ミス・テリアスの肉体美
「新撰組の情勢は、まずいか?」
副長は、俊冬が新撰組をかばっていることに気がついている。
「正直なところ、新撰組の威光は、京においてのみのもの。江戸では、荒くれ者の集団、としか評価されていないようです。会津候と桑名少将が、江戸城への登城を拒否されている以上、後ろ盾もございません。主計によれば、上様はすぐにでも謹慎される、と。さすれば、会津候と桑名少将は、会津にまいられるかと。そして、われらは敵の東征をとどめるため、甲府に進軍・・・。われわれだけでなく、ほかの諸隊も敵の東征阻止に、各地に派遣されるでしょう。それらはおそらく、勝先生が、主戦派や組織を江戸からできるだけ遠ざけるための策。その間に、勝先生は、西郷どんと密会し、上様の助命、江戸城お江戸の町を救う算段をするかと」
さすがは俊冬。おれのはしょった歴史的出来事の羅列を、完璧に理解し、推測している。
「こむずかしいことは抜きにして、わたしたちはどうすればよい?」
斎藤が、さわやかな笑みとともに尋ねる。
その笑みは、こんな状況であるにもかかわらず、どこか癒してくれる。
「まずは、史実通りに進軍できるか、です。夕刻、ざっと探りをいれただけですが、このままだと新撰組の存在すら口の端にのぼることもありますまい。さきほどのわれらの三文芝居で、勝先生は新撰組がただの荒くれではない、と判断されたでしょう。ほかの諸隊同様扱ってくれれば・・・」
勝は、局長と副長が、「眠り龍」と「狂い犬」をてなづけるだけの器量があると判断したであろう。
「ああ、おめぇの申す通りだ、俊冬。おれの認識不足にくわえ、思慮が甘く、足りなかった。認めざるをえん。で、かような状況で、どうやって新撰組を認めさせるってんだ?」
奇妙な間。そして、沈黙。
「副長、申し訳ございません。われらにはわれらのやり方、というものがございます。副長が、それをお知りになる必要もござりませぬ」
俊冬は、やわらかい笑みとともにつづける。全員に視線を向けつつ。
「副長、つねに堂々とされてください。これまでの新撰組の功績は、けっして過小なものでも恥じ入るものでもござりませぬ。副長や局長だけではありませぬ。みなさま方も同様。それらを誇り、前向きに構えてください」
そのとき、原田が咳ばらいを一つする。
副長の視線が、そちらへ向く。瞬き以下の間、二人の視線が絡み合う。
「お案じ召さるな。お願いするだけでございます。なにも荒っぽいことや、やましいことをするわけではござりませぬ」
その二人の様子に、俊冬が静かにつけ足す。
「で、「眠り龍」って、どういう意味なんだ?その名のごとし、ってか?まったく、おまえたちは、あー、なんだっけか?主計、こいつらみたいなのを、なんつったらいい?」
永倉が、この場の空気をわかっていてかいなくてか、おどけたように尋ねてくる。
「ミステリアス、です。永倉先生。謎めいてる、っておっしゃりたいんですよね?」
「おお、それだそれ。ミス?ミス・テリアス?」
「ミステリアス。いっきにいってください。でないと、テリアスさんっていう女性を呼ぶときみたいです」
「永倉先生、二つ名に意味はございません。「眠り龍」など、「三国志演義」をよまれたどなたかが、それっぽくいいだしたにちがいありませぬ。ところで、今後、恰好をどうされますか?」
俊冬は、なにがなんでも「眠り龍」の話題には触れられたくないらしい。まったくちがう話題をふる。
「恰好?」
副長と、三人の組長が叫ぶ。
「どういう意味だ?恰好って・・・」
「たとえば、ねじり鉢巻き、褌一丁で、敵の銃砲火のなかを駆けまわるってことです、永倉先生」
永倉の問いに、至極真面目な表情で提案する俊冬。
そのあまりにもさらりとした口調に、副長たちはそれがメジャーな戦闘服とでも思ったのか、驚きの声一つでない。それとも、ぐうの音もでない、というのか。
「いえ、俊冬殿。それは、あなた方兄弟の専売特許、ブランドですよね?」
冷静に突っ込みをいれる、おれ。
専売特許と、ブランドの意味を説明する。
「ふむ・・・。たしかに、あまり他人に真似てもらいたくないな。あの恰好は、敵味方関係なく、あまりにも意表をつきすぎてウケがいい」
なにい?そこなのか、俊冬?
ドレスコードやコンプライアンス違反を超え、もはや公序良俗違反である。
さらには、歴史のカテゴリーからおおはばに逸脱してしまう。
「なら、おれたちは遠慮しとくわ。そりゃ、おれの胸板は筋肉がついてるし、腹だってぐっと引き締まってる。尻だって、そこそこ見栄えがするが、褌に得物さすわけにはいかんだろう?」
「ああ?新八、笑っちまうぞ、それ。嘘ばっか。胸は毛だらけ、腹は三段、尻など垂れ下がってる。それにくらべ、おれの胸はきれいなもんだし、腹には立派な一文字傷、尻は、女子でも野郎でも喜ばせられるもんがぶら下がってる」
原田?ちょっ、なにいって・・・。
「馬鹿いってんじゃねぇっ、新八っ、左之っ!さっき、くだらねぇこといってんじゃねぇと、いったばかりだろうが、ええ?」
副長の大喝は、宿中に響き渡ったに違いない。しかも、畳までばんばん叩きだす始末。
そこまで怒り狂わなくとも・・・。ムードメーカーの二人である。場の空気をなごませようとしただけ、だと思う。うん、きっとそのはず・・・。
それに、さっき、やっと寝かしつけた子どもたちが、起きやしないかとはらはらしてしまう。
「おめぇら、いうにことかいて、なにが筋肉ついてるだ?きれいな胸だ?しかも、左之、なにが女子や野郎が喜ぶだぁ?ふざけやがって・・・。そんなもんなぁ、おれの胸や尻の形、ぶら下がってるもんの比じゃねぇんだよ」
副長?ちょ、なにいって・・・。
「おそれながら、副長。こればかりは、われら兄弟、譲れませぬぞ」
「さよう。兄上の申す通りでございます。ふふっ、失礼ながら、片腹痛し、とはこのこと・・・」
俊冬、そして、それまでただの一言も発しなかった俊春まで・・・。
喧々囂々とは、このこと。超絶ナルシストの野郎どもが、自分の肉体美とぶら下がってるものについて、殴り合いの喧嘩になりそうな勢いで論じている。
これで、最初の仲間うちの喧嘩、の話につながるわけ?
隣に座す斎藤と、視線があう。
さわやかな笑みが、その相貌にひろがる。
「うふふっ。みな、わたしの裸身をみたことがないからな」
斎藤?ちょっ、マジかい、おい?
というわけで、新撰組は洋装にチェンジする。
局長をのぞいて。局長だけは、和装にこだわりがあるらしい。
翌日から、洋装へ向けての準備がはじまる。