師の庇護をしている。
このあと、松本は、局長の写真をその内田に撮らせるはずである。
ちなみに、その内田は、明治天皇を撮影したりもするが、三十二歳の若さで死んでしまう。労咳である。
兎に角、松本もまんま、である。まんますぎて、思わずにやりと笑ってしまう。
小太りで、愛嬌のある相貌に、どこか頼りたくなるような、甘えたくなるような、そんなオーラをまとっている。
口さえ閉じていれば、「ぜひともかかりたい!患者に寄り添う医師」で、口を開けば、「口は悪いが腕はたしか」って感じか。
松本の逸話は、数えきれない。
牛乳や海水浴を奨励し、温泉の入浴法を記したりもする。
だが、最大の逸話は、新撰組との交流であろう。
松本といい、その甥の榎本といい、新撰組に縁があるのか、はたまた、新撰組にかれらを魅了するなにかがあるのか・・・。
そうそう、医師であり文豪でもある森鴎外も、松本の遠縁である。松本の実姉の孫娘と結婚したという。
あと、松本の八男も医師になるが、松本本松という。
「上からよんでも下からよんでも山O山」のごとく、漢字回文でうけ狙いのネーミングにしたにちがいない。
「おうっ、これが噂の兼定か?」
視線があうと、松本は肉付きのいい相貌に、人懐っこい笑みを浮かべる。
うわああ!話しかけられてる。
勝のときとはちがい、緊張はなく、うれしい気持ちになる。
この違いは、いったいなんだろう・・・?
「やっぱ、犬はこうでなくっちゃな。飛びかかるかい?」
「いえ、大丈夫です。兼定は、指示がないかぎり、人間に飛びかかったりいたしません」
「そうかい」
松本は、市村の横でお座りしている相棒のまんまえにくると両膝を折って視線を合わせる。
「さわっても?」
「どうぞ。兼定は、とっても利口です」
尋ねられた市村は、胸を張ってこたえる。
相棒を撫でる松本も、犬に慣れている。
「独逸の犬だって?長崎で、異国のいろんな犬をみたが、どれも毛玉みたい・・・」
「毛玉みたい・・・」
松本にかぶせ、「毛玉みたい」といってみる。
思わず、全員で笑う。
「あんたが、主計か?おっと、初対面で呼び捨てってのも品がねぇな。すまねぇ。いっつも家内に怒られちまう」
「いえ、主計とお呼びください、松本先生」
「じゃぁ、こっちは法眼か良順って呼んでくれ。松本ってな、呼ばれなれてねぇんでな。でっ、いってぇ、なんの騒ぎだ?」
「わたしのせいです、法眼。わたしが、勇さんに剣術の稽古をつけてもらおうとしたときに、歳さんたちがやってきたもので・・・。つい、勝負って話になってしまい・・・」
「おいおい、八郎は兎も角、勇はまだ無理だ」
「ええ、ええ、わかっています。ですので、だれかにかわってもらおうと・・・」
局長が、慌てていい添える。
「では、おれってことで。いいですよね、局長?」
どさくさにまぎれ、しかも、局長のやさしさを利用し、いっきにまくしたてるおれ。
「ああ、ああ・・・」
局長がうなづく。
チャンスとばかりに、俊冬の掌にある木刀をとろうとかれの掌をつかもうと・・・。
「おいおい、ここをどこだと思ってやがる?医学所だぜ。入院してる剣士もいる。素振りくらいならみてみぬ振りもできるってもんだが、さすがに、遣り合うってのは勘弁してくれ。やるんなら、八郎の道場かなんかでやりゃぁいいじゃねぇか」
松本に、注意されてしまった。たしかに、いちいちもっともな話である。
残念無念。
が、伊庭が、「おたがいの出撃までに、道場でやろう」、と誘ってくれた。
もちろん、おれに異存はない。
どうせ、プライベートで予定はない。たとえあったとしても、キャンセルやぶっちすればいい。延期って手段もある。
隊務?そんなもの、体調不良になることはままあることだし、最悪、遠い親類の不幸、にすれば問題なし。
有休を消化してもいい。試用期間がおわってから、まだ一度もとったことがない。流れてしまっては、もったいないかぎり。労働者としての当然の権利である。
上司や同僚に文句をいわれたり、白い瞳でみられる筋合いはない。
しまった。つい、熱く語ってしまった。これはけっして、おれだけの問題ではないはず。
そう、おおくの労働者の共通の問題であり、悩みであろう。
そんなありもしない、できもしないことはおいといて、地球が爆発しようが日本が沈没しようが、ちかいうちにやろうという約束をとりつけることができただけ、上出来である。
これはもう、正直、デート以上にわくわくものである。
なにせ、「あの伊庭八郎」と、剣術の稽古ができるのだから。
やはり、伊庭はナイスガイである。